3.
セレネ視点に戻ります。
手を離さずに、ぎゅっと握り返してくれたルークのぬくもりに勇気をもらうように、ひとつ息を吐いてから振り返る。そこにいるのは、今の空の色みたいな黒い髪を風に揺らしているヴォルフ。
瞬きを忘れたように目を開いて、わたしを見つめている姿が珍しくて、ついじっと見つめてしまう。
ヴォルフがこんな気を抜いたような姿を見せるのも、本当に久しぶりだ。祖父母と一緒だった時にようやく見せ始めていたその様子は、町に襲撃があった時を境に隠されてしまったから。
それだけ、周りを気にしながら生活してくれていたのだと思うと同時に、そうさせたのはわたしのせいなんじゃないだろうかという考えが頭をかすめる。
たとえ負担になっているのだとしても、それでも。わたしが一緒にいたいと思うこの気持ちは、伝えておきたい。
「……ヴォルフ?」
あまりに返事がないから、顔を覗き込んでみたらすごい勢いで逸らされた。何だか少しだけ悪戯心がわいて、ググっと体を伸ばしてヴォルフが逸らしたほうに回ってみたら、顔を私に絶対見せないようにぐるんっと体ごと背けられてしまったけれど。一瞬だけ見えた顔は、わたしの気のせいではなかったら、ほんのりと赤に染まっていた。それを確認する機会は、きっと二度とこないだろう。
あんまりしつこくするとそっぽを向かれるだけでなくて機嫌も悪くなってしまうから、そのまま隣でヴォルフが反応を返してくれるのを待つ。
「言っただろう、お前の行きたいようにと」
しばらく待っていても反応がないし、風も冷たくなってきているのでそろそろ部屋で休もうかと思って一歩踏み出した時、ポツリと返事を求めていないような音量で呟かれたのは、いつか聞いた言葉。
「それって」
「嫌だと言うまで付き合うさ」
星を反射したように瞬く銀色の瞳は、確かに優しく細められていた。もしかしたら初めて見るかもしれないヴォルフのその表情に、今度はわたしが顔を赤くする番だった。
「ねえ! 今日さ、三人で寝ようよ」
がばっとわたしと、ヴォルフの肩を抱くように飛び込んできたルークからの提案。それは今まで何度か話に出したことがあったけれど、その度にヴォルフから断られていた。
わたしとルーク、でもあれこれ理由を挙げられて結局リュムを旅している間は一度だって誰かと一緒のベッドで寝ることはなかったけれど。
「ベッド狭いんじゃないかしら」
「大丈夫、僕寝相いいよ」
確かにルークは寝相が良い。体格がいいから、小さ目のベッドしかない小屋なんかだと窮屈そうにしていたけれど、朝起きたら床で寝ているなんてなかった。
夜中に大きな音がしたこともなかったから、落ちてこっそり戻っているという事もなかったはずだ。
「そういう問題じゃ……」
「じゃあ、セレちゃんと僕が一緒に」
「させるわけないだろ」
毎度のように止めようとしたヴォルフに、ルークがさらに言葉を重ねる。いつものように見えるけれど、今日はヴォルフが食い気味に言葉を返すことで、ルークがそれ以上何かを言う事を食い止めた感じがした。
「ふふ、ならわたしが真ん中ね」
「寝るとも言ってない」
「えー、いいじゃんヴォルフー!」
真ん中で肩を抱いているルークが歩き出したから、それに引っ張られるようにしてわたしとヴォルフも歩き出す。わたしは出来ないけれど、ヴォルフの力ならルークの腕を振り払う事だって簡単なはずなのに。肩を抱かれたまま部屋に戻るわたし達を見ているヒトは、誰もいなかった。
夢だと、思ったの。
モジュールにいるはずのないヒト達の姿を、しかも婚約者と顔合わせなんてしている時にとうとう幻覚を見るほど、焦がれていたのかと。
「セレネ!」
「セレちゃん!」
だけど、そう叫んだ声はあまりに鋭くわたしの耳を刺激する。テーブルの下で握っていた手に、爪を立てて走った痛みが、これがわたしに都合の良い夢ではない事を教えてくれる。
「なんでここに獣人が……!」
「お嬢様の事をそんな呼び方するなんて!」
「危険です、僕の後ろに」
ガタンと音を立てたのは、テーブルマナーに厳しく冷静なはずの母。飛び込んできた招かれざる客の彼らを睨むように見て、すぐに使用人たちに指示を出す。もちろん、それよりも前に彼らがわたし達の元に来れないようにそれぞれが許された武器を構えたり、婚約者たちを守るように前に立ったりしていたのだけれど。
そして、ランドセン様も突然の乱入者にびっくりしていたけれどそれは一瞬で、すぐさまわたしを守るように背に庇ってくれた。想像もしていなかっただろう状況なのに、冷静に判断して最善だと思うように動けるヒト。
