1.
新章です。この章で一区切りの予定。
「え、モジュールについて知りたいの?」
「ああ。もしかしたら行っていたかもしれない場所だ」
「ヴォルフってば。そんな言い方しなくても、ただ知りたいだけでしょ」
思ってもいなかったことを、思ってもいなかったヒトから問われたことにびっくりして、手を止めてしまう。隣で一緒に手を動かしていたルークが苦笑してフォローするような言葉を続けてくれたけれど、知りたい、と聞いただけでもわたしはきっと同じ行動をしていただろう。
「獣人でモジュールという言葉を知らない奴はいない。だけど、そこがどんな場所なのかは知らないんだ」
今まで聞こうともしなかったから、というヴォルフの表情からは本当に僅かだけど、悔しいという感情が読み取れた。
祖父母と一緒に過ごしていた時も、わたしがあの町を出てここに来るまでも、時間はたくさんあったから聞こうと思いさえすれば出来たことだ。
獣人がその名前を避けていることは教えられていたし、ヴォルフにとって痛みを伴うものだと分かった今は、無理をして知ろうともしなくていいのではないかと思ってしまう。だけど、ヴォルフは知りたいと願っているし、知ろうとしている。
行っていたかもしれない場所、そんなことにはさせるつもりなんて全くないけれど。今後もそうなる可能性がある場所なのは避けられないから、情報を持っているのは悪い事ではない。
「セレネは前に住んでいたことがあるのだろう? 今後のために情報を共有しておくのも悪くないと思ってな」
もうヴォルフはしっかりと椅子に腰掛けて話を聞く体勢だし、それを見たルークも手を洗ったシンクの縁に寄り掛かっている。これはもう、話すしかないだろうとわたしも手を洗って、休憩を取る。
この様子だと、ヴォルフもルークも、わたしが次にモジュールに行こうとしているとでも思っているのかもしれない。それも考えなかった訳ではないけれど、まだリュムを全部見て回ってもいないのに、別の大陸に行こうとは思っていないのだけれど。
「だけど、デーナからの定期船はしばらくお休みになるんでしょう?」
「ああ、この間の件でだな。一度、徹底的に船と倉庫の状況を洗い直すらしい」
モジュールは獣人には忌み嫌われているけれど、ヒト族からはそうでもない。物資のやり取りなんかもあるから、定期的に船は出ているしお互いにその大陸にない物などで交易はある。
あのヒトはそれを利用して、獣人を商品としてモジュールで売りさばいていたのだから、他にも同じような事をしているヒトがいないとも限らない。だからこそ、寄港だけでも船を検めているそうだし、倉庫を置いているお店はどこも例外なく監査をしているそうだ。
話で聞くだけでも大変なのに、それを実際にやるとなると相当の労力を必要とするという事くらいはわたしにも分かる。担当しているヒトが近くにいるから、なおさら。
「だからミスティがげっそりしてたのね」
「警吏は他の町にも応援頼んでいたからな。しばらくは休み返上だろう」
あの日、檻に閉じ込められていた他の獣人は、すでにそれぞれの場所へと帰ったそうだ。自分で歩けるようになったヴォルフは、わたし達よりも後に警吏の詰所に呼ばれていた。だから、今の警吏の動きに詳しいヴォルフはそう告げたし、それはわたし達も納得した。
「巻き込まれたくないから、早めに町を出たんだけどね」
「ええ。なのにどうしてわたし達は今、警吏の詰所でご飯を作っているのかしら?」
ヴォルフから聞いた警吏の状況には納得したけれど、それがどうして部外者であるはずのわたし達が厨房を預かってご飯を作るなんてことになっていたのだろうか。ぼんやりと意識を飛ばしたところで野菜が山を作っている現実は変わらないので、溜め息をひとつだけで目の前にある野菜の山にもう一度向き合った。何日分とか、どれだけのヒトがいるのかとかはすごくザックリとした説明だけで、その後、この厨房に顔を出すヒトはいない。
別に閉ざされた場所だというわけでもないから、外で指示を出す声とか焦っているようにバタバタと駆け回る足音なんかは聞こえてくるけど。
「せっかくだから、違う港を見に行こうと思うってセレネが言ったからだろうが」
