四十一話 仕入れと仕込みと服
拠点での静かな夜が明け、俺はまだ星の光が残る早朝に目を覚ました。
今日やるべきことは明確だ。王宮参内、そしてそれまでの屋台営業を支えるための「命の仕入れ」――すなわち、森での大規模な狩りである。
俺は夜明け前の王都を抜けて、いつもの森へと足を踏み入れた。
森に一歩踏み入ればそこは弱肉強食の世界だ。だが今の俺にとってここは巨大な「天然の冷蔵庫」に近い。
「さて、まずはココ鳥からか」
気配を殺し木々の間を抜ける。この世界に来てからというもの、俺の感覚は研ぎ澄まされ獲物の微かな息遣いさえも捉えられるようになっていた。
視界の端で、草むらが揺れる。
――シュッ!!
手近な石を投げつけ、まずは一羽。
驚いて飛び出した群れに対し、俺は無駄のない動きで次々と仕留めていく。
ふと、俺は改めてこの森の異常なまでの豊かさについて考えた。
(それにしても、狩っても狩っても減る気配がないな……)
普通これだけの頻度で、かつ大量に間引けば生態系に影響が出るはずだ。だがこの「ココ鳥」や脂の乗った「ワイルドボア」たちはまるで湧き出てくるように姿を現す。
後で聞いた話だが、この森は魔力の濃度が高くそれによって生物の繁殖サイクルが異常に速いらしい。
一対のつがいがいれば、数週間後には立派な群れに戻るという料理人にとっては夢のような、生態系としては悪夢のような繁殖力だ。俺にとってはありがたい限りだがな。
午前中の数時間だけで、アイテムボックスには百羽を超えるココ鳥と、立派な牙を持つボアが数十頭収まった。これだけあれば王宮へ行くまでの屋台、そしてその後の予備としても十分すぎるほどだ。
昼過ぎに帰宅した俺は休む間もなくキッチンに立った。
ここからは地獄の仕込み作業だ。だが、今日はこれまでとは違う。手に入れたばかりの新作包丁。
まずはココ鳥を一羽、まな板に乗せる。
――スッ。
これまでの包丁なら関節の位置を探り力を込めて断ち切っていた。だがやはりこの包丁は違う。刃を当て、自重を預けるだけで、まるで吸い込まれるように肉と骨の間を滑り落ちていく。
抵抗がなく筋の一本一本、脂肪の層の一枚一枚が、俺の意志に先んじて解体されていくような感覚だ。
「……速い。これなら、いつもの半分以下の時間で終わるぞ」
流れるような手つきで、鶏の部位が分けられていく。もも、むね、手羽。
ボアの解体も同様だった。あの分厚い皮と頑強な骨さえも、バルトが打った包丁の前ではバターのように脆い。
研ぎ澄まされた刃物がいかに料理人の労力を削るか、俺は身を以て体感していた。
結局、夕方までかかると踏んでいた仕込みは、日がまだ高い位置にあるうちに完了してしまった。
時間に余裕ができた俺は、城に着ていくための「まともな服」を探しに街へ出た。
まずは、情報の宝庫であるガストン商会へ顔を出す。
「おや、カケルさん。今日は屋台がお休みのはずですし、なにか仕入れですかな?」
「いや、実はな……」
俺は昨日、老執事アルフレッドから招待を受けたこと、そして五日後に城へ行くことになった経緯を話した。
すると、それまで穏やかな笑みを浮かべていたガストンの顔が、一瞬で引き締まった。
「……カケルさん、それは名誉なことですが同時に最大の試練ですぞ」
「試練?」
「ええ。我が国の国王エドワード陛下は、大陸でも指折りの『食通』として知られております。各国の王族を招いた晩餐会でも、出された料理に一口つけて『退屈だ』とあまり食が進まないことを仰ったという逸話がいくつもあるお方です」
ガストンは真剣な眼差しで俺を見つめた。
「そして、それ以上に恐ろしいのが王女リリアーヌ殿下です。あのお方は……食のことになると、文字通り『別人』になられます。納得のいかない料理を出した料理人が、あまりのプレッシャーに筆を折り引退したという話も一度や二度ではありません」
「……随分と物騒な話だな」
「カケルさんの料理なら心配ないとは思いますが、相手は王族。礼儀もさることながら、その『舌』を満足させられなければ今後の商売にも響きかねません。ですがおそらくはあの唐揚げもすでに食していることでしょうし、私としては大丈夫だと思いますよ。……で、服ですな? この近くに王宮に納品もしている腕の良い仕立て屋があります。私の紹介状を書いておきましょう」
ガストンの言葉に、俺は改めて事の重大さを実感した。
ただの「招待」じゃない。あれは、王家からの「果たし状」なのだ。
紹介された仕立て屋に入ると、ガストンの紹介状を見た店主が飛んできた。
「王宮へ行くための服ですな! 畏まりました、貴方のその鍛えられた身体に最も映える一着を仕立てましょう!」
採寸の間、俺は城で何を作るべきかを考えていた。
唐揚げとポテト。庶民の味だ。だが、それを最高の食材と技術で提供する。それが俺のスタイルだ。背伸びをして慣れない宮廷料理の真似事をしたところで、本物の食通たちに見抜かれるのは目に見えている。とはいえ、俺も前の世界ではフレンチやイタリアンなども修行した身だ。豪華な食事を出せと言われればそれなりのものは出せるだろう。だがそれだけでは食通を納得させられるとは思えないし、唐揚げやポテトが好まれるようならそれを提供したほうがいい。しかし、やはりなにか別の料理が必要か。
「……よし。決めたぞ」
一通りの採寸を終え、注文を済ませた俺は夕暮れの街を歩きながら帰路についた。
帰宅後、俺は再びキッチンに立った。
身体は疲れているはずだが、ガストンの言葉が心地よい刺激となって俺を突き動かしていた。
「ポテトの仕込みを、もう一段階上げるか……」
昨日好評だったフライドポテト。だが、まだ改良の余地はある。
芋のカットの厚み、水にさらす時間、そして油の温度変化。
城に行くまでの期間で俺ができる最高の「準備」をぶつけるのが、料理人としての礼儀というものだろう。
油の香りが、夜のキッチンに充満する。揚げたてのポテトを一つ口に放り込む。
サクッという脳内に響くその音が勝利のファンファーレに聞こえた。
深夜、俺はベッドに身を沈めた。明日はまた屋台の営業が始まる。そしてその先には王都の頂点が待っている。
俺は目を閉じ、無意識に右手の包丁を握る感覚を反芻した。
眠りに落ちる直前、俺の脳裏にはまだ見ぬ王女リリアーヌが俺の料理を食べて驚愕する顔が鮮明に浮かんでいた。




