5.
「ふぇ? ふぁえりゃなひ?」
「食べながらしゃべるんじゃない」
むぐむぐと口の中に食べ物を詰め込んでまるでリスのようになっているルークが、そのまま口を開いたので即座にヴォルフが頭を小突く。思っていたより痛かったのかジト目を向けていたが、何で小突かれたのかは分かったようだ。口の中には結構な量の食べ物を詰めていたから、空っぽにするにはちょっと時間がかかるだろう。
「お腹空いていたのね。先に食べてから聞くわ」
はい、と水の入ったコップを差し出せば、困ったように眉を下げていたけれど笑顔で受け取ってくれた。
「セレネ、ルークを甘やかすな」
「甘やかしてる、のかしら」
食べ物を飲み込もうと焦っているルークに、水を差し出すのは普通の事じゃないのだろうか。
丸いテーブルに座っているから、どこを見てもお互いの事が視界に入るのだけれど、頬杖をついたヴォルフが面白くなさそうな顔をしている。モジュールから帰ってきてからというもの、少しずつだけど前みたいに感情を表に出してくるようになったヴォルフの変化は嬉しいけれど、正直まだわたしが慣れていない。
どう反応するのが良いか悩んでいる間に、口の中を空っぽにしたルークが、水を飲んで一息ついた。
「帰らないって、本当!?」
「ええ。本当よ」
目を丸くして、すごく驚いたように声を上げたルークに、頷いて軽い調子で言葉を返す。思い返してみたら、船に乗ってからもバタバタしていてこういう話をする時間はなかった。朝といっても出入りの激しい時間帯は過ぎていたようで、お店も少し落ち着いた雰囲気だからちょっと話が長くなっても大丈夫そうだ。
「せっかくリュムの半分は巡れたんだもの。帰るより先に行きたいわ」
「セレちゃんが良いならいいけどー」
「いいのか」
ヴォルフが念押しするように小さく問いかけて来たけれど、同じテーブルにいるルークに聞こえていないはずはない。わたしの答えを聞いて満足したルークが、目の前の食べ物に夢中になって聞いていない可能性はあるけれど。
ヴォルフが気遣ってくれているのは、実の両親とあんな別れ方をしたのだから休息が必要じゃないのかということだろうか。その気持ちを向けていてくれる、と考えるだけでわたしは十分に満たされているし、素直にありがたいと思う。
それなのに、わたしの中の欲張りな部分が、もう少しと顔を出しているのだ。
「おじいちゃん達に、お話しないといけない事はたくさんあるんだけれど」
ここから先は、自分にも言い聞かせるように。迷惑にならない程度に声を張れるよう、姿勢を正す。
目の前のソーセージに夢中だったルークも、何かを感じ取ったらしく一度手を置いてわたしに視線を向けてくれた。ヴォルフは頬杖をついたままだけど、表情は真剣だ。そんなに構えなくても、獣人が私の声を聞き逃すなんてことあるはずがないのに。
そうして構えてくれる二人の姿が嬉しくて、わたしは笑顔で宣言できた。
「だけど、それよりも楽しい話を持ち帰らないと怒られちゃうわ」
「ああ、あいつらならそうだろうな」
「セレちゃんのおじいちゃん達ってどんなヒトだったの?」
その姿が想像できたのか、ヴォルフは苦笑いだ。おじいちゃんはどんな話でもニコニコ頷きながら聞いてくれたのだけど、おばあちゃんの場合はきっちりとやり返した話までセットでないとどうしてやりかえさなかったのか、とお説教されることがあった。きっと、ヴォルフが想像したのはおばあちゃんの方だろう。
「そうねえ、どんなと言われると……説明が難しいわ」
名前は聞いたことあるらしいけれど、それはどうやら自分の力だけでどうにも生活できなくなった時の最終手段として、だそうだ。だから、ルークが知っている祖父母は町に冠された名前だけ。
獣人の中でその名前が広がっていることは嬉しいけれど、名前だけでなく、祖父母の姿を知っているヒトはこれから、減る一方だ。それが、どうにもならない事だとは分かっているが、少しだけ寂しい。
「ねえ、セレちゃん。僕ね、これから会う仲間に、モジュールのこと伝えていきたいんだ」
「どうしたの、急に」
突然、だった。反射のように返事をしたけれど、あまりにもいきなりすぎるルークの言葉には、頭の中で疑問がグルグル回っている。
「モジュールに行ってからずっと、考えてたんだよ。知らないからって怖がってばかりだったけど、知ろうともしていなかったなって」
獣人にとってモジュールは行ったが最後、リュムにもイシュバーンにも戻れることはない。それが当然だから、それ以上の事を知ろうともしていなかったと。
