7.
モジュールでの食事は、ただの栄養補給でしかなく、食べることを楽しむなんて時間の無駄だというのが両親、特に母の意見だったはずなのだけれど。
ご飯を食べるために作られた部屋、今までは誰かを招いた時に休んでもらう事が主な使い道だったから、お茶を少し楽しめるような小さなサイドテーブルが置いてあったくらいだったのに。
いつの間にか長くて大きなテーブルが用意されていて、確かにここは食事を取るための部屋なのだと感じさせるほどに整っていた。
「リュムでは満足に食べられていなかったのでしょう? 好きなだけ取りなさい」
一目見てすぐにやつれたと言ったり、今だって目の前のテーブルに用意された料理を示してわずかに自慢気な笑みを見せた。
見ているのはわたしではないのだろうと感じる言動ばかりだけれど、それを伝えたところで理解してはもらえないから、言うだけ時間の無駄だ。
食事を時間の無駄だと切り捨てる母のように、わたしにも同じような考えをする側面があったらしい。似ていないと思っているけれど、こういうふとした瞬間に感じる何かで血は争えないのだと思わされる。
「小さい頃の好みでしか揃えられなかったけれど、どれも気に入っていたものだよ」
「……それじゃあ、こっちのオムレツを」
父は仕事一筋だけれど、たくさんのヒトと関わる場所で働いているからか、顔色を読んだりそのヒトがどう思っているのかを察するのがとても上手い。今も、わたしが母の言い方をあまりよく思っていないという事にすぐ気づいて、ゆったりとした口調なのに話を逸らして自分のペースに持っていく。
食事の時間を共にすることなんてほとんどなかったはずなのに、確かにテーブルに並べられた料理はわたしが、小さい頃に好んでいた物ばかりだ。
好き嫌いをしないよう、顔に出さずに食べるようにと教えられていたから、どれも均等に手を付けていたはずだったのによくここまで揃えられたな、と感心してしまうくらいに。
母の目の前にはワンプレートだけ。彩りよく揃えてあるそれに、視線を落とすことも、速度を変えることもなく黙々と手を動かし、咀嚼している姿からは食事を楽しむという様子なんて全く感じられない。
それに比べたら父の方がまだ、楽しんでいると言えるかもしれない。自分の好きなものを選んで皿に移し、美味しかったら表情を変える。それを見て控えているスティーブが好みの味に近いだろうと思ったものを勧めたりしているのは、初めて見たけれど。
少しだけ、家に対して感じていた思いが変わるような気がして、食事を進める手が軽くなったように感じていたのに、それはただの錯覚なのだと思い知らされた。
「婚約? え、そんな話聞いてないわ」
「今まで、そういう話がなかったわけではないんだよ。ただ、こちらでお断りをしていたけれどね」
「今回のお相手なら、うちとも家格が釣り合うわ」
申し訳なさそうな表情の父に、嬉しそうな母。感情を隠さない母の言い分が全てだろう。この家は、それなりに繋げてきた歴史がある。モジュールの中でも純粋なヒト族だけで名を残してきた家はもう、少ない。そのうちのひとつなのだということに誇りを持っているのは母の方だ。
「それで、わたしが必要だったのね」
必要なのは、血を繋げられる存在。この家の子供はわたししかいない。リュムの祖父母の家からわたしが帰らないことで、養子を取ることも考えているだろうとは思ったのだけれど、両親はそれをしなかった。ただ単に、自分達の条件に当てはまる子がいなかっただけかもしれないが。
「先方は写真を見て、セレネの事を大層気に入ったそうだよ。もちろん、今のね」
「今の、って。まさか、リュムに来たの!?」
「あら、私達が行くとでも?」
いくら技術の進歩が早いモジュールだって、さすがに子供の写真から今の姿を写し出すような写真は作れないだろう。そうなるとわざわざリュムに来て、どこかでわたしを見つけた、という事になる。
まさかと思って声を上げたら、さっきまでの上機嫌が嘘みたいに一気に冷たい物言いをする母の視線がわたしを射抜いた。
