9.
ヴォルフ視点
時間は現在に戻ります
「そっか、そんな事があったんだね」
あいつらに立ち向かうと、セレネを任せると決めてから、ルークには今まで口にしなかった種族の事、あの町での事件を全て話していた。それを聞いてから、告げたのはただそれだけ。
俺がセレネの名を呼ばなくなったことも、結果的にマリーとグスタフを死に至らしめてしまったことも、何も問いただすことはなかった。
「直接オオカミ族だって言われると、重みが違うなあ」
「その割には落ち着いてるな」
「だって、僕は自分でそれなりに調べてたし。黒髪ってヒントもあったからね」
黒い色を持つ獣人は、確かに少ない。俺も自分の種族以外では見たことがない。セレネが町に出た頃にいろんなところを見ていたのは、もちろん物珍しいのもあったのだろうが、俺の種族を当ててみせろと言ったからだろう。たくさんのヒトが集まる場所ならば、今まで見なかった黒髪の獣人を見つけられるかもしれないと思っていたはずだ。
「セレネは気付かなかったがな」
「そりゃあ獣人とヒト族は見る場所が違うでしょ。セレちゃんはよく見てるけどね」
そこでルークがベッドで寝ているセレネに視線を送る。その表情はとても優しく、目元を緩ませるのと一緒に少しだけ纏う空気も柔らかくなった。
ルークと二人で寝かせようとしたからか、ベッドに入ってからもしばらくは粘っていたが、すやすやと小さな寝息を立てている。あまり大きな声で話しているわけではないが、起きる様子は見せなかった。
無防備な様子を見せて町を歩き回ったのも、こうして気を抜いている様子を見せているのも、おそらく相手には俺が何かを考えているとは見抜かれているはずだ。だが、それでも向こうは俺の事を捕まえるチャンスが巡ってきたと行動を起こすだろう。
前に取り逃がしてからずっと探していたオオカミ族。連れは自分の力を過信して尊大な態度のクマ族に、逆らえず従っている様子のヒト族。向こうがどれだけの数を揃えてきているかは分からないが、勝てないはずはないと踏むはずだ。そう、思うように仕向けた。
「行くんだね」
「ああ、いい加減鬼ごっこにも飽きてきたからな」
そう言ってはみたが 飽きた、訳ではない。相手にすると決めてから今でさえ、どこか体は強張っているし指先は震えている。だが、どこかで決着をつけないといけないと決心したのだから、逃げはしない。
「セレちゃん、起きたら絶対に向かうよ」
「それを引き留めてもらうために、お前に話したんだろうが」
「ええー、それはそうなんだろうけどさあ……」
くるりと体ごと振り返ったルークは眉間に皺を寄せている。さっきまでセレネを見ていた時の顔とはまるで違うその様子に、文句のひとつも言いたくなったがまるっと飲み込んだ。
小さく不満をこぼしてはいるものの、きっとセレネを引き留めてくれるだろう。俺がいなくなっても、セレネは独りにはならない。ルークがそう思える相手だったからこそ、動こうと決められた。
「任せたからな」
もう一度だけ眠るセレネの顔を見てから、部屋を出た。ルークがひらひらと振っていた手には、軽く振り返すだけで答える。
カウンターで新聞を読んでいた宿屋の主人の視線が、ちらりとこちらに向いた。月のない夜に出る客なんて珍しいのだろう。声をかけられるかと思ったが、ばさりと思っていたよりも大きな音を立てて新聞を捲っただけで、何も言われることはなかった。
それなら、と静かに宿屋を出て、俺のことを探っていた気配と匂いを頼りにして町中を歩いて行く。当てのない散歩のように見せながらも、ヒトを避けるように歩いているのは、見る者が見れば分かるだろう。案の定ヒトの少ない場所に近づくと、今まで様子を伺うようにしていた気配が動き出すのが分かった。
「よう、良い夜だな」
夜でも灯りを絶やさない港町、そのなかでも明るいところが少なく、好き好んで足を運ぶなんてないような、一目見ればあまり治安が良くないと分かるような場所。
そんなところで目を細め、こちらを値踏みするような視線を送ってくるのはトラ族の男。壮年に差し掛かってそうな年頃に見えるが、鍛えられた肉体を主張するような衣服を纏っている。浮かんだ笑みはそのまま自分の実力に対しての自信だろう。
「月明かりもない、お前のようにこそこそ動くような奴には良い夜だな」
「……口は回るようだな。クマの陰に隠れているような奴が」
その言葉を聞いて、今まで感じていた視線はこいつらだったのだと確信が持てた。そして、クマ族に自分の身を隠してもらうように生きてきたのだと思っているだろう。ダメもとで頼んだことだったが、意外にもルークは上手くやってくれた。
オオカミ族はそれなりに戦える種族だが、トラ族だって同じようなものだ。こちらには地の利もないし、背中を預けるような仲間もいない。不利な状況は少しでも減らしておきたい。
戦いの経験は向こうの方が多いだろうから、多少なりとも油断や慢心してもらうつもりで煽るような言葉を選ぶ。
「それでもお前よりはマシだな。獣人を金に換えるような生き方はしていない」
「そこまで分かってるなら遠慮はいらねえよなあ!」
