四十五話 城、そしてお話
朝、鏡の中に映る自分を見つめながら、俺は柄にもなく深い溜息を出した。今日はついに王宮へ赴く日だ。昨夜遅くまでかかった準備の残り韻が指先に残っているが、身体は不思議と軽い。だが面倒なことだと思うと溜息も出るもんだ。普通に料理して暮らしていければよかったんだがな……
ガストンに紹介された店で仕立てた服に着替えてみた。料理人が王宮に招かれる際の「正装」として作ってもらったのは、貴族のような華美な装飾こそないものの、職人としての品格と実用性が完璧に兼ね備えた逸品だった。
上着は落ち着いたミッドナイトブルーの厚い手の生地。立ち襟になっており首元をスッキリと見せつつも王宮の格式に負けない重厚感がある。ボタンは銀細工でさりげなく麦の穂のデザインが施されている。
シャツはまぶしいほどの白ではあるが一般的なシャツになっている。
下衣は動きやすさを重視しながらもシルエットが崩れない絶妙な裁断。色は上着より少し明るいネイビーでまとめられている。
「……よし。悪くない……よな?」
鏡の中の俺はどこからどう見ても「ただの屋台店主」には見えなかった。
準備を整えて一階へ降りると、アイリスとルナが目を丸くしてこちらを見てきた。
「……カケルさん、見違えました。その、とても……素敵です」
「本物の貴族様……ううん、騎士様みたいです! カケルさんってなかなかかっこいいんですね!」
「……おい、いつもはかっこよくないみたいに言うな」
アイリスが少し顔を出し赤らめ、ルナは「あはは!」と笑いながら不安を取り除く。少なからず緊張していた俺の肩の力を抜けてくれた。
その時、表の通りがわかに騒がしくなった。窓から外を覗いてみるとそこには黄金の紋章が刻まれ、信じられないほど豪華な馬が居た。御者台には正装の騎士が座っている。
「……来たか。二人とも、留守番頼んだぞ」
「カケルさんこそ、不敬罪で捕まらないでくださいね!」
アイリスの激励(?)を背負いながら、俺は家の外へ出た。騎士が馬車の扉を恭しく開ける。
「カケル様ですね。アルフレッド様より承っております。……どうぞ」
ふかふかの座席に腰を下ろすと、馬車は動き出した。王都の喧嘩騒ぎが遠ざかり、代わりに高く聳える白亜の城壁が目の前に迫ってくる。石畳を叩く馬の蹄の音だけが今の俺の鼓動とシンクロしていた。
検問前で馬車を降りて美しい庭園を望む広間まで到着した。重厚な扉が見えると思えば、そこには広大な空間があった。そしてその中心、一段高い玉座のような椅子に腰掛けているのがこの国の主、エドワード王でその隣に王女であるリリアーヌ王女がいる。
俺はゆっくりと歩みを進めた。脳裏にはガストンから聞いた「挨拶の作法」が浮かんでいた。
(……右足を軽く引いて跪く、左手は後ろ、右は胸に。視線は落としすぎず……)
「……カケルと申します。お招きに預かり参上いたしました」
俺が完璧な(はずの)礼を披露すると、玉座に座るエドワード王が面白そうに目を細めた。
「……よい。面を上げよ、カケル」
王の声は低く威厳に満たされていたが、その瞳にはいかにもありそうな好奇心が宿っていた。
「よくぞ参った。だが作法など二の次だ。率直に言おう。我らが城へ招待した理由はただ一つ。……あの『唐揚げ』という、悪魔的な料理に感動したからだ!」
隠すことなく真っ先にぶっちゃけてきたな……
「カケルよ。単刀直入に聞く。あのような外は硬いほどに香ばしく、内は驚くほどに瑞々しい肉料理……あれは一体どこの国の技術だ?アルフレッドに調べさせたが、近隣諸国に似たようなものは見当たらなかった」
王の問いに、俺は事前に準備していた答えを口にした。
「……私の故郷に伝わる、ごくありふれた調理法です。故郷では食材を油の中に沈めて火を入れる『揚げ』という技法が、古くから伝えられてきました。唐揚げも、フライドポテトも……すべては、代々受け継がれてきた知恵に過ぎません」
「故郷、か……。その故郷では、誰もが任意のような至高の一皿を作れるのか?」
「いえ、基本は同じですが、火加減や味付けのバランスは料理人それぞれの腕次第です。私はただ、この地の素晴らしい食材を活かしただけです」
「なるほど。謙虚なものだ。……フライドポテトなるものはまだ食していないが、サクサクとした食感は従来の『焼く』という芋の概念を根底から覆したと聞いておる。民が熱狂するのも無理はない」
王はそばに控えていたアルフレッドに目配せをした。
「さて、話はこのくらいにしようか。……カケル、できればお前の腕を見せてもらいたい。我が城の厨房は準備してある。まずはあの『唐揚げ』と『フライドポテト』を作ってくれないか?」
「承知いたしました。……ところで、唐揚げとフライドポテト以外に、何か別の料理も用意したほうがよろしいでしょうか?とりあえず『肉料理』も提供できればと考えておりますが……」
俺がそう提案したその瞬間だった。今まで黙っていた王の隣に座っている王女が音もなく立っていた。
彼女は俺が想像していたような「高圧的な王族」とは、全く違う反応を見せた。
「……お願いします、カケル様!」
彼女は俺の前に詰め寄ると、獲物を見据えるような熱っぽい目を差し出してきた。
「王族からの命令……などではありません。これは、一人の『未知なる味』に飢えた女としての、切実なお願いです。あなたのその技術、その指先が肉という食材をどう『料理』するのか……。それを見せていただき、味わいたいのです!」
「リ、リリアーヌ……。少し落ち着け、はしたないぞ」
王が止めるが、彼女は落ち着かない。
「お父様、黙ってください!カケル様、どうか……!肉料理、いえ、肉に限らず貴方が思うものを、私に、私に与えてくださいませ……!」
それはもう、信徒が神に祈りを捧げるような、あるいは飢えた獣が目の前の肉に跪くような異様なまでの熱量だった。
「……わ、わかりました。そこまで言ってもらえるのなら料理人冥利に尽きます。……王女殿下、しばしお待ちください」
アルフレッドに導かれながら、俺は最高級の厨房へ向かった。終わらない「宴」が今、始まろうとしていた。




