12.
セレネ視点に戻ります。
「お嬢様」
「セレネ様」
この家にいる誰もが、わたしをセレネと見ることはなく、リィグレット家のご令嬢として接してくる。そして求められるのも、令嬢としてのわたし。そこに、セレネの意志は必要なくて、行動のすべてはリィグレット家のために。
「よろしいでしょう。離れていたとはいえ、身になっていたことが多かったのはようございました」
「ええ、これなら顔合わせまでのスケジュールを組み直してもいいでしょう」
急に招いたにも関わらず、嫌な顔一つ見せなかった講師は、満足そうに笑っていた。それに相槌を打つのはスティーブ。手帳を開いて、講師とあれこれ話しているのをわたしは一息つきながらぼんやりと眺めていた。
言葉遣いや相手を前にした時の会話の順番、その辺りを全部含めて礼儀作法としての勉強から始まって、食事のマナーに、ダンスの練習まで。婚約が決まってから、相手に顔合わせをするための数日で令嬢としてを徹底的に教え込むとお父様から言われたのは、今朝。
今まで学んでいたことを忘れていないかの確認と、勉強し直す部分とに分けるためにひたすら動いていたから、何も考えずに椅子に座れることがとても安心する。
「組み直し、ねえ……そんなにわたしの事を逃がしたくないのかしら」
帰ってきて、食事を共にしたのは夕食一度きり。分かっていたけれど両親はそれ以降、わたしに時間を割くことはしなかった。自分たちがわたしの行動を押さえ切れないと一度経験しているから、取られた手段は家どころか部屋からも出る事が叶わないようなほどに決められたスケジュール。起きる時間から寝る時間を決められるだけではなく、食事や休憩、全てにおいて分単位で移動が求められるスケジュールを組まれているうえに、どこに行くのにも必ず護衛がつくようになった。
婚約を控えた身に万が一があってはいけないだとか言っていたけれど、つまりはわたしが逃げ出さないように監視なのだろう。前科がある以上、信用なんてないけれど。それを問いかけたところで誰からも返事はもらえなかったけれど。
「獣人と共に居ただなんて、しっかり身を清めておかないと」
「洗練されたマナーこそ人間の証ですよ」
「相手も、そんな話題を上げられても困ってしまいます」
この家に帰ってきてからというもの、本当にうんざりするくらいに聞いた言葉たち。誰もわたしがリュムでどう過ごしていたとか、おばあちゃんがどれだけ笑顔でいたのかを聞こうともしない。それなのに、獣人が汚いとか、共に過ごすなんて信じられないといった否定的な事はどれだけ耳を塞いでも聞こえてくる。
それが嫌で飛び出してもう何年も経つというのに、やはりこの場所は変わっていない。
「二人は、どうしているかしら」
あんな形で別れたわたしには、二人の事を心配する資格なんてないだろう。ヴォルフなんかはわたしがいなくなってせいせいした、なんて笑っていそうだ。想像したら悲しくなったけれど。
それとも、もう二人とも自分の好きなように放浪しているのだろうか。
スケジュールを調整するから、と戻って来た部屋。ベッドに飛び込んでうとうとしていると余計な事ばかりが頭に浮かぶ。
このままでいても、ろくに考えも纏まらないだろうと諦めて、目を閉じる。朝から詰められたスケジュールで思っていた以上に神経をすり減らしていたのだろう、自覚していなかった疲れがどっとやってきて、誘われるように意識は沈んでいった。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか」
コンコン、と控えめながら定期的に聞こえてくる音に、沈んでいた意識が浮上する。ぼんやりする頭で声の主を探す。部屋にはもちろん、誰もいなくて。音はドアのノックだと、思い当たって向こう側でわたしの返答を待っているヒトに声をかける。
「今起きたわ。お待たせしたかしら」
ドアを開ければ、思い描いていた声の主と一致する茶髪が頭を下げていた。待たせてしまったことは事実なので、頭を上げてもらってわたしが頭を下げた。
