7.
手紙を出すのにいつもの倍くらいの時間をかけて手続きをして、すごくのんびりと歩いたからもう食事は済んでいるだろうなと思っていたけれど、まさかお店の外で待たせるくらいになってしまったとは。さすがにそれは時間をかけすぎたと思って、急いで二人の元に駆け寄った。
「ごめんなさい、お待たせしちゃったわ」
「大して待ってないから気にするな」
そう言うけれど、ヴォルフは食事をしていたはずなのに、何故だかわたしが出た時よりも疲れが見える顔をしているし、反対にルークはにこにことご機嫌だ。大したことないと言われても実際のところはそこそこ店先で待っていたんじゃないだろうかと考えて、今度はルークにどれだけ待ったかを聞こうとしたら、わたしが口を開くよりも早く、焦った声が耳に飛び込んできた。
「セレネ! ヴォルフも一緒か!」
「え、アロンズさん!?」
客商売だから見た目も武器だと笑って、いつも綺麗に櫛を入れて整えていた緑色の髪は、あちこちに飛び跳ねている。ぼさぼさになったその髪を気にすることなく、忙しなく動く紫色の瞳が捉えていたのは、わたし達の姿。
仕事がらリュムのどの町にも知り合いはいると言っていたし、一度は訪れたことがあると聞いていたけれどまさかここで会うとは思ってもいなかった。
「どうしてここに……」
「どうしたも何も、羽根を送りつけてきたら心配するだろうが!」
手に持っている極彩色の羽根は、確かにアロンズさんのもの。わたしが定期的に手紙を送るときにつかっていたそれは、一度リュムを離れた時に手放した。
それを今、アロンズさんが持っているという事は、ヴォルフにあの時のわたしの意図が上手く伝わっていたという事で。
「ごめんなさい! いろいろと事情があって……」
「それを聞くつもりでここに来てるんだよ! 時間あるよな?」
「もちろんです!」
わたし達の姿を一目見た途端に、道のど真ん中にも関わらず安心したように座り込んだアロンズさんを、行き交うヒト達が面白そうに見ている。当然、その隣で声をかけているわたし達も注目の的だ。こんな状態では落ち着いて話が出来ないから、と場所を変える提案はアロンズさんから出なかったら、わたしからしていた。
一瞬で気持ちを切り替えたアロンズさんが、いつも使っているという宿に向かって歩き出す。ヴォルフは大人しくアロンズさんの後ろをついて行って、初めて会ったヒトに道で怒鳴られる経験をしたルークは、目を丸くしていたけれど特に文句を言う事はなかった。
「あのヒトがセレちゃんを心配してるってことくらい、伝わってるよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」
宿に向かう道すがら、ルークには簡単にアロンズさんの話をした。わたしが定期的に手紙や小包を送っているのを知っているから、住んでいた町にいる手紙の受取先だと説明すれば、すぐに頷いてくれた。町から町に配達をしてくれているんだといったら、あのヒトが、なんて小さく零していたけれど。クマ族も独自の情報網を持っているから、何か思うところがあるのかもしれない。
そんな話をしながらだと、あっという間に宿に着いた。いつも使っているというアロンズさんの言葉通り、宿の主は顔を見た途端に部屋の鍵を投げてきたのにはびっくりしたけれど。
当たり前のように受け取ったアロンズさんが進んでしまったので、こちらに小さく手を振ってくれた主に軽く頭を下げてから、慌てて背中を追いかける。
通された部屋は一人で使うには十分すぎるけれど、わたし達も入れて四人はさすがに狭く感じる。備え付けの椅子にはわたしとアロンズさんが座り、ヴォルフとルークはベッドに腰掛けた。
「話は、分かった。それでセレネ。これからどうするんだ」
「どうするって、リュムの地図の残りを埋める」
「そっちじゃない。リィグレット家の方だ」
スティーブとのやり取りは、ちょっとだけ騒ぎになったようだ。それはヴォルフは気づかなかったけれど、ルークは周りの視線を集めていると分かっていたらしい。港がある町なら大なり小なりの騒ぎは毎日のようにあるから、特に話が尾を引くことはなかったみたいだけれど。
ただ少しだけ噂になったから、アロンズさんは羽根が届くや町を飛び出してきてくれたそうだ。そのなかで集まった情報や、前から持っていたものを組み合わせてリィグレット家の状況と照らし合わせたんだろう。
アロンズさんに今まで家の名前を出されたことはなかったから少し驚いたけれど、続く言葉を聞いて納得した。
「俺はマリアンヌから多少なりとも事情を聞いてる。助けになるようにも頼まれた。だがな、お前はどうしたいんだ」
おばあちゃんから話を聞いていたのなら、リュムにいて知るはずもないモジュールのヒト族のお家事情に詳しいはずだ。わたしがどうしたいのか、を尊重してくれていたから今までその名前を出すこともなく、見守っていてくれた。
改めて突きつけられた、家との関係をどうするのかという問い。ずっと考えてはいたことだけど、すぐに答えることが出来ずに俯いたら、そのタイミングを見計らったかのようにいつもよりも低くなった声が響いた。
「おいアロンズ」
「だいたいヴォルフ! お前がついていながら……」
「分かった、それについては何の弁明もない」
「ヴォルフが謝ることはないわ。あれはスティーブがあんなのを持ち出したのが悪いのよ」