「ええ、言ったわよ。どんな違いがあるのかを知りたいってね」
「それを聞き逃さなかったシオンから頼まれたんだよね。馬車を手配するからその代わりにご飯作って欲しいって」
リュムとモジュールを繋ぐ船が出る港は、デーナだけではない。ここから少し西に行ったところにも、小さいながら定期船を出している港があるのは地図を見て知っている。
せっかく一番賑わっているデーナを出るのだから、同じ船が出ている港でもどんな違いがあるのかを見てみたいと思って、それを話した記憶はある。
まだ本調子でないだろうヴォルフを気遣ってか、次の町までは警吏が馬車を手配してくれる、なんて話が出てそこまでは受け取れない、とやり取りしている間にルークがそっと離れて行ったのは分かっていた。
「シオン?」
「あのアナグマの警吏。セレちゃん、ミスティさんにお菓子あげた?」
聞いた覚えのない名前を問えば、すぐに答えが返って来た。わたしだって何度も会話をしているし、この詰所に来るたびに対応をしてくれたのはその、シオンさんだ。だけど、ここの警吏で名前を呼べるほどの関係になったのはミスティだけ。それだって、同じヒト族で同性だという事がなければきっとそんな関係にはなっていなかった。
相変わらずルークは誰とでも仲良くなるのが早いのだと感心していたら、いきなりミスティの名前を出されてびっくりしてしまう。
「え、ええ。町を離れるからお世話になったし……ってまさか、それが理由?」
「それもあるだろうね。あとは、忙しくなったから食事の時間が取れないってぼやいてたけど」
「だったらせめて美味しいものを食べておきたい、と」
「そういうことー! まあ、手配してるからそれがここに来るまで、ってことだけどね」
ルークが離れたのは、それを話していたからだろう。この厨房に呼ばれたのも、思い返せばルークに案内されたのだった。そんな交換条件のようなものをつけなくたって、この町の警吏にはとてもお世話になったし、ご飯くらいで返せるなら喜んで作るのだけれど。
宿の手配からお医者さんを呼んでくれたのだって、警吏側ですべてやってくれたのだし。
「惜しんでくれるのは嬉しいけれど、そんなに手の込んだものは作ってないわよ?」
「ヒト族の味覚に合った、ってことじゃない? はい、これ皮むき終わったよ」
「ありがとう。それじゃあこっちのお鍋に入れてくれるかしら」
作業を再開してから、話は段々とモジュールの事についてに戻っていく。そうはいっても、わたしも小さい頃の記憶しかないから今どうなっているのかは分からない。
祖父母の家に連れてきてもらってから、一度だって手紙なんかの連絡が来たこともないし。荷物を取りに行ったときだって、母に見つかる前に戻ろうと急いでいたのもあったけれど、必要以上に街を見て回ろうとも思わなかった。
産まれた街、母のいる場所。だけどあそこはわたしにとって故郷という感覚がない。
リュムと違って、草木がほとんどないこと、街は整然としていて無駄を嫌う造りになっているけれど、似たような見た目の建物がほとんどだから、慣れていないうちは迷子になること。
そんな程度で比べるとも言えないくらいにしか覚えていないから、早々に話は尽きてしまった。
どうしようかと思っていたら、食事を取りにヒトが集まり出したので、話す暇もなくなってしまったのは正直ホッとした。出したら出した分だけ無くなっていくのだから、口を動かしている余裕なんてない。
「シオンは無理だったら構わないって言ってたけど、セレちゃんすぐに動いたもんねえ」
「本人はそう思っていないが、誰かから頼られたら応えようとするからな」
「ルーク、ヴォルフ、何か言ったー?」
わたしと二人の間には、大きな鍋がみっつ並んでいてそのどれもが湯気を立てているので、あまり音が聞こえない。
つまり、わたしの声も二人には届きづらいのだと思って途中から声を大きくしたけれど、獣人である二人には何の問題もなかったようだ。
何も言ってないよ、とばかりに首を横に振ったルークに、一心不乱にキャベツを刻んでいるヴォルフ。何も言っていないならと調理に戻ったわたしが一息つけたのは、それからしばらく経ってからだった。




