7. ー過去ー
ヴォルフ視点
昔の話
自分が、貴重な種族だと知ったのはいつだったか。ある程度物事の分別がつくような年齢になった時には、ヒトの目を避けるように生活している事には気がついていた。
一か所に留まらないように、移動しながら過ごしている事にも。ただ、他の種族の生活を知らなかったし、当時はそれが当たり前のことなのだと思っていた。一緒にいたのは自分の事をリーダーと呼べ、と笑う男性だけだったから。
当たり前のことではなかったと知ったのは、いつものように物々交換のために小さな集落に立ち寄った時のこと。
それなりにリーダーと時間を過ごし、他人との関わり方を学んで自衛の手段も覚えていたから、自分は大丈夫だと自信も出始めていた時期だったと思う。
「あら、お客さんなんて珍しい」
そこはウサギ族が中心で、自分たちが生活するのに困らない程度の畑を耕している、どこにでもあるような集落の様子だった。余所者の俺たちにも態度を変えることなく接してくれた姿に、にっこりと目尻を緩ませる笑顔に、リーダーが張り詰めていた気を緩めたのも分かった。
ここまでずっとヒトを避けて移動していたうえ、夜になるとどこかからか攻撃される日が続いていたから、無理もない。
場数を踏んでいるリーダーでさえ分からなかったことに、まだいろんなことを知らなかった俺が気づくはずもなかった。その集落が、俺たちを油断させるように全てを偽っていたなんて。
「長旅で疲れたでしょう。ここは何もないけれど、ゆっくりしていって」
久しぶりの温かい食事、ふかふかのベッドに案内されたときにはもう手遅れだった。
俺たちを捕らえるために用意された舞台、その綻びを見つけたところで何も出来る事なんてない、そんな状況から俺は逃げ延びた。
理由はただひとつ、リーダーが身を挺して俺を守ってくれたからだ。
食事には、意識さえあればどうなっても構わないとばかりに結構な量の薬が混ぜられていたようだった。リーダーが気づいて俺の分もわざと平らげてくれたから、ベッドに入ったタイミングを見計らって襲われたときに、その食事を食べていない俺だけが動くことが出来た。
「お前だけで、生きるんだ」
指先ひとつ動かすことすらままならないのに、いつもの笑顔を浮かべようとして上手くいかなかった顔は、今でも脳裏に焼き付いている。
そこからどうやって集落を出たのかは覚えていない。リーダーがその後、どうなったのかすらも。
調べることは、出来たはずだ。だけど、それは結果を知ってしまうという事だと気づいてからは調べようとも考えられなくなっていた。おそらく生きていると、ひどい目に遭っているわけではないと思いたかったのだろう。
風で葉が揺れる音ですら恐怖となり、自身の闇に紛れる黒色で暗がりに潜んでいても、目を瞑るとあの集落の奴らだけでなく誰もが俺の事を見ているのではないかという錯覚すら起こして。
あの町に辿り着いたのは、偶然だった。
最低限しか踏み入れないようにしていたが、いくつかの町や集落で話には聞いていた、ヒト族が中心となって興したという噂。たくさんの種族が入り混じって生活しているというその町は、誰でも安心して過ごせるのだと。
何度か耳にしてはいたが、自分に何の関係もないと思っていたし、そこまで話題になるのならリュムの中心に近いところにあるだろうと、勝手に考えていた。
「あら、あんた怪我してるじゃない。手当てするからこっち来な」
「必要ない」
岩の陰に隠れて息を潜めていたはずなのに、いとも簡単に俺の事を見つけ出したヒト族は、当たり前のような口調で、それを告げてきた。
それを素直に受け取るには、まだあの集落の記憶は生々しくて。一目その姿を確認して、指摘されたように怪我をしているが、これなら自分でも逃げられると判断してすぐ、拒絶するように視線を自分の足元に落とした。
「そんなはずないだろう。それとも、自力じゃここまでも来れないのかい?」
「っ!」
「だったらそうだと言ってくれなくちゃ。ほら、行くよ」
目を離したのはその一瞬だけだったのに、次に見えたのは目の前で不敵に笑うヒト族の女性の姿。見誤ったかと体を硬直させたのも、悪手だったのだろう。
重ねた年月を思わせる皺の刻まれた手は、思っていたよりも遥かに力強く、掴まれた腕を振りほどくことが出来なかった。
いや、その気もなかったのかもしれない。いろんなものから逃げ続ける生活に、疲れていなかったとは言えなかったのだから。直前でコレクターに雇われたトラ族と一戦交えていたのもあり、体力も残っていなかった。
ここで、あの集落と同じような展開になったとしても、今の自分の体の調子では抵抗する事は出来ないだろうと。
「おい、放せ……!」
「そう言われて放すなら、最初から手を伸ばしゃしないよ」
それなのに、口は思っている事と正反対の言葉を紡ぐ。迷うことなく進む足取りに連れられているうちに、足に力が入っている事にも気がついた。
ああ、こんな状況で何もかもどうでもいいと思っているのに、体はまだ抗おうとしているのか。そう思えば次に浮かんでくるのは自分を嘲るような笑み。だけど、そんな表情は誰にも見られたくなくて、目の前で腕を取って歩くヒト族がこちらを見ていないのは分かっていたが俯いてしまう。
だから、その進む先に何があるのかなんて、全く分からなかった。
「おーい、帰ったよー!」
「お帰り。おや、お客さんも一緒か」
「手当てをするから、庭に一式持って来ておくれ」
今まで見て来たなかでも格段に古めかしく、こじんまりとした家。だからといってボロボロなわけではなく手をかけて大切に使っているのがよく分かる、そんな家。
呼ばれて出て来たのも、俺の腕を取ったヒト族と同じくらいの年齢だと思う。女性の言葉に頷いただけで家の中に戻っていった男性は、ひょこひょこと片足を引き摺っていた。
「セレネ、お庭にお客さんがいるからお茶を用意しておくれ」
「用意だけでいいの?」
「ああ、じいじが持っていくからね」
あれこれ世話を焼くヒト族、あの忌々しい記憶と同じ笑顔なのに、向けられる感情は正反対。いてはいけない、そう思って出て行こうとするとどこからともなく現れては邪魔をするおせっかいな住人達。
「マリーさんのところにいるんだろう、これ持ってお行き」
俺が、絶滅したと言われているオオカミ族の生き残りだと知っても、何一つとして変わることのなかった態度。
安心して眠れるようになるなんて、そんな日が来るなんて思ってもいなかった。これが幸せなのだと、とうの昔に失くしたと思っていた感情が、自分の中から湧き上がってくるのを確かに感じて。
「セレネ、たくさん採ってきたねえ。これならジャムにしてもまだ余るから、お裾分けに行こうか」
「おじいちゃん、わたしにも作り方を教えて欲しいの。これね、ヴォルフにもあげたいのよ」
「おやおや、どうしたんだい」
「だって、ここにずっと皺を寄せているのよ。美味しいものを食べたら、きっと笑顔になるわ!」
「そうだねえ、それならうんと美味しいのをじいじと作るとするか」
聞こえてくるのは、穏やかな優しい会話。それを偶然聞いてしまったから柄にもなくそわそわしているのを見られてはからかわれて。
何の変哲もない日常、だけどそれは俺がずっと焦がれていたもので。ここでならば、俺はオオカミ族として、狙われるだけではない日々を過ごせるかもしれないと、そう思い始めていた頃。
やはり俺はヒトと関わってはいけなかったのだと、突きつけられた。