だけど、ルークとヴォルフはモジュールに自分の意志で向かって、そしてリュムに帰って来た。もしかして、他にも同じように自分の意志で行き来をしている獣人がいるのではないかと考えたら止まらなくなったらしく。あまりにも獣人がモジュールの事を怖がっているから、言い出せないだけなのではないかと考えたそうだ。
「必要以上にビリーと話していたのはそれか」
「だってビリーとの話は楽しいもん! ってそうじゃなくて」
パッと明るくした表情を見るだけで、ルークがどれだけ楽しく過ごしていたのかを感じ取れる。ヴォルフが何の気負いもなくヒトの名前を出すのだから、あまり心配はしていなかったけれど本当に、いい関係を築いてきたものだ。
ルークが出すと張り切っている手紙には、わたしも一筆添えさせていただかないといけないだろう。
「ヒト族ばかりだし、獣人に良い感情を持っていない。だけどそれってあっちも一緒なんじゃないのかな」
「リィグレット家みたいに明らかに嫌悪していているヒトもいるわよ?」
大陸間の移動に制限はないが、ヒト族はモジュールから出たがらない。わたしや、デーナで会った警吏のミスティのように、モジュールからリュムに移るのは珍しい。リュムで生まれ育ったヒト族、なら少なくないけれど、それでも獣人とは比べ物にならないくらいの少なさだ。
だからこそ、モジュールでも獣人に対してもイメージがなかなか変わっていかないのかもしれない。
本当に久しぶりに戻ったモジュールは、技術だけは発展しているけれど、考え方の方はどうにも立ち止まっている印象が否めなかった。
モジュールに行ったことは、危険な賭けだったのかもしれないけれど確かにルークに刺激を与えたようだ。きっかけがわたしの事だったのは申し訳ないし、嫌な思いもさせたのは事実なのだけど、それに対しての謝罪は、一切受け取ってもらえなかった。
「だから、セレちゃんがリュムを巡るのに、これからも一緒に行きたい!」
今までは、ただ興味を持ったから、気に入って楽しそうだからついてきた。その感覚がルークにもあったのかもしれない。改めて一緒に行きたいと告げた顔は突然しっかりとしたようにも見えて。だけど、その変化はとても素敵なものに見えた。
そんなルークを眩しそうに見ていたヴォルフは、ゆっくりと口を開いた。
「俺は――」
「セレちゃんと一緒にいられるなら何でもいいんでしょ?」
「ルーク!」
モジュールから帰ってきてから見ることが増えた、ルークがヴォルフをからかう姿。それだけならまだ笑って流せていたのに、ヴォルフの気持ちはわたしに向いている、と思いたい。わたしの自惚れでなければ、なんだけれど。
今もふわりと撫でるように触れる尻尾の感覚に、くすぐったくて少しだけ息が漏れる。
テーブルの下で、わたしの足にそっと触れている尻尾はルークからは見えていない。だけど、赤褐色の髪から出ている耳を小さく揺らしているルークにはわたしのくすぐったさを我慢している吐息は確実に届いているのに、このヴォルフの行動に対しては見なかったふりをしているようで何か決定的な言葉を告げることはない。
獣人が尻尾を大事にしているのはどの種族だろうと当然の認識のはず。それはもちろんヴォルフだって知っているし、そもそもそれをわたしや祖父母に教えたのはヴォルフだ。幼いわたしが、あまりに無遠慮に尻尾を握りしめていたらしいから。
町のヒト達は、わたしが小さかったこともあって微笑ましいと受け取ってくれていたようなんだけれど、今考えたら誰彼問わずに挨拶をしてくれたヒトの毛並みを堪能したり、尻尾を追いかけまわしたりとなかなかなことをしでかしていた。
その、大事にしている尻尾を相手の体に触れさせることは、相手を信頼しているのもあるけれど、このヒトなら大丈夫だという安心と愛情を感じているあかしだと。
わたしに尻尾はないけれど、その温もりが側にあることは、嬉しいと思う。
「セレネ」
「はいっ!」
ついつい自分の考えに耽ってしまった間に、やり取りは終わったらしい。ルークが頬を赤くして涙目になっているんだけど、口封じをするだけでいったい何をしているのだろうか。
「ルークが言っていたことは忘れろ」
するりと足を一撫でして、温もりが離れていく。途端に感じたのは、肌寒さ。それが、温かいものが離れたことによるのか、それとも別の理由があるのか。今のわたしはそんな事を考える余裕もないほどに隣にいるヴォルフの表情に釘付けになってしまった。
「お前と一緒にいられるなら何でも、じゃない。
お前が隣にいるなら、どこへでも付き合うさ」
あまりにも、優しい声でそう告げるから。銀色の瞳も、優しい感情を乗せたように細められていて。
感情を表に出さないようにしてきたヴォルフの顔を知っているからこそ、こんな露わにされた気持ちを見て、自惚れるなという方が無理だ。
ありがとう、とそう答えるだけで精いっぱいだった。




