11.
ヴォルフ視点です。
それから、セレネのことを含めてビリーとはたくさん話をした。
ルークが驚いていたのは、手を入れていないといった家なのに、リュムよりも数段進んだ道具がたくさんあったことだ。マリーとグスタフのところで、ある程度は見ていた俺が迷いなく使えていたことで、更に驚かれたが。
次の日に目を覚ましたときには、ああでもないと一人でブツブツ言いながら道具と向き合っていた。おかげでその日の午後にはある程度使えるようになっていたのには、俺も驚いた。自慢するような表情を向けられて、イラッとしたままに手を出せばせっかく覚えたのに忘れちゃうと声を上げていたのには笑ってしまった。
子供のようにはしゃぐルークにビリーが教えている様子は背格好も何もかも違うのに、全てを拒絶していた時の俺に、グスタフがあれこれちょっかいを出してきたときの姿と重なった。
「ようやく分かって来た、気がする……」
「飲み込みは早いぞ」
「リュムでは読めなくても困らないからな」
思っていたよりも早くルークが道具に慣れたので、空いた時間に文字を教えてもらう事にした。
使っている言語は共通だが、ヒト族だけで発展してきた文字があるらしく。それは俺もルークも初めてだった。リュムに戻るのだから必要ないと最初は断ったが、家の中にいてもやる事は限られるし、セレネの情報は入って来ない。暇を持て余してしまえば、自然と目が行くものだ。気がつけば一日の大半を文字を学ぶことに費やしていた。おかげで、ヒト族独特の文字も話すことは出来ないが、時間をかければ読むことが出来るようになった。
これで、この大陸にいても獣人だからといってすぐに警戒されることも減るだろうと。いない訳ではない獣人は、この文字を使ってコミュニケーションが取れないと、最低限の仕事にも就けないそうだ。
「それで、セレネのことは分かったか」
「出来る限りの手は使っているのだが」
「二日目、だもんね。さすがに何の情報もないのはなあ……」
文字を書いて覚えていたルークが手を止めて、体を伸ばしながら天井を仰ぐ。夜になっても明るく照らす光があるので、何となく時間の感覚があいまいだ。幸いにも外が見える部屋だから、昼と夜が逆転することはないけれど。
情報を伝えてくる道具からは、一日中時間なんて関係なしに誰かが話している声が聞こえてくるけれど、そのなかにセレネやリィグレットといった、俺たちの求めている単語はない。
余計な面倒を起こしたくはないから家の中でじっとしているが、あまり長引くようなら外に出ることも考えなくてはいけない。
そんな事を考えていたから、聞こえた言葉に自分の考えを読まれたのかと思った。
「ちょっと買い物に出てくるよ。それで、街の様子も見てくる」
家の中ではあまり持ち歩かない杖を手に取り、上着を羽織ったビリーが外へ向かおうとする。まだ外は陽の光が降り注いでいるから足元を何かに取られるという事はないだろうが、俺たちが世話になり始めてから、一度も出ようとしなかったのに。
「それなら僕も」
「気持ちは嬉しいが、私一人の方が話しやすいからな。家で待っててくれ」
追いかけようとしたルークを制し、流れるように出て行ったビリー。足が悪く、俺たちよりも動きは確実に遅いはずなのに、どうしてだかあの笑顔を向けられた瞬間、体が竦んだ。
自分でも気づかないうちに詰めていた息を吐き出し、背を預けていた椅子に凭れるように深く腰掛ける。
「ねえ、ヴォルフ。どうする?」
同じように椅子に座り、こちらを見ていたルークから投げられた主語のない問い。そう聞いてくるという事は、恐らくルークも同じような考えを持っているのだろう。確認したわけでもないのに、何となくそう思っているだろうと確信が持てた。
「手ぶらで帰ってきたら、ここを出る」
「やっぱり? まあ、ゆっくり出来たのはありがたかったねえ」
疑問を持ったような言い方をしていたけれど、反対する様子なんて全く見せなかったのに、やはり同じ考えだった。この二日、体を動かす機会は今までよりも少なかったからかルークが立ち上がり、その場で軽く運動を始めた。
そのうちに家のなかだけでは物足りなくなったのか、庭の木々を使い始めたので周りの事だけは気にするようにと途中で叫んだのは、果たして聞こえていたのかどうか。
「ただいま」
「お帰り! どうだった?」
動き回っていたからか、弾んだ息で問いかけるルークに少しだけ首を傾げていたビリーだったが、それどころではないとばかりに慌てて駆け込んできた。