「そうよね。そんなはずはないわよね」
あまりの変化の早さに、思わず肩を揺らしてしまったが、深く息を吐いてから、落ち着いた声を出すように意識する。当たり前だとばかりに頷いた母の視線は、もうわたしを捉えていなかった。
「そういう訳だから、セレネ。これから準備に忙しくなるよ。詳しい事はセーラに聞きなさい」
「準備って、勝手に……!」
「あなたの勝手には、今まで何も言わなかったのよ?」
いきなり連れ戻されたかと思えば、見ず知らずの相手との婚約。準備が忙しくなるという事は、日程に余裕がないという事だろう。どちらの都合か分からないけれど、随分と勝手に話を進めてくれたものだと、ついさっき冷静になろうと押さえていたのに吹き飛んでしまう。
思わずテーブルに手をついた反動で、カトラリーがガシャンと耳障りな音を立てたけれど、今はそれを気にしている場合ではない。
「セレネ、母様は心配していたんだよ。リュムに行ったことで君の将来に影が落ちるのではないかともね」
「将来って、わたしがどう生きるのかはわたしが決めるわ」
困ったように眉を下げた父だって、そう見えるように表情を作っているのが丸わかりだ。わたしと同じ色の青い瞳はガラス玉のようで、何の感情も読み取れない。
「リィグレット家、長女」
「その立場を忘れたとは言わせないよ。セレネ」
母と父、続けられた言葉にこれ以上反論できる材料を持っていない。リュムに身を寄せたのも、その名前から逃げたかったという気持ちもあったのだけれど。結局は逃げ切れるはずなかったのだろう。そのために、リュムで出来た大切なヒト達だって巻き込んだうえに、最後は酷い別れ方もしてしまったのだから。
「もう食事は済んだようだね。それなら、部屋に戻りなさい。先方との約束の日までに復習しておかなければならない事がたくさんある」
「……分かり、ました」
静かに席を立ったわたしに、母は一瞬だけ、父は観察するような視線を向けてきた。
「失礼します、お父様、……お母様」
「うん、ゆっくり休みなさい」
「さすがよ、セレネ。母様は嬉しいわ」
体に覚え込ませた挨拶は一応及第点をもらえたので、まだ錆びついていなかったようだ。両親は満足そうな顔を見せて、後ろに控えていたスティーブも少しだけ安心したように微笑んでいた。
食堂を後にするわたしを先導するために一緒に出たのは、先ほど名前が出ていたセーラだけ。
「お嬢様、こちらがお相手の写真でございます」
「ありがとう、セーラ」
自分の部屋に戻ってから、まだ落ち着かないベッドに腰掛ける。本当ならソファーに、とかベッドに寝転ぶなんて、と言いたいんだろうけれど、食堂でのやり取りも聞いているからか、小言が飛んでくることはなかった。
小さい頃のマナーやレッスンで上手くいかなかった時に、決まって泣きついたのはセーラだったからかもしれない。
両親が手配した講師たちは誰もが一流でその名を知られている方々ばかりだった。それを物にするために必死で、でも小さい体は耐えられなくて熱を出した時に側にいてくれたのもセーラ。
「奥様と旦那様が選んだお方です。きっとお嬢様を大事にしてくれますわ」
ぽんぽんと労わるような優しい手つきで寝転んだわたしの背中を叩いていたセーラの言葉を聞きながら、手渡された写真をまじまじと見る。
短く整えられた髪の毛はダークブロンド。目鼻立ちはしっかりしていて前を見つめる茶色の瞳は写真なのに自信を感じさせる力強さを持っている。
きっとこのヒトもヒト族だけで血を繋げてきたのだろう。多種多様な色を持つ獣人と違って、ヒト族の色はだいたい決まっている。
吸い込まれそうな黒色も、その中で瞬く銀色もヒト族にはない色だし、赤褐色の少し跳ねた髪の毛や、夕焼け色の瞳だってモジュールでは見たことがない。
思い出した途端に会いたくなってしまった二人の姿を思いながら、枕に顔をうずめる。
着替えを、という声が聞こえたけれどもう動きたくなくて、そのまま目を閉じた。
今なら、あの色を夢に見れるだろうかなんて僅かに期待をして。




