8. -過去-
ヴォルフ視点
昔の話
ウサギ族の集落を模した俺たちを捕まえるための罠、それから結構な時間が経っていたからあの時狙っていた相手は、もう俺の事を諦めていると根拠もなく思っていた。
よく考えれば諦めたわけではないと分かったはずだ。俺という足枷があった状態とはいえ、逃げ続けて自分たちに足跡を掴ませることをしなかったリーダーを手中に収めることが出来たのだから。
絶滅したと言われているオオカミ族、相手にとってそれだけの時間と人手を割くだけの価値があるのだということに。
「グスタフさん! 大変だ!」
こうなるような、予感でもあったのだろうか。グスタフは日課であるはずの畑にも行くことなく、ずっと家にいた。
バタンと大きな音を立てて飛び込んできたキツネ族の男性に、慌てる様子も見せないまま振り向いたグスタフは、いつもと何も変わらない表情を浮かべていた。
「……襲撃か」
「マリーさんが向かってるけど、相手はトラとクマだ! 分が悪い」
グスタフがどっしりと構えているからか、飛び込んできたキツネ族の男性が一瞬だけ落ち着きを取り戻したように見えたが、相手が誰なのかを思い出してまた声を荒げた。
トラもクマも、自身の力が強い種族だ。クマは武器を使う戦いをあまり好まないが、トラはその力をさらに強く使えるような武器を使う戦い方を好む者が多い。何よりどちらの種族も体格に恵まれているから、鍛えていなくてもそれなりに戦えてしまう。
この町で武器を扱うヒトなんて、グスタフとマリーくらいだ。手入れを欠かしていないのは知っているが、相手にどれだけ通用するのか。
「そうか。セレネは隣町にお使いに行っているから、大丈夫だろう」
よっこらしょ、なんて言葉を出しながらでないともう動けなくてね、そう笑うグスタフの顔はいつもと同じ。
立ち上がることすら一呼吸置いているのに、獣人を相手取って戦うなど満足に動けるはずもない。それは、本人が一番よく分かっているはずなのに背を向ける事だけはしない。
深く息を吐き、顔を上げたグスタフの顔からは笑みは消え去っていて、残っているのはかつて戦場を駆け抜けていたという男の鋭利な刃物を思わせる眼差しだけ。
「何かあったら、任せたぞ。ヴォルフ」
「ちょっと待て、これは俺が目的の……」
「そうだろうとも、この町の責任は私達にある」
獣人と一括りにしても、戦うのが得意な種族もいればそうでない種族だっている。この町にいるのは、どちらかといえば戦いには向いていない種族が多い。
だからこそ、こういう場合は逃げたり身を守るように隠れる者がほとんどだろう、そう思っていたのに。
「ヴォルフ、セレネちゃんが帰ってきたら向こうの納屋に隠れるんだよ」
「あそこの周りにはたくさん罠が仕掛けてある。気づいて誰かしら駆けつける時間くらいは稼げるだろうさ」
グスタフの姿を確認した住人達は、およそ武器とは呼べない得物を振り上げて立ち向かう姿勢を見せている。鍬はともかく、フライパンなんてクマ族やトラ族に言わせれば子供のおもちゃにしかならないだろう。
そんな物を構えているなら、まだ俺が前に出た方が被害は少ないはずだ。そう思って声を上げたのに。
「俺だって戦える!」
「馬鹿言うなよ、相手の目的がお前なら出て行かないのが一番だ」
「そう言うこった。ま、戦えなくても場数は踏んでるからさ」
元々獣人が作る町は縄張りという意識の方が強い。そこを気に入ったなら実力で奪い取るようなことも、ない訳ではない。だが、たった一人を捕まえるためにこれだけの数を集めるようならば、間違いなく手段は選ばずに攻撃してくる。戦う事に慣れていない種族が相手にするには、分が悪いなんてものではない。
「それじゃあ、行ってくるな!」