「……二人とも、落ち着いて聞きなさい」
自分だって慌てた様子なのに、俺たちに落ち着けというのもおかしいだろうと思っていたけれど、その次の言葉を聞いたらそんな事は頭から吹っ飛んでしまった。
「リィグレット家のご令嬢は、今晩婚約をするそうだ」
何よりも、求めていた情報。それがあまりにも衝撃的な言葉と共に知らされる。どこで聞いたのかは分からないが、それを聞いてすぐ帰ってきたのだろう。買い物だと出て行ったのに、ビリーの手には愛用の杖以外何もなかった。
「今晩、って今日!?」
「おそらく、陽が落ちれば動き始める。そして、夕食を共にしてその場で婚約の署名をするのだろう」
ルークの焦りも最もだ。夕食が何時になるのか、正確な時間は分からないけれど、昼はもう過ぎている。さっき、俺も体を動かしておくべきだったと思わず舌打ちが漏れる。
「場所は」
「リィグレットの、本家だそうだ。令嬢が逃げるのを恐れてだろう」
「警備が厚いって言ってた場所だ」
とっくに息を整え、体をバキバキ鳴らしながら伸ばしているルークがハッとしたように口にしたのは、ここに来てビリーから教えられたこと。セレネの家がモジュールでも地位があるというだけではなく、研究所なんかも一緒の土地にあるから、警備が必要だというのは聞いたけれど。
「そうだ。この話題が出ている以上、今までの比ではないくらいの警戒をしているだろう」
それは、俺たちが来ることを想定しているわけではない。このように話題になるような家だから、ヒトの行き来が増えることもそれに乗じた何かがあることも織り込み済みなのだろう。加えてセレネが飛び出さないような見張り、という意味は当然あるはずだ。その様子を想像するだけで笑いがこぼれる。
「情報、感謝する。世話になったな」
「待て! お前さんたちでは無理だ!」
静かに椅子から立ち上がり、外へ向かおうとしたらさっき以上に焦った声が引き留める。もちろん、それは俺たちだって分かっている。向こうの情報が何もないのに、飛び込んで行くんだから。
だけど、口元に浮かぶのは笑み。
「無理でも、やってみなくちゃ分からないよねえ」
「俺たちはここまで来たんだ。今更、尻尾巻いて逃げられるか」
「僕には巻けるほどの尻尾はないけどね」
視線を向ければ、ルークも同じ表情をしていた。そんな言葉で諦められるくらいならば、最初からモジュールまでやってきたりはしない。
おどけているルークが、呆けた顔のまま固まったビリーの隣を通り過ぎる。俺が歩き出した時に肩を叩いた衝撃で、ぎこちなく動き始めたが、まだ表情は険しいまま。
「そういう訳だから、僕たち行くね。ここから西、だったよね」
聞いていたことが覚え間違いなどないように、もう一度確認のために振り返れば、困ったように眉を下げながら、それでも頷いて返してくれた。
どれくらいの距離があるか分からないけれど、何の手掛かりもない状態から西という方角だけでも分かったのだから、上等だ。あとは警備がたくさんいるでかい家、を見つけた場所から全部当たっていけばいい。これから日暮れまでどれだけ当たれるかは、俺たちの足の速さ次第だ。
「止めても無駄、だな。だったら一つじじいからの手土産だ。もし、二人だけの力でどうしようもなくなった時は私の名前を出しなさい。
クリフォード家のビリーだと」
「え、もしかしてビリーもいい家系のヒト?」
セレネの家がいいところ、なのに名前を出すだけで何かの力になるというならば、ビリーの家だってそれと同格かそれ以上だということになる。ヒト族の血統は分からないけれど、それが俺たちの、セレネの力になるというならばその名前を使わせてもらおう。もちろん、ここまで匿ってもらった恩があるのだから、頼るのは本当にどうしようもなくなった時の最後の手段だが。
「ただの腰の曲がったじじいだよ。うまくやるんだぞ」
「ありがとう!」
「ここまで頼ってばかりですまなかった。感謝する」
ルークと並び、深く頭を下げて感謝を示す。何も持たない俺たちが出来るのは、これだけだ。
そうして顔を上げた時に見えた笑顔は、やはりグスタフと同じ笑い方。それを告げたら、嬉しそうに目尻の皺を増やしていた。
「ふふ、こんなに長くヒトと話したのも久しぶりだ……」
すぐに走り始めたから、そう呟いたビリーの声を、俺たちが聞くことはなかった。
次からはセレネの視点に戻ります。




