五十五話 店と米
ガストン商会の応接室。俺はガストンと向かい合って広げられた王都の地図を眺めていた。
「店を構える、ですか。あなたなら王都の一等地にある最高級の物件だって簡単に買えるでしょう。どうです、貴族街に近い大通りに、三階建ての立派な店舗が出ているんですが?」
ガストンは鼻息を荒くして極上の物件を勧めてくるが、俺はゆっくりと首を横に振った。
「いや、そこまで大きい店にするつもりはないんだ。客との距離が遠いのは俺には合わない。……とりあえず相談なんだが、今俺たちが住み込んで使っている『あの借家』。あの家を丸ごと買い取って一階を店舗に、二階をそのまま居住スペースに改築するっていうのは可能か?」
俺の提案にガストンは一瞬驚いたが、すぐに「なるほど!」と膝を重ねた。
「あの場所ですか!中央広場からも近く活気もある。とりあえず家主に掛け合ってみましょう。もし購入できるのであれば、改築のほうが私のほうで腕利きの大工を回しますよ!」
物件の目処が立ち一安心したのも束の間、俺は次の現実的な問題に突き当たった。
「ただ、ガストン。店を始めることになると今のアイリスとルナの二人だけじゃ、どうしても人手がかかる。もう一人くらいは従業員を雇わなくちゃいけない」
「そうですね。屋台とは比較物にならないほど業務が多い。ですが人を入れることになると……あの家の二階では手狭じゃないですか?」
もし新しい従業員が「住み込み」を希望した場合、あの借家にはもう空き部屋がない。一階を店舗に改築すると居住スペースは二階だけになる。
「……その場合は俺が家を出るしかない」
「あなたがですが?」
「ああ。一応防犯対策はしっかりしておけば女の子たちだけで使わせた方が色々と安心だからな。俺は近くに別の部屋を借りて、そこから店に通うようにすれば問題ないだろう」
「ふむ、あなたがそう言うなら物件は手配しますが……本当に欲のない男ですね」
ガストンさんは勝手ながらも、俺の提案をメモに留めてくれた。
次の日、店舗の件はガストンにまかせるとして、まずは従業員の募集、それにメニューを決めることだ。
従業員についてはアイリスやルナのときと同じ条件で募集をかけた。今はまだ店舗の件は伏せておく。
次にメニューだ。唐揚げやフライドポテトについてはもちろん提供する。店舗で食べることもできるし、テイクアウトもできるようにする予定だ。あとはトンカツやハンバーグ、魚のフライだったりを考えてはいる。
俺は新しいメニューのインスピレーションを得るため、王都の巨大な中央市場へと足を運んでいた。 賑やかな市場には色んな肉や魚、色鮮やかな異世界の野菜が所狭しと並んでいる。しかしどれを見ても「これだ!」という決定打に欠けていた。
(肉料理、魚料理……何を中心に集まるか。結局、お腹いっぱいになって毎日でも食べたくなるようなものがいいんだが……)
そんなことを考えながら市場の端までたどり着き、ほとんど客の足が向いていない寂れたエリアへと迷い込んでいた。
ふと見つけた小さな、楕円形の粒子……
「……嘘だろ?」
俺の心臓がドクンと跳ね上がった。手を伸ばし、その粒を手のひらにすくい上げた。間違いない。この形、この硬さ、そして微かに漂う懐かしい匂い。
「米だ……」
「おや、お兄さん。そんな珍妙なものに興味があるのかい?」
店の奥から、暇そうにキセルをふかした老店主が顔を出した。
「これ……米だよな?どこで手に入れたんだ?」
「コメ?名前は知らないんだ。こいつは東の乾燥地帯の奥にある湿地で、昔から自生してる草の種さ。昔から食べられないことはないって言われてるんだがねぇ。……まぁ、売れないよ。細かいのに殻がついてるから取り除くにも手間がかかる。それにそのままじゃ硬いし嫌な臭いもするから食べられたもんじゃない。洗って水で戻してそのまま食べるか、潰してまとめるかだけど、表面はべちゃべちゃになって、中心は硬いままだからうまいもんじゃない。家畜用の餌にしかならないよ」
老店主の言葉を聞いて俺は内心でガッツポーズを突き上げていた。
(分かってない……!この世界の人間は、米の『炊き方(調理方法)』を知らないんだ!)