皺が出来ている服を隠すように上着を羽織ったけれど、それすらも目の前の男にはお見通しだろう。一瞬、咎めるように目を細めたスティーブは、特に何かを言及することはなかったけれど、きっと明日からの調整したスケジュールに変更があるだろうなとは思う。笑顔になる前の表情は、険しかったから。
「夕食だとお呼びしても反応がないと、セーラが心配していましたよ」
「そう、後で謝っておくわ」
「それには及びません。私から伝えておきますから」
にっこりと、表情を読ませない笑顔を作り込んだスティーブは、それも侍女の仕事ですと言いきった。それだけの確認なら、他のヒトでも良かったはずだ。教えてもらってはいないけれど、この家の使用人で一番の位置にいるだろうスティーブには、抱えている仕事は山のようにあるはずだから。
「じゃあ、何の用事かしら?」
わたしに目的があったのでしょう、と問いかけるような視線を送れば、胸元から一通の封筒を取り出した。
薄い水色に金で縁取りされた封筒は、少しだけ夜空の月を連想させた。
「こちらを、婚約者様からのお手紙です」
「手紙?」
「ええ。お嬢様に会える日が待ちきれないと、花束と一緒に届いております」
モジュールで、花は貴重品だ。そもそも、花を愛でるという習慣があまりない。広い庭を誇っていても、そこに緑があるかといわれればそうではないし、どちらかといえば美術品などを飾るためのスペース、という認識が強いからだ。毎日手を入れなければいけない草花は、本当に道楽という扱いをされる事がほとんど。
だからこそ、婚約などで生花を使った花束を贈る事、その花の種類や大きさなどで相手の懐具合や差配の管理を問われることになるのだけれど。
スティーブの機嫌が良さそうなのは、わたしの婚約者はリィグレット家にふさわしいと判断されたからだろう。
「その花はどこに?」
「ええ、それをお嬢様に確認をさせていただきたく参りました」
スティーブは封筒以外何も持っていない。わたしが今聞いたのは、その届いた花はどこにあるのか、という事だったのだけれど、スティーブから返って来た答えは、わたしの欲しいものではなかった。
「どちらにお飾りいたしましょうか?」
「半分は部屋に入れてちょうだい。残りは、食堂に」
この場に持って来ていないのは、花束と呼びながらもそれなりに量があったからだろう。花の名前は簡単にまとめて紙にしてくれていたからざっと目を通す。見たところ、香りが強いものはなかったのでそう指示すれば、一瞬だけスティーブの目が細められた。
こういったところでもわたしの言動を確認しているのだろう。リィグレット家の長女は、そのくらいの手配なら息を吸うように簡単に出来るのだと教え込むように。
「畏まりました。では、お部屋に失礼しても?」
「……セーラに預けておいて」
別に部屋を見られて困るわけじゃないけれど、鞄に入っていたノートなんかは机に広げたままだ。それは、誰にも見られたくない。
この街はもちろんだけど、家の中でだって獣人に対して肯定的な言葉は今のところ一つも聞いていない。そんな中でリュムの事を書き綴ったノートが見つかればどうなるのか、なんて想像しなくても結果は見えている。
幸い、この家では部屋の中にいる時だけは自由にさせてもらえるから、わたしが隠している限り、あのノートの存在は誰にも知られることはない。
「では、そのように。
夕食はいかがなさいますか」
「迷惑じゃないならいただきたいわ」
中途半端な時間に食堂に行ってしまったことに謝罪をしたけれど、料理人には逆に恐縮されてしまった。明日からも体をたくさん動かすから、と食べられるときにはしっかり口にした方がいいと笑っていたけれど。
残念ながら慣れない事を詰め込まれたうえに寝起きの体では、あまり量を食べることが出来なかった。
わたしの体調などを考えて作ってくれたご飯はとても美味しくて、それだけはこの家で良かったと思えた。




