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月と紡ぐ物語  作者: 柚みつ
暁の誓い

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8.

別れを告げられた側はどう動くか。

ヴォルフ視点です。

 初めて会った時、なんて弱いのだろうと思った。

 マリーとグスタフ、ヒト族なのにヒト族らしくないやつらの背中に隠れるようにしていた金髪のガキ。二人に促されてようやく顔を出し、挨拶をしたと思ったらまた引っ込んでいく。

 正直何を返したのか、そもそも返事をしたのかどうかも覚えていない。だけど、瞳の色だけは。真っすぐとこちらを見ていた空と同じ色だけは、何故だか鮮烈に印象を残して。

 それから、俺の様子を見て怯えているのに、毎日律儀に挨拶だけはしていく姿とか、毎回少しずつ縮まっていく距離だとかが、リーダーと別れて何もかもを投げ出したくなる気持ちにほんのわずか、まるで棘のように残っていく。


 そんな事を繰り返しながら、季節をひとつ跨ぎ、それが何回目かになった時に数えるのを止めた。その頃には、セレネは俺の隣にいるのが当たり前のような顔をしていたし、俺も隣にいる事を受け入れていた。町の住人たちだって、俺たちが一緒にいるのがいつもの光景だとばかりに笑っていた。

 本人はもう、覚えていないだろう。例えマリーとグスタフの事がなかったとしても、気に留めることはない程度の、些細なこと。

 だけど、それは確かに俺に前を向く力をくれた。だから、いつだってずっと隣にあるものだと錯覚していたのかもしれない。


「ねえ、本当に行くの?」


 セレネから託された瓶、この手でぐっと握れば簡単に砕けるような物ひとつで俺たちの事を無力化したと自慢気な顔をしていた、動きづらそうな服を着た男。

 セレネがスティーブと呼んだヒト族は、俺たちが動けないのを当然だと言った表情で見ていた。その後、セレネの腕を掴んでからは一瞥もしなかったけれど。飛びかかってしまいたい衝動を抑えるのに必死だったから、振り向いてくれなくて良かったのだとは思うが。

 セレネに頼まれた瓶は、この町の配達に羽根と一緒に渡した。間違いなく、取れる手段の最速でアロンズの元に届く。羽根が一緒に戻ってくれば、セレネに何かがあったのだと分かるだろう。手紙の一枚でも添えた方が良かったのだろうが、あいにくとそんな時間は取れなかった。


「乗り気だったのはお前の方だろう」

「そうなんだけどさあ、だってモジュールだよ?」


 あの町からモジュールに行く船は、セレネたちが乗ったものが今日の最後だったそうだ。リュムからモジュールに行く船は数が多い訳でもないし、今はデーナの代わりとしているだけで、そもそもここからモジュールに行く船はいつもは出ていないと言われれば、デーナに戻るしかなく。

 セレネと一緒に歩いた時は二日半かけたが、獣人なら一日で辿り着く。迷わず来た道を戻り始めたのはルークからだ。

 だから、言葉はなくとも、こいつもセレネがあのような理不尽な方法でモジュールに行ったことに憤っているのだと思っていたのに。振り返ったルークから吐き出されたのは、弱気や怯えといったどちらかといえば今まであまり口に出してこなかった感情。


「不安じゃないの? 獣人(僕ら)のこと、嫌ってるヒト達しかいないようなところに行くの」


 気持ちを表すように、どんどん足が遅くなり、終いにはその場に立ち止まってしまった。それなりの時間走り続けてきたから、ここらで休憩してもいいだろう。持っていた鞄の中から目当ての果物を取り出し、ルークに投げる。危な気もない様子で受け取ったのを確認してから、自分の分を取り出して口に運ぶ。

 シャリっとした歯ごたえのあとに広がる僅かな酸味。甘い方が好きだと言っていたから、残っているこれに、あまり甘さはない。疲れた体には酸味がちょうどいいが、同じく甘い方が好きなルークは酸っぱいと顔全体を使って表現していた。

 沈黙が落ちる中、自分たちが口を動かしている音だけが響く。それだって、そんなに長くかかるわけじゃない。


「落ち着かないんだ」

「ん?」


 食べるところはなくなって、芯だけになった果物をくるくると手の中で弄んでいたルークが、視線を落とす。座り込んでいた俺と、立ったままで背中を気に預けていたルーク。

 そのままだと合うことのない視線は、ルークが俺の発言を聞いてしゃがみ込んだことで同じ高さになる。


「あいつが、セレネが隣にいて、何でもないことで笑う顔が見れないことが」


 当たり前だと思っていたものが、当たり前でなくなるなんて経験しているはずなのに。リーダーを置いて逃げた時と、セレネから別れを告げられた時に感じたのは、同じ言葉で表現できるはずなのに。

 あの時と違うのは、胸のあたりがそわそわして、ぽっかりと大きな穴が開いたような感覚があること。こんな感覚は初めてで、どうしていいのか分からない。


「ヴォルフ、変わったよね」


 俺の顔を見るなり驚いたように目を丸くして、だけど次の瞬間には目を細めて柔らかく笑うルークなら、今の気持ちをどうにかできる方法を知っているのではないかと思ったが、正直に伝えることはどうしても出来なくて、笑うルークの眉間に向けて、一発デコピンをお見舞いする。


