4.
「それで、何の用だ」
「ヴォルフ、落ち着いて」
それは、今まで見たことがなかったヴォルフの表情。わたしに向けられていないと分かっているのに、ぞわぞわしたものが背筋をはい上がってくる。
ヴォルフが飛びかかっていかないよう、とっさに手首を掴んだルークの手が震えている。ルークの方が力があるのに、押さえ切れていないみたいだ。もう片方の手で背後に庇われたわたしでも分かるくらいに震えているから、あまり長くはもたないかもしれない。
ヴォルフとルークを挟んでいるのに、二人の事なんてまるでいないもののようにして、男性の視線と問いかけはわたしに飛んでくる。
「お嬢様、どうしてそのような獣人を庇うのですか」
心底分からないという表情を隠しもせず、お嬢様と呼ぶ声だけは優しく響く。わたしの事をそうやって呼ぶなら、遠慮をしなくてもいい相手だと分かるのはありがたい。
話が通じる相手ではない、というのも分かるから厄介なのだけど。
「獣人、じゃないわ。ヴォルフとルークだからよ」
*
船が出るのだと分かっているのなら、それまで宿でのんびりしようという話になり最低限の買い物だけを済ませて、さっさと部屋に戻ることにした。
窓から外の様子を眺めていたけれど、あれだけ忙しなく行き交っていたヒトがどんどんと少なくなり、やがてぽつりぽつりとしか見えなくなった頃、船が出港することを告げるように汽笛が鳴った。
「やっぱり船が出たら落ち着いたねえ」
「買い物もしやすくなったわね」
「静かに食事が出来るのはいいことだ」
それから、買い物を再開したのだけれど、船に乗るヒトたち向けの商品が少しだけ値を下げて売られていたので、ちょっとだけ得をした。宿でご飯も選べたのに、わざわざ外で食べることにしたのは、宿のヒトから向けられる視線を感じ取ったからだ。ヴォルフとルークは情報を集めたいから、と言っていたけれど。
わたしの気分が落ち込んでいると思ったのかもしれない、ルークはいつもよりも楽しそうにしているし、ヴォルフはそっけなさそうにしていてもわたしの様子を伺ってくれているのが分かる。メニューも見ていないのに頼まれたご飯、そのどれもがわたしの好きなものだったのだから。本人たちは隠しているつもりでも、これで気づくなという方が難しい。
「港町だとお魚が美味しいよね」
「そうね。山だとまた違うものが美味しいから、悩むところではあるのよね」
この間までデーナにいたから、最近は魚を食べる機会には恵まれていたけれど、今までの旅を振り返ってみるとどちらかと言えば山の近くを通ることが多かったからか、肉がメインの料理がほとんどだ。
牧畜をしているところもあったし、野生の動物を捕まえてきたところもあった。どこでも美味しく頂いてきたけれど、他にも食べてみたいと思うのは、食い意地が張っているだけではない。
自分で料理をするからか、美味しかったご飯がどう作られているのかは気になるし、道中で誰かが気に入った料理は作り方を教えてもらったりもしている。
わたしのノートには町のことだけではなく、その近くで採れる食べ物、料理の作り方、そんな事も書き足すようになった。
「次は山の方へ向かうか?」
「どこに行くか、決めてなかったわね。どうしようかしら」
料理がほとんど片付いたテーブル、ルークが追加で飲み物を頼んでから地図を広げた。ヒトが多かったら席を立とうと思っていたけれど、食事をしている間に来たのは馴染みだろう男性一人だけだったので、このままもう少し雰囲気を楽しむことにする。
「えっと、セレちゃんたちが出て来た町、ここでしょ?」
トントン、とルークが示したのはわたし達の住んでいた町。大陸の端っこに近いそこには、他の町と同じように黒い丸があるだけだ。祖父母から譲り受けたこの地図は、そこまで細かい情報が掛かれているわけではない。わたしが旅をしたいと言ったからなのか、自分で書き込めるような余白だらけだから、書くスペースに困る事はないけれど。少なくなる余白に、自分がどれだけこの大陸でいろんなものを見れたのか、実感する。
