6.
ぼうっと汽笛が鳴る。船に乗っているヒトはあまり多くないけれど、パタパタと歩き回る音や話し声、いろんな音が途切れることなく耳に入ってくる。その合間で聞こえてくるのは波の音。白波を立てている様子をぼんやりと眺めながらも、目線の先は遠くなってしまったリュムの大地から外れない。
「そんなに面白いですか」
あまりヒトを乗せる機会がないからか、船のデッキには椅子などの設備はほとんどない。そのなかでも船に乗ってからずっと椅子を陣取っているわたしの事を、通るたびに見ていくヒトもいたけれど。
それでもわたしが動かないからか、飲み物を差し出しながら思わず、と言った様子で問いかけて来たスティーブ。
飲み物はちょうど欲しかったからそれはありがたく受け取って、だけど問いかけて来たスティーブの顔を見たら、わたしの答えに興味なんて全く持っていなさそうだった。
意地が悪いとは思ったけれど、そのまま素直に質問に答える気にもならなかったのでそっくりそのままお返しすることにした。
「あなたは面白くないの?」
「ええ。全く。ただ水が行ったり来たりしているだけですから」
「……そう、話が合わないわね」
何が、とは聞かなかったからどう返って来るのかと少しだけ期待したのに、面白味も何もない答えだった。あの家でいろいろなものを取り仕切る立場にいるのだから、言葉の裏を汲み取るくらいは造作もないはずなのに。
リュムからの旅路でわたしの話をある程度引き出す必要があるから、両親がわざわざスティーブを送ってきたのだと、そう思っていたのだけれど。
「お嬢様が見ているのは海だけではないでしょう」
わたしが一息ついた頃を見計らって告げてきた言葉には疑問なんてなくて、そう確信していると分かる言い切り方だった。
隣に控えていたからいつ何かを言われるだろうと構えていたけれど、少しだけ気を抜いた時だったから返す言葉に詰まってしまった。
もちろん、見ているのは海だけではない。リュムで別れた二人。ヴォルフとルークの表情が今でも頭から離れてくれない。わたしの勝手で別れた二人、その温もりも表情も、なに一つだって忘れたくもないけれど。
気持ちを分かっているような言い方をしてくるから、肯定したところで何かが変わるはずもないけれど、今、わたしの抱く気持ちはわたしだけのものだ。誰かに話して共有したら、減ってしまうのではないかという変な思いもあった。
「分かっていて聞いてくるの? いつの間に性格が悪くなったのね」
「どれだけの年月をマリアンヌ様の元で過ごしていたと思っているのです?」
「さあ? どれくらいだったかしら」
適当に年月を言ってみても、スティーブなら全部覚えているだろう。わたしも忘れたわけではない。だけど、過ごした時間は重ねた年月よりも濃く、充実していたからそんな簡単な数字にしたくなかっただけだ。
「それだけ経てば、いろいろなものが変わりましょう」
「だけど、あの家は変わっていないんでしょうね……」
モジュール、という大陸では変化が起きているだろう。ヒト族は自分たちがまだ大陸の覇者だと思っているのだから。もちろんそう思わせるだけの技術など、わたしが飛び出した時から比べ物にならないほどに進化しているだろう。だけど、わたしの家はきっと変わっていないはずだ。それは、家の設備などの話ではなく、もっと根本的なところ。
それからは何を話すわけでなく、もう肉眼では見ることの出来なくなったリュムのある方角を眺めていた。港に着けば、スティーブの案内で、当たり前のように待っていた迎えの車に乗せられる。
ふかふかの座席に、馬車とは比べ物にならない速さで走る車はわたしがいた時にはまだ走行テストをしている状態だったはずだ。やはり技術の進歩、というところでは獣人の多いリュムよりもこちらの方がはるかに早い。
あっという間に流れていく景色は滑るように目の前を通過していく。だけど、わたしの心が弾むことはなかった。
*
「セレネ! ああそんなにやせ細って!」
車を降りて、家の扉が開いたと思ったら飛び出してきたのは、金髪を短く切りそろえた女性。
茶色の瞳はわずかに潤んでいるように見えなくもないが、着ているのは白衣。首には防護用のゴーグルが下がっているし、何か実験に集中していてずっと目を開いていたから、生理的に浮かんだ涙なのだろう。
ぎゅっと抱きしめられたけれど、鼻をくすぐるのはツンとくる薬品の匂い。わたしの考えは間違っていなかったのだと思うと同時に、少しでも心配をしてくれたのかとよぎったのは頭の中で即座に否定した。
「エドナがどれだけ心配していたか分かるかい、セレネ。もちろん、僕もだ」
乾いた足音を立ててわたし達の隣に寄り添うようのは、茶色の髪を後ろに撫でつけた男性。こちらも緊張した気持ちを緩めるように表情を和らげているけれど、瞳はそうではない。青い色は青空というよりも冷えた空気を感じさせるような鋭さでわたしの事を見ていた。
小さい頃は、同じ色なのにどうしてこんなに感じ方が違うのだろうかと肩を縮こまらせていたな、と思い出した。耐性がついたと思ったけれど、面と向ってその色を見せられるとやはりまだ少しドキドキする。
「分からないわ。手紙一枚すら送ってこないんだから」
「お義母様と、お義父様の事は残念だった」
「ええ、本当に……」
それでも言いたい事だったから、しっかりと目線を合わせて告げた。一瞬だけ絡んだ瞳が驚いたように見開いていたけれど、すぐにいつものようにすうっと鋭く細められる。