「何がおかしい」


 いつもなら痛いと騒ぎ出すのに、今日はそんな事もせずにくすくすと笑っている。普段はルークが声を上げるとセレネが飛んできて、赤くなった箇所の心配をしてくれると分かっていて声を上げていたな。

 現に、いつもと同じような力を籠めていたのに痛がるそぶりも見せず、けろりとして俺の顔を見たまま笑っている。


「いいや? 良いことだって。……早く会いたいね」

「そうだな」


 そんな笑顔のままで、悲しいという思いを隠しもせず告げられれば、それ以上の言葉を重ねることは出来ず。木漏れ日の合間から見える空の色が、あの瞳を連想させる。

 再びあの青に、自分たちの姿を映してもらうためにやることは、決まっている。立ち上がった俺の隣で屈伸をして、前を見据えるルークだって、今出来ることは分かっているはずだ。合図したわけでもないのに、互いに同じタイミングで地面を蹴って駆け出した。



 *



「兄ちゃんたち、モジュールなんかに何の用だ」

「ご主人様が待ってるんだよね」

「ああ、そういう。災難だったな」


 走り続けて戻って来たデーナ、ちょうどこれからモジュールに向かう船が出るという事なので二人分のチケットを買う。とはいっても、モジュールに行く船に乗る獣人なんてほとんどいないからタダ同然の値段だったが。

 お金の代わりに甲板の荷運びと掃除でもいいと言われたが、モジュールで何があるか分からないのでとルークが断っていた。

 それを横で聞いていたのは、船員のイヌ族。小柄な種族だから、身長こそ俺よりも低いけれどがっしりとした体つきなのは仕事柄なのか。

 ルークの答えは間違いではないが正しいことも言っていない。だが、目の前のイヌ族は獣人がモジュールに向かう理由のほとんどが、そういう事であると分かっているのだろう。

 だからこそ、ルークも誤解されるような言い方をしたんだろうけれど。


「向こうで注意しないといけない事とか、知ってる? 僕ら全然教えられてなくて」

「ああ、俺も知ってることは少ないが」

「助かる」

「いいってことよ。そんじゃ、まず――」


 他の船員も巻き込んで、モジュールについて知りうる限りの事を教えてもらっていたら、二日かかると言っていた船路はあっという間に過ぎ去った。

 サカナ族も多いからか、波を読むのはお手の物らしく船が揺れて悪酔いをするようなことはなく、話の合間に仕事を手伝ってはこっそりと情報を提供してもらう、そんな時間でだいぶ収穫はあったと思う。


「やっぱりセレちゃんと僕らじゃ見え方が違うね」

「ああ」


 獣人の事を理解したいと思っていて、隔てなく接しているといっても種族の差はどうしようもないことだ。ヒト族が出来ない事が獣人には簡単なことのように、セレネが見て来たモジュールだって、俺たちには違うものに見える。


「まあ、匂いで気づかれないならフードだけで良かったかもねえ。一応用意したけど、香水はあんまり使いたくないからなあ」


 鼻が馬鹿になる、というのはルークの言葉だがそれには俺も頷いた。使っている獣人もいるが、それだってほんのりと香らせる程度。ヒト族の中に紛れ込むなら、それなりの量を使わないといけないから、長時間使っていたらルークの言う通り鼻が使い物にならなくなる。

 クマ族の情報網と、船員から聞き取った情報から必要そうな物は分けてもらったが、それだって本当に使う場面があるのかどうかすらも分からない。


「周りをあまり見ないのなら、俺たちには好都合だが」

「セレちゃん、モジュールにいるってだけでどこにいるのかまでは、知らないよね……」


 ヒト族は、獣人のように町をひとつの縄張りとして見るのではなく、地名として街を興しているそうだ。リュムよりも大きいモジュールだが、ヒト族が開拓して住んでいるといわれているのはリュムと同程度かそれよりも小さい。ただ単純に一回りするだけならともかく、どこにいるのかも分からないヒトを探して歩くのには躊躇する広さだ。


「ヒト伝手の情報も期待できないからな」


 店で買い物ならともかく、話しかけることが出来るとも思えない。船が着いた時に見えたヒト族とは、顔見知りだからか船員たちもそれなりに会話を交わしていたが、俺たちの事はまじまじと見つめられた。慌てて見習いだと告げてからは何事もなかったかのような様子を見せていたが。


「話しかけたらさすがに気づかれるだろうし、そうなったら面倒くさいことになるのは間違いない。これ、結構条件厳しくない? 分かってたけど」

「だが、リュムに戻るつもりはないのだろう?」

「当然! 戻るときはセレちゃんも一緒だよ!」

「なら、やるしかないな」


 どれだけ難しいことだろうが、やると決めてここまで来たんだ。

 手ぶらでリュムに帰るつもりなんてさらさらない。

 時間を空けるにつれどんどんと大きくなっていく穴を埋めるのには、間違いなくセレネが必要なのだから。



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