十九話 王都到着まで
星の欠片が西の空に残る薄明の瞬間。 俺は猪の皮のマットから音もなく起きた。 異世界に来てからというもの寝起きがいい。サバイバル生活で神経が研ぎ澄まされているのか、「旨いものを作りたい」というような衝動が身体を突き動かしているのかは不明だ。
焚火が小さく爆ぜ、その火のそばでエルンが剣を膝に置いて静かに座っていた。
「……起きたかのかカケル。早ぇな、あと一刻(二時間)は寝ててよかったんだぜ」
エルンが声を潜めて言った。 三交代の見張りの最後、一番きつい時間帯のはずだがその目の光は鋭い。
「いや、料理人の朝は早いってな。……どうだ、周囲の様子は」
俺がそう言いながら調理器具を取り出し始めると、エルンはふっと肩の力を抜いて鞘に納めた剣を床に置いた。
「静かなもんだ。昨日あのホブゴブリンたちを始末したからだろうな」
「そいつはいいことだ……そうだエルン、ちょっと付き合ってくれ。火を少し強めたいんだ。朝飯の準備にかかる」
「おう、任せろ」
エルンが手慣れた手つきで薪を焚べ火を強くする。そのオレンジ色の光に照らされながら俺は今日のメイン食材を取り出した。
さて、今日の朝食は『霜降り雷鳥』に『ココ鳥の卵』、『クリスタルオニオン』にガストンからもらったパンだ。『ココ鳥の卵』は前の世界の鶏の卵より二回りほど大きく、殻がほんのり青白い。『クリスタルオニオン』は玉ねぎだ。水分量が多いせいか皮を剥くとクリスタルのように内側がうっすらと光を透過する。
「今日の朝飯は、親子丼じゃなくパンを使うから親子サンドかな」
『霜降り雷鳥』を薄切りにしてフライパンの上でじっくりと焼き始める。 ジュワッという暴力的なまでに食欲をそそる音が静まり返った森に響き渡った。 脂が溶け出しそれが鉄板の上で踊る。その脂に『クリスタルオニオン』を加えてさらに焼き、調味料を加えてから『ココ鳥の卵』を二つ割り落とした。
白身がぷっくりと盛り上がり、中心には太陽のように濃厚な黄身が鎮座する。
「……おいおい、めちゃくちゃ旨そうな匂いがするんだが……見張りの集中力が切れちまうよ」
エルンが言いながら、生唾を飲み続けた。
「大丈夫だよ。俺も周囲の警戒はしてるから……おっと、匂いにつられて起きてきたみたいだ」
テントの隙間から寝癖をつけたフィオがふらふらと文字通り「匂いにつられる」ように這い出してきた。
「……はふぅ。この匂い……夢じゃないですよね? お肉が焼ける、幸せの匂いがします……」
「おはよう、フィオ。ちょうど出来上がったところだよ」
すると同じようにテオとガストンも匂いにつられたのか起きてきた。
全員そろったところで朝食を差し出す。皿にはパンの上でしっかり焼けた雷鳥の肉とオニオン、半熟の卵黄が絡んだ一皿がのっていた。
最初にかぶりついたのはやはりというべきか、目を輝かせていたフィオだった。
「いただきます……っ!! ふ、ふぁ……!? な、なにこれ、お肉が……お肉が溶ける! なのに卵がすっごく濃厚でだんだん旨味が……! カケルさん、これ口の中で幸せなダンスを踊ってます……っ!」
フィオは頬をリスのようにパンパンに膨らませて、あまりの美味しさに足をバタつかせている。
「あのなぁ、感想言うより先に飲み込めよ……どれ」
呆れ顔だったエルンも、我慢できずに大きな一口をガブリとやった。
「……マジか。この『クリスタルオニオン』肉との相性が抜群だな。濃厚な卵の中でこのシャキシャキした歯ごたえが最高のアクセントだ。……これ、三食これでも飽きねぇぞ」
エルンは強く言う。まるで戦場に赴く騎士のような真剣さで二口目かじりついた。隣でテオも無言のまま、しかしいつもより早いペースで咀嚼し、最後の一口を惜しむように見ている。
「……カケルさん、これはもう、家庭料理の領域を超えています」
ガストンは、指についたソースさえもったいないと言わんばかりに上品に、かつ情熱的に完食した。
「王都の高級店で提供される鳥料理や卵料理ですが、これほどの調和は奏でていません。素材の鮮度、火の通し方、そしてこの意外な組み合わせ……。これだけで王都の食文化に革命が起きますよ。ああ、私の商会で独占契約を結びたいくらいだ……!」
ガストンは一人の「食いしん坊」として、心底満足げに腹を満たしていた。
「はは、みんなに喜んでもらえて何よりだよ。さて、しっかりお腹に入れたら準備して出発しよう」
「「「おう!!(はいっ!!)」」
元気なセリフが朝の森に響きわたる。俺は空になった皿を片付けながら、まだ見えぬ王都を見据えた。
準備をしているとき、ふと馬車のほうを見たときにガストンが何もない空間に手を差し込んでいた。その指先が空気に溶けるように消え、中から自分の着替えであろう服が現れた。
(あれはアイテムボックス!)