わたしから離れた女性が男性に泣きつくような仕草を見せて、それを男性が肩を抱いて慰めている。
言葉とその様子だけなら、確かに悲しんでいるように見えるだろう。事実、わたしを出迎えて両親の後ろで控えている何人かは、何かを堪えるような表情を見せている。だけど、それきり言葉もなく、わたしの姿を上から下まで見た後にわずかに表情を変えた女性。便宜上母、と呼ぶけれど、敬意をもって呼ぶことはないだろう。
いくら獣人の事を嫌っていても、自分の母が亡くなったこととはきっと区別をつけるだろう、そう思っていたのに。
「本当に? 思ってもいない事をよく言えるわね」
「セレネ、向こうに随分たくさんの忘れ物をしてきたようだね」
柔らかい言い回しだけど、窘めるように告げられたのは、礼儀がなっていないという事。この家にいるとき、体で覚えるまで繰り返されたレッスンの内容はもちろん、まだ覚えているけれど。
同じ色なのに冷たく感じる瞳にも、臆することなく自分の意志を押し通せたのだ。体に染みついた礼儀作法はそれではいけないと教えてくれているけれど、それを無視してわたしが続けた言葉に、今度こそ父の目が険しくなった。
「忘れて困るようなものを置いてきた覚えはないわ」
「……そうか、呼ぶまで部屋にいなさい」
手を横に軽く振るのは、下がりなさいの合図。家を飛び出していったきりで、久しぶりに会った娘を心配するような声はなにひとつとして聞かなかったけれど、父ならきっと見て確認したのにこれ以上何を言えばいいのかと真顔で問いかけてくるだろう。合理的な考えをする父に言わせれば、時間の無駄だろうから。
「今日は一緒に夕食を取りましょう。あなたの好きなものを作らせるわ」
「それではお嬢様、こちらへ」
背を向けて両親の前から離れようとしたら、スティーブが案内するように一歩前に出た。
家の構造は変わっていなかったけれど、もしかしたら部屋の場所は変わっているかもしれないので、歩き始めたスティーブの後を追いかける。
「見覚えのないものが増えているけれど?」
着いた部屋は、記憶と変わらない場所だったけれど、記憶にない物がそこそこ増えていた。
ある程度処分して、空にしたはずのクローゼットには服がかけられていたし、本棚にも自分が手に取った覚えのないタイトルが増えている。
「お嬢様がマリアンヌ様の元へ向かわれた後、奥様が手配した物です。いかなる時でも不自由なく過ごせるよう、と」
わたしの荷物を整理しながら、スティーブは不具合がないかを確認している。ベッドには布団が用意されているし、床に埃が落ちているなんてこともなく、確かに手入れはしっかりされているようだ。
「さあ、それではお嬢様。湯あみの準備が整っております。こちらへ」
「手伝いはいらないわ」
「そんな事を仰らないでくださいませ。奥様が悲しまれます」
スティーブと入れ替わるように部屋に入ってきたのは、さっき母の後ろで表情を変えていたメイドの一人。黒髪をきっちり結い上げていて、ほつれ毛ひとつこぼれていないのはこの家で誰もが一緒だ。母から指示されるからにはある程度この家で長くいるはずなのに、表情を変えるのは珍しいから覚えていた。
手伝いを断ったらわずかに動揺する様子が見られたことで、どうしてメイドが来たのかという疑問に答えが見つかった。
「ああ、そういうこと」
家に戻ってきたところで、逃げようと思ったら手段はある。父はともかく、母がそれを危惧しているのだろう。だから湯あみなんてもっともらしい理由をつけて、わたしの傍にメイドを置いておきたいのだ。そうすれば、わたしが逃げようとしたらすぐに分かるから。
「手が必要になったら呼ぶわ。それまで、部屋の外にいてちょうだい。
……今更、逃げようなんて思わないわよ」
「畏まりました。どうぞ、ごゆっくり」
音量を落として声に出してみたけれど、この距離なら聞こえていないはずはない。だけど、メイドはそれが聞こえなかったふりをすることにしたようだ。頭を下げて部屋を出て行った後、足音は動かなかったから扉の前で待機しているのだろう。
もともとお風呂に入らせようとしていたかどうかは分からないけれど、準備は整っていたのでゆっくりと使わせてもらおう。
時々、わざと大きな音を立てて自分がここにいるのだとアピールはしていたけれど、メイドは声をかけるまでは部屋に入ってくることはなかったので、自分でも思っていた以上に寛ぐことが出来た。
着替えは簡単に済ませたのに、食事の用意が出来たと声をかけに来たメイドにそれで両親の前に出させるわけにはいかないと再度着替えをさせられた以外は。
ひと悶着あってから案内された食堂では、すでに両親は席についていた。スティーブから話は聞いていたのか遅くなったことに叱責はなかったけれど。
「セレネのために、とコックが腕を振るってくれたのよ。たくさんお食べなさいな」
テーブルの上に並ぶのは、幼い頃によく食べていた物ばかり。両親があまり食に頓着がないからか、品数は多くないけれどそれでも懐かしいという感情がこみ上げる。
手近にあったスープに口をつけていると、両親が機嫌よく食事をしているのが分かった。
食事はただの栄養補給だと常々口にしていた母がそんな嬉しそうにするなんて、何かあったのかとちらちら見ていたら、完璧なテーブルマナーで薄切りにした肉を口に運んでいた父がおもむろにナイフを置いた。
「今回戻ってきてもらったのはね、セレネ。君の婚約が決まったからだ」