怖くないはずなんてないだろうに、笑顔で向かうその背中を見送ることしか許されなくて。セレネが帰ってきたら隠れろ、と言われた小屋に押し込められた。そこには戦えない種族も集められていたので、俺がそいつらを守れという意味もあったのかもしれない。
小屋で気配を殺し、息を潜めていたからこそ、外の音がよく響く。斬撃、何かを砕くような音、それから悲鳴。それが、聞いたことのある声だと気づくたびに小屋にいる誰かの肩が跳ねる。
どれだけの時間が経ったのだろうか。外の明るさはあまり変わっていないから、それほど長い時間ではなかったはずなのに、体感はもうその感覚すら分からなくなっていた。
結果は、明らかだった。
マリーとグスタフはヒト族の中では強い部類だろう。だが、獣人とヒト族という絶対的な壁を崩せるほどではなかった。もしくは、もっと若いときだったら分からなかったが。
たまたま隣町に行っていたセレネ、帰って来た時には町の様子は一変していた。
「なに、これ……どうしたの!?」
ほんの数時間、町を離れただけなのに毎日見ていた景色が違っていたのだ、茫然としてしまうのも無理はないだろう。
伸ばし始めていた金色の髪を振り乱しながら、そこかしこで倒れているヒトの様子を確認しては、出来るだけの手当てをしている。
泥にまみれ、相手の血で自分のワンピースが汚れようが構うことなくあちこち動き回っているセレネの姿を見ても、足が動くことはなく。この惨状は、間違いなく俺が引き起こしたものだ。それをセレネに知られてしまうのが、俺の事を見て柔らかく細められる青い瞳に拒絶の色を見るのが怖かったのかもしれない。
「セレネ……」
「ごめんな、セレネ……ごめんな……!」
「おじさん、何を、謝っているの」
「俺たちは、あの二人に救われたってのに、守れなかった」
マリーとグスタフは、今回襲撃してきたトラ族とクマ族、それに便乗した他の種族を退けてから、その役目は終わったとばかりに眠りについた。
最期まで、町を守り切れなかったことを悔やみながら。そして、孫娘のセレネを独りにしてしまうことも。
「おじいちゃんと、おばあちゃんは?」
まだ幼いセレネに正直に伝えるのは酷だろう、と襲撃の事はぼかして伝えることにした。
周りの大人たちの判断だったが、それに否を唱えることはなかった。マリーとグスタフも出来る限り綺麗に身を整えてから、その姿を見せて。
ここに住んでいるのは、誰もがマリーやグスタフに救われた経験がある者ばかり。実際に見ていたのに、二人並んで眠る姿を見ても死んだのだという現実を受け入れられなくて。
セレネは、もう二人に二度と会えないという事は理解したが、どうして亡くなったのか、それは周りが口を噤んだからかはっきりとした理由までは分かっていなかったようだ。
「もう、二人とおしゃべりは出来ないのね」
「すまない、セレネ……」
「誰のせいでも、ないのでしょう?」
町の様子を見て、二人の姿を見て、何も思わないはずはないのに。俺たちが幼いと思っていたセレネは、一度も泣き顔を見せることなく、淡々と二人の埋葬を終えた。周りがあれそれと世話を焼こうとしても、逆に気を遣うような素振りすら見せて。
隣の住人が田舎に帰るから、と空いた家に住むようになったのは、初めはただの罪悪感からだった。
俺がこの町に来なければ、今でもセレネはマリーとグスタフ、そしてこの暖かな住人達に囲まれて笑ったり、泣いたりして過ごしていたはずだ。それを奪ってしまった自分が、隣にいる事は許されないかもしれないが出来ることはそれくらいしか思い浮かばなかった。
幸いにも、残った住人は俺がこの町にそのまま残る事を咎めずにいてくれた。少しでも自衛の手段を持ちたいから、と稽古を頼まれる機会も増えた。
「ヴォルフ」
あの事件からしばらく、人形のように笑顔で固定されていた表情が少しずつ変わるようになった頃。
「わたし、この町を出ようと思うの」