アイテムボックスがめずらしものかどうか確認するチャンスだ。俺はさりげなく歩み寄った。
「ガストン。それ、もしかしてアイテムボックスか?」
「カケルさんでしたか。えぇアイテムボックスですが、なにか?」
「いや、すまん。ちょっと聞きたいことがあってな。アイテムボックスってめずらしいものなのか?」
ガストンは目を丸くし、俺を見つめていた。
「めずらしいというほどでもないですし、スキルは結構な割合で持っている人はいますね。ただ本人の魔力によって容量が成長すると言われています。世間一般ではリンゴ数十個も入れば御の字。馬車一台分なんて収納できる御仁は、王宮お呼びの特級魔導師みたいなものですよ。また魔導具としてのアイテムボックスはそれなりに値は張りますが、王都の大きな商会や中堅以上の冒険者なら一つや二つは持っているのが一般的です。 一応これらの魔導具の容量は製作時の魔石の質で決まっていて増やすことはできませんがね」
なるほど、と俺は内心で頷いた。 この世界では「アイテムボックス」自体はまれに珍しいものではない。魔導具として外付けするかスキルとして内包しているかの違いはあるが、多くの人が利用している「便利なもの」なのだ。
ただ問題はその「容量」だ。 俺のアイテムボックスには肉の塊や魚、野菜などを放り込み、さらに魔物を倒したあとの素材や大量の調理器具を詰め込んでも底が見える気配すらない。聞くとガストンは二メートル四方の容量を持っているらしく、それだけで商人としては優遇されるということらしい。
(……俺の容量は『一般的』な枠を大きくはみ出しているらしいな)
アイテムボックスを持っていることは隠す必要はないが、その「容量」を見せるのはやめておいたほうが良さそうだ。
準備が終わり次第、移動を開始した。 予定では王都まであと二日。 だがガタついた馬車の車輪を労われば、三日の辛抱だ。
道中に何度か魔物の襲撃があった。 森の影から勧められたのは、飢えた『フォレスト・ウルフ』の集団だ。
「……チッ、数が多いな。よし! カケルの朝飯をエネルギーに変える時だ! 行くぞ!」
エルンの号令とともに三人の冒険者が散った。 エルンが盾で突進を受け入れ、テオの長剣で正確にウルフを仕留める。 そして後方からは、フィオの朗読が聞こえる。
「火よ、集え! 『フレイム・バースト』!」
轟音とともにウルフ数匹が焼き払われる。連携は完璧だ。昨日の恐怖を乗り越え、彼らの動きには迷いがない。
俺は馬車の御者台のすぐ横、ガストンの隣で静かに戦況を見守っていた。
(……一匹こっちにきているな)
三人の猛攻撃に気を取られていると見せかけ、低い姿勢で藪を抜け馬車の死角……ガストンのほうへと音もなく忍び寄る影があった。
ガストンが気づくその瞬間、茂みを突き破って一匹のウルフが牙を剥き弾丸のような速さで跳躍した。
俺はガストンの前に立ち、最短距離で踏み込んだ。 跳躍し喉元を無防備に晒したウルフの懐へ。一気に拳を突き出しウルフの下顎から首の付け根にかけて、掌を添え、そのまま自分の体重を乗せて一気に捻り上げました。
――メキッ。
ウルフは空中で完全に意識を刈り取られ、糸の切れた人形のように地面に叩きつけられた。
「あ、あわわ……。今、手だけで……?」
俺は汚れた手を軽く払い、ガストンに安心させられるような笑みを向けた。
「……おいおい。俺たちが必死に剣を振り回してるのに、カケルは手で一番デカい奴の息の根を止めてるのかよ。どんな筋力してんだ……」
「いや、コツを掴めば簡単だよ。……さあ、先を急ごう。血の匂いにつられて次が来る前に進まないと。今夜は早めに野営の準備をして、料理を作るとしよう」
その日の夕刻。 俺たちは小さな丘に早めのキャンプを張った。馬車の揺れに耐えたガストンも、戦い抜いた冒険者たちも、その表情には緊張と疲労の色がある。無理もない。昨日のホブゴブリンの戦闘や今日の戦闘でもかなり疲弊したはずだ。せっかくだし、ここは食事を豪勢にしてみるかな。