「端に近いところだからな、今はだいたい中心に近い」
アーモンド形、横に長く真ん中が膨らんでいる大陸の中心を叩いたのはヴォルフ。出て来た町からここまでを繋ぐ線は真っすぐとは言えないけれど、それがわたし達が歩いてきた道だと思うと何故か嬉しくなる。少しずつ増えていったわたしの書き込みは、そろそろ祖父母が残してくれたものを超えるだろう。
「ここからなら、どこにでも行きやすいよね。まあ、山を越えないといけないところもあるけど」
「これね。おばあちゃんがおじいちゃんをおぶって行ったってところ」
話でも聞いていたから、すぐに分かった。足を滑らせて大変だったのだと笑っていたけれど、わたしが同じ状況になったと想像したら、ルークもヴォルフでもおぶって山を越えるなんて不可能に近い。それを笑って済ませたおばあちゃんは凄いのだと改めて感じる。
当時の思い出と一緒にそれをルークに教えたら、飲み物が変なところに入ったのか、いきなりむせてしまったので、慌てて背中をさする。半目になったヴォルフが静かにタオルを差し出して、お礼もそこそこに受け取って、やっと落ち着いたようだった。
「そんな事も書いてあるの?」
「どちらかと言えば、そんな事しか書いていないぞ」
「え、ヴォルフ何で知ってるの?」
まだ少しだけ苦しそうに呼吸をしている涙目のルークが、目を丸くする。まあ、普通に考えたら地図にそんな事を書き残しておかないだろう。だけど、わたしが使っているこの地図には、普通に書かれていることはほとんどなく、そうやっておじいちゃんとおばあちゃんの思い出を共有できることばかりなのだけれど。
それを当たり前のように受け入れたヴォルフの言葉に、今度はわたしが目を丸くした。
「グスタフとマリーが嬉しそうに書き込んでいたのを見ていたからな。二人で何だか言い合いながらだったが」
「そうなのね……
ありがとう、ヴォルフ。二人のそういう話をあまり聞かないから嬉しいわ」
わたしの知らない二人の話を聞けたことで、増えるはずもない知らない一面が増えたことが嬉しいのに、泣きたくもなる。
それで、次の目的地をどちらにしようかと地図を見ていたら、また一人、男性が店に入ってきたのが見えた。
目を上げたのはたまたまなのだけれど、店の入り口で全体を見渡すようにしていたその男性とばっちり目が合ってしまう。
栗毛の髪と同色の瞳、どこにも何の特徴も持っていないヒト族の男性は、わたしの顔を見てハッとしたように表情を変えた。もしかして、宿のネズミ族の女性が言っていたヒト族って、このヒトの事なのだろうか。
「出るぞ」
「え? あ、ちょっと待って!」
わたしと目が合った男性が表情を変えてすぐ、ヴォルフが立ち上がった。ルークもそれに異を唱えることなく会計を済ませようと店員にお金を渡していた。
ついていけないのはわたしだけで、慌ててその動きを追いかける。
ルークの背中に隠れるよう手を引かれ、ヴォルフが男性の姿を遮るようにわたしの横を歩いている。そのまま、男性を視界に入れることなく店を出た。
「食事は終わっていたからいいけれど、二人とも急にどうしたの?」
「ごめんねえ、セレちゃん。ヴォルフがどうしてもって」
「ヴォルフ? そうなの?」
珍しい事もあるものだ。だけど、ヴォルフがそうやって席を立つほどの何かがあるのなら、あの行動にも納得がいく。今までわたしやルークに遠慮でもしていたのか。これからはもっとそうやって教えて欲しいのだけれど。
答えが知りたくて、ヴォルフに問いかけてみても、返事がないままわたしの手をぎゅっと握っている。反対の手はルークに包まれているので、港から冷たい風が吹いていてもぽかぽかと温かいものが指先に伝わっている。
「見つけましたよ」
繋がれていた手が離れ、サッと一瞬でわたしを守る体勢を取ったヴォルフ。ルークに包まれていた手はそのままだけれど、ぐっと力がこもったのが分かった。声の主を一目見ようと、そろりと庇われたルークの背中から顔を出す。
そこに立っていたのは、先ほどのヒト族の男性だった。