黙ってやり取りを見守っていたのに、声を挟んだ途端にアロンズさんが矛先をヴォルフに向ける。二人の会話から、わたしが町を出る時にヴォルフがついてきてくれたことは、アロンズさんも承知していたんだろうなと思える節があったけれど、今はそれを問いただすときではない。言われたからにしろ、今までついてきてくれたのは事実だしとても助かったもの。
「そうだ、アロンズさん。一緒に液体を送ったでしょ?」
「ああ、あれな。まだ結果は出てない」
自分でスティーブの名前を出してから思い出すなんて、とへこんでしまったが、大事なのはわたしの気持ちよりもあの瓶の中身だ。話を振ってみたけれど、やはりリュムだと中身を調べるのにはそれなりに時間が必要なようだ。
ただ、アロンズさんが渋い顔をしていたからきっとあれは嘘でもはったりでもなく、獣人に害ある液体である可能性は高いけれど。
「んで、お前はどこのどいつだ」
話がある程度落ち着いたところで、思い出したかのように指名されたのはルーク。自分が話に入っていくことはないと思っていたのか、腰掛けたベッドの上で寛いでいたから慌てて背筋を伸ばしていた。
「えっと、初めまして僕は」
「ヴォルフが気を許したんだったら俺にとっても友って事だよな」
「え、友……!?」
マイペースに見えるけれど、実はルークがわたし達の中で一番頑固だ。わたしは認めていないけれど割と単純らしいし、ヴォルフは相手と事情によっては、折れてくれることはある。だけど、ルークは自分が良いと思うまでは絶対に首を縦に振ることはない。それだけ、自分の芯をしっかりと持っているという事なのだけれど。
どんな状況でも自分のペースを崩さないルークが、アロンズさんに押し負けている。まあ、アロンズさんと一緒にいてその空気に巻き込まれなかったヒトは今まで見たことがないから、ルークでも敵わなかったか、としか思えない。
がっしりと肩を組まれ、ちょっとそこまで飲みに行くか、と引きづられて行くルークからは、助けを求める声が聞こえていたけれど、わたしもヴォルフも、手を出せなかった。
アロンズさんが、二人でちゃんとに話せと目だけで告げてきたのを読み取れてしまったから。
「セレネ」
それを読み取ったのは、わたしだけじゃない。あの町で一緒に過ごしていた時間があるヴォルフも同じ。だからこそ続いてしまった沈黙、それを破ったのはヴォルフだ。ベッドから降りて、さっきまでアロンズさんが座っていた椅子に移動してきた。
食堂でのやり取りと温もりを思い出して、頬に熱が集まってきたのを感じた。当然それにはヴォルフだって気づいているだろうに、指摘される事なく真っすぐと見つめて来る銀色の瞳。中に映っているのはまとめるのを忘れて広がる、わたしの金髪。
「アロンズの言う通り、あの時にお前を守れなかった俺に、こんな事を言う資格はないのかもしれない」
吐き出されるような声は苦しそうで、ヴォルフがここまで感情を露わにするなんてほとんどないから、どれだけあの出来事を重く受け止めているのかは嫌でも分かった。
それを言うなら、わたしだってスティーブを窘めることは出来ても、行動を止める事までは出来なかった。資格がないというのならば同じだろう。
「だけど、言葉にしなくて、行動しなくて後悔することはもうしないと決めた」
「わたし、自分の気持ちがまだ定まっていないわよ」
ふわり、再びふくらはぎに感じた温もりに苦笑を漏らしたが、目の前の尻尾の持ち主は何食わぬ顔でこちらを見ている。
定まっていない、ではない。感じている気持ちはおそらくヴォルフの望んでいるものと同じだろうけれど、自信が持てない。お父様の手紙があるとはいえ、モジュールの家を捨てようとしている自分は、果たしてこの温もりを手離さずにいられるのか。同じことが起きないなんて、言い切れないのだから。
「それなら、どれだけでも待っているさ」
「家の事でまた迷惑をかけるかも」
「今度は、あのいけ好かない男に負けはしない」
自分で名前を出したのに、思い出したら腹が立ったのか低い唸り声を口の中で転がしているヴォルフが、じっとわたしを見つめている。たぶん、どうしてわたしがこんなことをわざわざ言い出したのか、理由に気がついたのだろう。ハンターに狙われていたからか、自分の事はどうでもいいと思っているところがあるのに、どうして懐に入れたヒトにはよく気を配ってくれるのだろうか。
「あれこれ理由を並べるな。お前は、どうしたい。俺たちと、俺と一緒にいてくれるのか」
その聞き方は、ずるい。そう思っていないはずがないと、断られる事なんてまるで考えてもいないような問いかけに、頷けないはずがないのに。
「いたいわ。ヴォルフと、ルークと一緒が良い」
「……まだまだ、これからか」
「何か言った?」
だから、自分の気持ちを正直に告げれば、少しだけ溜め息を吐かれて、次いで何かをボソリと呟かれる。目の前にいるのに聞き取れなかった声に首を傾げたら、何でもないと頭を撫でられた。
今までだって何度か経験しているのに、その手が頭に触れているのだと感じた瞬間、さっきまでの比ではないくらいの熱が集まった。ボンっと音を立てて沸騰したんじゃないかと錯覚するくらいの熱に、ヴォルフの顔を見ているのが気恥ずかしくなり、自分の顔を隠すように頭を下げていたらクツクツと小さな笑い声が上から振って来た。
「言っただろう、俺が離れるのはお前がそう望んだ時だ」
「それなら、ずっと一緒よ。これからも」
俯いたままで告げた言葉は、確かに届いていた。さらりと垂れて来た金髪の間から、わずかに見えたヴォルフの顔は、今まで見て来たどの表情よりも柔らかく微笑んでいたのだから。