乾燥した米をただ水に浸したり、スープで適当に煮込めば、芯が残るかお粥の失敗作みたいになるのは当然だ。正確に適切な方法で研ぎ、適切な水加減と火加減で調理すれば、それが最高の主食に化けることをこの世界の人間は誰も知らないのだ。
「店主、これ今ある分を全部くれないか?それから、もしこれから定期的にまとまった量を仕入れるとしたら、毎月うちの店まで届けてもらえることは可能か?」
「は、はあ!?本気かいお兄さん!こんなゴミみたいなもんをかい?」
「ゴミじゃない、宝の山だよ。とりあえず仮にはなるが、仕入れの契約書を交わそう。ガストン商会に契約の保証人になってもらう予定だから踏み倒しの心配はないよ」
「ガ、ガストン商会!? ああ、分かった、契約だ! 喜んで毎月届けるよ!」
俺は山のような麻袋を台車に積んでゲットし、興奮を抑えながらとりあえず急いで帰宅した。
「カケルさん、おかえりなさい……って、なんですか、その大量の袋は?」
アイリスが不思議そうな顔でお迎えしてくれる。とりあえず説明は後にしておこう。
脱穀はしてあるから籾摺りと精米だな。籾摺りは殻を取り除いて玄米を作る作業だ。すり鉢に籾を入れて多少やわらかいボールのようなものを押し当ててゴリゴリと回す。籾殻は軽いからちょっと強めの風を当てると思い玄米だけが残せる。
次に精米。ここが大変だ。本来であれば精米機を使うんだがそんなものはない。原始的な方法だと一升瓶に玄米を入れて棒で突くという方法があるが、かなり時間がかかる。
だがここは異世界、しかも「魔法」がある。ということで……
「ルナ。魔法で風を起こすことはできるか?」
「風ですか?得意ではないので威力はありませんが……」
「そこまで強くなくていいんだ。竜巻みたいにグルグル回してくれればいい」
うまくいくかどうかはわからないが樽の中に玄米を入れて風の渦を発生させる、樽や米同士の摩擦で精米するという方法だ。
いざやってみると風の強さのコントロールが難しいらしい。弱いと精米できないし強いと米が砕けてしまう。時間はかからないが魔法を使うほうはかなり疲れるということなので、今後のことを考えるともっと別の方法をとらなくてはいけない。とりあえずは一個課題だな。
俺は精米した米を冷たい水で優しく研ぎ始めた。異世界の米は日本米に比べて表面の糠が少し固かったが、丁寧に洗って美しい真珠色の肌を露出させていく。
これから米を炊く作業に入る。この世界の米が前の世界のやり方でうまくいくかはわからないが、やってみるしかない。
水につけてしばらく置いた後、最初は弱火でゆっくりと温め、湯気が吹き出したら一気に強火に、吹きこぼれが落ち着いて湯気が細くなったら弱火に落として五分。そのあと火を完全に止めて十五分間、絶対に蓋を開けずに放置する。
「……まあ、なんて良い香り。パンが焼ける時の香りとも違いますし……どこか心が落ち着く香りですね」
アイリスがノートを握りしめたまま、うっとりと目を細める。
「よし、時間だ。……開けるぞ」
俺は鍋の蓋を外した。白い湯気の向こう側に現れたのは――一粒一粒がしっかりと立ち、ツヤツヤと輝く「白米」だった。
スプーンで少しすくい、口に運ぶ。
(……美味い!)
日本米に比べてほんの少しだけ粘り気と甘みが少ない気がするが、それは好みの範囲内だ。噛むたびに大地の素朴な旨味と、確かな満足感が口いっぱいに広がる。間違いなく俺が恋焦がれていた『ご飯』だった。
「二人とも、食べてみな」
俺が二人に小皿に分けた米を渡すと、二人は恐る恐る口にした。
「――っ!? な、何ですか! モチモチして、噛んでいるとどんどん甘くなって……すっごく美味しいです!」
ルナが目を丸くして大喜びする。
「びっくりしました……。硬くて食べられないはずの穀物が、火加減と水加減だけでこれほど上品なものに変わるなんて」
アイリスのペンが勢いよく走り始める。
米の登場。これによって俺の頭の中でバラバラだったメニューのパズルが、一瞬にしてカチリと音を立てて組めた。
「よし、決まった。店のメニューは『定食』で決まりだ!」
「テイショク……ですか?」
ルナが首を傾げる。
「ああ。この『白いご飯』を中心に置いてな。汁物と漬物、そしてメインのおかずを一つのトレイに乗せて提供するスタイルだ。おかずはテイクアウトでも出す唐揚げやボア肉のトンカツ。そして生姜焼きやハンバーグ……。この米があれば、肉の美味しさは何倍にも上がる」
俺は二人に力強く宣言しました。
「ただの料理を出す店じゃない。王都の人間が毎日でも通いたくなる、お腹も心も満たされる『飯屋』を作る。……アイリス、ルナ、これから忙しくなるぞ!」
「「はいっ!」」
二人の頼もしい返事がこれからの大躍進を感じさせるように厨房に力強く響き渡った。米という最強の武器を手に入れた店が、いよいよ現実のものとして動き出そうとしていた。