崩れかけた建物、細い路地の裏、そんなところから飛び出してきたのはあの町を襲った時と同じトラ族、そして狩りの上手いキツネ族。ライオン族の姿も見える。自分勝手に動くことが多い種族もいるのに、よくぞこれだけ揃えたもんだ。あまり人数が多くないのは、それだけ目につくことを恐れているか、これだけで俺の事を相手にするには十分だと思っているか。
イヌ族を連れてこなかったのは、本能的に俺の事を恐れてしまうのを危惧したからだろう。そうでなければ、連れてきたはずだ。あいつらほど主人に従順な種族はいない。こういった場で獲物を自分のものにすることがないとは言い切れないのだから。
「逃がすつもりはないぜ。まあ、逃げられるとも思ってないけどな!」
「やってみなければ分からないだろう!」
それが合図となったようで、武器を振りかぶってこちらに向かって来るのはキツネ。視線は真っすぐに俺の方を向いているが、尻尾が膨らんで見えるのは自分を鼓舞しているのか恐れを隠そうとしているのか。
あちらも命じられているだけかもしれないが、武器を向けてきたのならば敵だ。そこに手心を加えてやれるほどの余裕は、ない。
投げられた小刀を避けて、その先にいたライオンに向かって爪を振りかぶる。向こうも同じような体勢だったので、力を籠めるよりも攻撃が届くことを優先して思い切り振りぬいた。
切り裂いた感覚はあったが、やはり浅い。防御するように構えてた相手の腕に赤い線は残ったが、大したダメージにはなっていなさそうだ。
それだけで距離を取るように後ろに下がったライオンに変わって、トラが飛び出してくる。こちらは手数が多い訳ではないが、一撃が重い。爪を尖らせたような武器を拳につけていてリーチがあるのに、月明かりもない夜だと距離が掴みづらい。避けたと思ったのに届いていた攻撃で、服だけでなく体にも傷が増えていく。まだそこまで出血はないが、長引かせるとこちらの体力が削られるだけだ。
「はっ、こんなところまで逃げてたんだもんなあ。足を狙え!」
最初に声をかけて来たトラ族の男はどうやら指示役のようで、今のところ自分から動くことはない。だけど、一人でも周りを見て動きを判断できる奴がいるとこちらは非常にやりづらい。
今も足を狙うような指示を出し、それに応えた仲間のトラが視線を集中させるように上半身を中心に拳を振ってくる。そちらにばかり気を取られていると、ライオンやキツネが尻尾や足を使って体勢を崩そうとするように攻撃をしてくるので、捌くだけで精いっぱいだ。
「一度獲物に逃げられてから学んだんだよ。足を狙うと逃げられねえよなあ」
「それはっ……」
「こんなところで見つけられるとは思ってなかったがな!」
その言葉に動揺して、キツネが放った鞭に足を取られてしまう。踏ん張ったが少し崩れた体勢から立て直すことが出来ずに、そのまま地面に倒れ込んでしまう。
「っ!」
「よし、押さえろ!」
体勢を立て直すよりも早く、指示に従ったライオンとトラ、力に自信のある種族にうつ伏せにされて腕を押さえ込まれてしまえば、俺の力では振り解くことが出来ない。
せめて、と足をばたつかせてみたけれど抵抗と呼べるほどのものにもならなかった。まだ余力があると判断されて、押し付けられる力が強くなったことで胸が圧迫されて息が苦しくなる。
「普段ならこのまま足をへし折ってやるんだがな、お前は怪我をさせたら価値が下がる」
「はっ、そりゃ、光栄だな……」
「おい、あれを持ってこい」
首元に冷たい何かがつけられる感覚の後に、ガシャンと金属音が響く。そこから伸びているだろう鎖の先は、下卑た笑みを隠そうともしないトラ族の男の手が握っている。そうして、トラとライオンが離れるとそのまま荷物のように抱えられ、細い路地へと連れていかれる。
思い切り引っ張られたせいで首に変な力がかかり、息が詰まった。戒めを解けないかと首に手をやって一通り触ってみたが、窪みや取っ掛かりなどはなく、ただ冷たい金属の感覚を伝えるだけ。
「いじったところで解けねえさ」
港に面した通りに繋がっていた路地の先、あったのは商会の倉庫、と言われれば誰もが納得するような建物。獣人を商品にするなら、どこか一まとめに出来る場所があるだろうとは思っていたが、これは町中を探していても気づかないはずだ。他の倉庫に紛れるような造りで、窓から見えるのはただ普通の商品だけ。ここに獣人が出入りしていても何の疑問も持たないだろう。
「こいつは奥の部屋だ。俺は報告に行くから、お前が連れていけ」
「だけどよう、こいつ抵抗する気だぜ?」
担がれていた肩から地面に落とされて、咳込んでいる俺の様子を指差しているのは、さきの戦闘でギラギラした目を向けていたライオン。その言葉からは、まだ暴れ足りないといった感情が読み取れてしまう。俺が抵抗したのなら、それを良い事に鬱憤を晴らそうという算段なのだろう。だが、それは指示を出していたトラにもお見通しだったようだ。
「不要な怪我をさせたら価値が下がると言っただろうが。その分をお前が支払うってんなら止めねえぞ」
「わ、悪かった」
一瞬で竦みあがったライオンに鋭い眼光を向けたトラは、不満そうに鼻息を鳴らすと部屋を出て行った。