本当に、わたしにはもったいないくらい。たくさんの候補の中から父と母が選んだんだろうけれど、そういうヒトを見る目は確かなヒト達だった。
「いいえ。彼らは危険ではありません」
「……え?」
きょとんとした表情は初めて見せてくれたけれど、さっきまでの緊張した様子よりもよっぽど親近感がある。それを知ったのが、このタイミングだというのが少しだけ残念だと思えるくらいに。
ランドセン様のご両親は、家の使用人が守りを固めている。その中で、父がそっとスティーブの傍に寄っていった。
「スティーブ。彼らは残ったのではなかったのかい?」
「あのまま引き下がれるわけないじゃん! 追いかけてきたんだよ!」
父としては、こっそりと耳打ちしていたはずなのに、ルークがそれに答えたことは予想していなかったようだ。わたしと同じ、空色の瞳が見開かれて反応を返したルークを捉えている。
そして、スティーブも似た反応をしていたから、ここにいるヒトは獣人の聴覚というものを甘く見ているのだろう。モジュールで獣人と関わることなく過ごしていたら、彼らの身体能力の高さを知る機会なんてないから無理もないけれど。
「申し訳ありません。責任をもって」
冷静に仕事をこなすスティーブ、その言葉が途切れる。そうさせたのは、わたしが立ち上がって、彼らの方に歩き出したからだろう。
名前を呼ぶ声も、止める声も聞こえている。それはわたしが足を止めるだけの理由にはならない。
だけど彼らのところに合流する前に、どうしても伝えておきたいことがあったので、それだけは今話しておかないと。もう、会う事はないだろうから。
「ランドセン様。素敵なお花とお手紙、ありがとうございました。きちんとした返事が出来ずに申し訳ありません。
全てのお手紙への返事は、私の部屋に残してあります。場所はセーラにお聞きください」
「セレネ、」
言いたい事だけを告げて、背を向けるわたしは酷い女だろう。この短時間でも、心を砕いてくれたことは、本当にありがたかった。何も知らないままだったのなら、きっと共に穏やかな時間を過ごしていけただろう。
ランドセン様から伸ばされた手は、取れない。この手はもう、掴む方を決めているから。
「来い!」
そうして伸ばされた手に、迷うことなく自分の手を重ねた。呆然とする家のヒト達は、誰もわたしを、そして隣で笑っている獣人を止めずに見送るだけ。
誰にも邪魔されないので、途中で足を緩めて家の玄関に向かえば、見慣れた鞄が一つ、ぽつんと置かれていた。それはわたしがリュムでもずっと使っていた鞄。誰かに見つかれば処分されてしまうだろうと思っていたから、クローゼットの奥に隠すように置いてあったはずなのに。
もしかして、と思って中を確認したら旅に必要そうな物が一通り揃っていて。これがどうしてこんなところに置いてあるのかと思えば、見覚えのない手紙が置いてあった。
「また見てるのか」
部屋に戻って、ルークの宣言通りにベッドに一緒に飛び込んでから、胸のポケットにしまい込んでいた手紙を取り出して眺めていたら、隣から呆れたような声が聞こえた。
「ええ、予想外だったから……今でも信じられなくて」
手紙の主は、父。母とはまた違うけれどやはり手書きなのに印刷したように乱れもない文字が書き連ねていたのは、あの日わたしが疑問に思ったことの答え。
「セレちゃんが何の心配もなく、この船に乗れているだけじゃ足りない?」
「ううん。十分すぎるんだけど、あの父がそう手配した、というのがね」
「チケットは鞄に入っていたんだろう?」
ヴォルフの言う通り、この船のチケットは手紙と一緒に入っていた。ご丁寧にわたしの家のある街から、港までの交通を手配したものも。おかげでヴォルフとルークにわたしという文字通りの荷物を抱えて全力で走らせるなんてことをすることもなく、港まで辿り着けたのだけれど。
時間はギリギリだったし滑り込むように船に乗ったから、部屋の手配まで出来ているチケットの存在はありがたかった。
「こうなるだろうと思っていた、って簡単に書いてあるけれど」
「戻るつもりがないなら、任せるしかないだろう」
もう寝ろ、とまるで子供をあやすようにぽんぽんと布団を叩かれているうちに、そのテンポが心地良くなってきてどんどんと瞼が下がってくる。
父の手紙を見て、考えていたことが輪郭を失くしぼんやりとしていくなかでしわになったり折れたりしないようにと思ったのだけれど、その動きすらも億劫になる。
見かねたヴォルフが、隣のテーブルに置いてくれたのを見て安心したら、あっという間に眠っていた。




