十五話 出発
薄暗い藍色の空にわずかな朝焼けが混じり始めた頃。俺は女将さんが用意してくれた硬めのパンを齧り静かに宿を出た。
朝露に濡れた街の門が見えてくると、そこには見覚えのある銀色の甲冑が立っていた。
「リィン? こんな朝早くからどうしたんだ」
彼女は俺の姿を確認すると真っ直ぐにこちらへ歩み寄ってきた。
「おはようございます、カケル様。旅立ちの朝に、門番の代わりを務めさせていただきました。それと……」
そう言って彼女が差し出したのは、小指ほどの小さな瓶に入った、鮮やかな青色の液体だった。
「これを持って行ってください。高品質のポーションです。私が用意できる、精一杯の餞別です」
「……いいのか? 貴重なもんだろ」
「カケル様が傷つくのは、世界の損失ですから。……さあ、行ってください。王都での噂、心待ちにしていますよ」
「ああ、ありがたく使わせてもらう。……じゃあな、リィン。また会おう」
短く挨拶を交わし、俺は彼女の視線を背中に感じながら、未知の街道へと一歩を踏み出した。
街を出てしばらく歩いてから気づく。
「……うん、そういえばポーションとかの回復薬ってまったく買ってなかったな……」
ふと初歩的なミスに気づいた。というよりもポーションとか存在すること自体気が付いてないからどうしようもないか。先ほどリィンにもらった餞別の一瓶があるとはいえこの先の長旅を考えれば心許ない。普通なら青ざめて街へ引き返すところだ。
(……いや、待てよ)
「勘」が脳裏をよぎった。
「止血は最初の森で採取した止血苔で、鎮痛に効くのは止血苔に銀色の薬草を混ぜればできる。さらに魔狼の肉を特定のハーブで蒸せば疲労を劇的に回復させ、猪肉のある部位は回復を促進させる料理も作れる、って感じか……なるほど。料理で治せばいいってわけか」
ただの知識じゃない。その素材がどう作用するか指先が勝手に理解しているような感覚だ。俺にとってはすべてが「癒やし」になり得る。
「よし、とりあえずは心配いらないか」
俺はリィンのポーションを大切に懐にしまい、再び力強く地面を蹴った。
「さて、まずは距離を稼ぐか」
軽く走り始めてまず驚いた。一歩の踏み込みで地面が爆ぜるように後ろへ飛び、景色が流線型になって流れていく。
(……なんだ、このスピード? それに全然息が切れないな)
前の世界では駅の階段で息を切らしていた俺が、今や野生の獣のような躍動感で突き進んでいる。どうやら俺の身体は本当にチートと化したみたいだ。
「ギギッ、ギィッ!」
茂みから飛び出してきたのは、緑色をした身長1メートルくらいの魔物、三匹のゴブリンだ。
「本物か。ちょっと感動するな」
異世界の定番を前に少しだけ口角が上がる。だが奴らが錆びた剣を振り上げた瞬間、俺の視界はスローモーションに切り替わった。
「下ごしらえも必要ねぇな」
手近な一匹の顎を掌底で跳ね上げ、返り際にもう一匹の鳩尾に膝を叩き込む。最後の一匹は首筋に軽く手刀を入れるだけで崩れ落ちた。
「……食材にもならねぇ。先を急ぐか」
死骸には目もくれず、俺は再び風を切って走り出した。
日が暮れる少し前、街道脇の開けた岩場に陣取った。
「よし、今日の野営はここにするか」
薪を集めて火を起こしたらアイテムボックスからまな板と鍋、そして食材を取り出す。
メニューは、市場で仕入れた「ワイルドバスクボアの香草焼き」だ。ワイルドバスクボアは簡単に言うと豚肉に近い。豚肉特有の柔らかさの中に野生種らしい力強い弾力があり、木の実などを食べているということで獣臭さがほぼない。
熱した鍋に脂を引き、ハーブを散らして肉を置く。ジュワッという爆ぜる音と共に、肉汁が閉じ込められていく。塩コショウで味付けをしたら完成。
「……旨い。外で食う飯は、どんな名店より五臓六腑に染み渡るな」
……わかっている。野菜も食えって言ってるんだろ?大丈夫、今日だけだ。たまにはワイルドに肉だけ食っておきたい日もあるだろ?
食事を終えて夜の静寂が降りてくる中、ふと考える。
(これ、もし寝ている間に魔物に襲われたら……?あれ?俺寝れないんじゃね?)
考えようとした俺を「勘」が制した。
「……半径50メートル、敵意なし。危険が近づけば起きる。いきなり襲われたとしても体が反応するから大丈夫、か……心強いけど、やっぱり心配だな……」
俺は猪の皮で作ったマットの上に横になり、空を埋め尽くす見知らぬ星を眺めながら、多少心配になりながらも深い眠りへと落ちていった。




