5.
「おはようございます」
「おはようございます、昨日はありがとうございました」
「いえいえ、大したことはしておりませんから。ご宿泊の延長は?」
二泊、そうお願いしてあるからこの宿にいるのは明日の朝まで。何か考えがあるらしいルークとヴォルフに相談もしてみたのだけれど、ハッキリとした答えはもらえなかった。だから、ここはわたしの判断でいいのかもしれない。
「もう一泊、お願いできるかしら」
「もちろんですよ」
追加の銀貨を支払ってから、男性の顔をまじまじと見つめてしまう。宿のフロントを任されているだけあって、人辺りの良さそうな笑顔を浮かべているし、言葉遣いも丁寧だ。何度か言葉を交わせば、少しだけ砕けた雰囲気になるのもわたしにとっては話しやすい。ルークに対してはずっと丁寧に話しているから、その辺りの見極めも上手なのだろう。
「あれー? セレちゃん、何話してるのー?」
「ルーク」
トントン、と軽い足音を立てて階段を下りて来たルークは、わたしが宿の男性と話している姿を見るやすぐに声をかけてきた。そのまま、すすすっとわたしに近づいてきて、背後からわたしの事を覗き込むような体勢になり、男性には自分の表情を見せないようにしている。
「ねえねえ、何を話してたの?」
「昨日の夜に伝えてなかったかしら? 宿泊延長をお願いしていたのよ」
「そっか、そんな話してたねえ。もうお金払っちゃった?」
目元はわたししか見えないようにしているから、口調は冷たいけれど表情はいつものルークだ。それなら、この会話もきっと必要な事なのだろう。元々宿の延長は相談していたし、一日伸ばすことで納得している。
「え、ええ」
「ふうん。僕たち、明日にでも出ようと思っていたんだけど」
「そうなの? 昨日話した時にはそんなこと一言も……」
「でも、支払い済んでるならしょうがないね」
残念だ、とばかりに表情を歪めたルークに、宿としては一言でも伝えないとまずいと思ったのか、それともルークのその態度から問題に発展してしまうと感じたのか。
笑顔から一転、申し訳ないような顔をした男性が焦ったように口を開いた。
「今さっきの話ですから、ご返金も可能ですが」
「ううん、いーよ。薬多めに売ればいいだけだから」
薬、そう言いながらわたしに投げられた視線は、作り物のように感情をまるで感じ取ることが出来なかった。
事前に話を聞いていなければ、ルークの変わりように硬直してまともに返事も出来なかっただろう。それくらい、この宿や町で見せるルークの顔は今まで見て来たものと違っている。
わたしを一瞥だけして宿を出ていくルークと、相変わらずフードを被ったままのヴォルフの背中を急いで追いかけるようにしてわたしも町へと繰り出した。
「それで、目的は達成できそうなのかしら?」
「たぶん、ね。僕よりもヴォルフに聞いた方が確実だと思うよ」
「そうなの? ヴォルフ」
「……ああ、十分だ」
町をぶらぶらしながら、いろんな所や露店を見て来たけれど、どうも目的は何か探し物があるという感じではなかった。それなら、わたしのように町の事を知りたいのかとも思ったのだけれど、そうではなく。
お昼ご飯は大きい通りにある賑わっていたお店で食べたし、ヒトを避けているというわけでもなさそう。イカの丸焼きを堪能して、のんびりと道行くヒト達を眺めていたりしたけれど、その場から動くこともなく。何かあったのかと聞かれたら答えられるのは、気持ちよさそうに日向ぼっこをしているルーク、途中吹いた風でヴォルフのフードが捲れて久しぶりに陽の下で夜を閉じ込めたような黒髪を見たくらいだ。ずっと深く被っていたのに、風が吹いただけで捲れるなんて珍しいなとは思ったけれど。
結局、何が十分なのか分からないままに宿に戻った。カウンターにいたのは、今朝も話した男性で、わたしの顔を見るとわずかに表情を緩めてくれた。
「お帰りなさいませ。こちら、部屋の鍵になります」
「ありがとう」
十部屋以上はあるのに、少し会話を交わしただけの客の顔と部屋を覚えているのだとしたら、それはすごい事だろう。
ルークもヴォルフも男性に挨拶を返すことなく階段を上がっていってしまったので、鍵を持っているわたしは宿を出た時と同じように駆け足でその背中を追いかける。
「さすがに今日は良く歩いたね」
「歩き回ることが目的だったの?」
ブーツを脱いだ足をゴリゴリとマッサージし始めたルークに、ヴォルフも珍しく同意していた。マッサージまではしていなかったけれど、どれだけ歩いても疲れなんて知らないといった様子だったのに、少しだけ寛いでいるような力を抜いているような姿のヴォルフはあまり見ることはない。
「それも少しあるかな」
「無理をさせたな」
部屋に備え付けのポットで、スッキリするような薬草で淹れたお茶を渡せば、口々にお礼を伝えられた。わたしも自分が使っていたベッドに腰掛けたら、足がじんと痺れを主張し始めたので疲れを自覚する。
「セレちゃんも疲れたよね、マッサージしようか?」
「そこまでは大丈夫よ。ルークも、いつもより大変だったでしょ」
わたしの事を気遣ってくれるのはありがたいけれど、目元をごしごしと擦っているルークの方が疲れているように見える。
ヴォルフは部屋でもフードを被ったままだから、表情を窺うことは出来ないけれど、外を歩いている時のような尖った針のような空気は、イカを刺していた串くらいには柔らかくなっている。
あまり、違いはなさそうだけれど。
町を歩きながら調達していた屋台の食べ物もあるし、前に買っていた携帯食料でそろそろ駄目になってしまいそうな物があったので、夕食はそのまま部屋で取ることにした。
「ルーク、たくさん交換していたのね」
「港町だと、木の実とかは物によっては貴重だからね」
「作り溜めていた薬も売れたんだろう?」
ヴォルフが干した魚の身をむしりながら言うのは、ルークがたくさん採ってきた薬草を無駄にしてしまわないようにわたしが作っていた薬の事だ。
おばあちゃんから自分の身だけで稼げるようになりなさい、と仕込まれていたとは言っても、本職から比べたら出来は良くないだろう薬。
それでも、町のヒトのなかには医者にかかるのにも躊躇してしまう場合があるから、ちゃんとした効果の出る薬は、木の実やきのこよりも高く買い取ってもらえることがほとんどだ。
「ルークがたくさん薬草を集めていてくれたおかげね」
「ヴォルフも詳しいんだよ、さすがだよね」
「必要に迫られて覚えただけだ」
ここしばらく、ヴォルフがこうやって会話に入ってきてくれることが少なくなっていたので、部屋の中限定とはいえ気安い会話が出来ることがとても嬉しくて、あれもこれも話したいと思ってしまう。
それをルークが止めることなく笑って見ていてくれるものだから、わたしが話すことが多かったのだけれど。
いつもよりも早い時間に夕食だと始めたのに、気がつけば外はすっかり暗くなっていた。下の通りからは陽気な歌声も聞こえてくるような時間。
ふと見上げた空には、星はたくさん瞬いていたけれど月はなく。そういえばちょっと前に月がだいぶ細くなっていたな、と思い出した。
月が隠れている夜、いつものように光が届かないだけで暗さが際立っているように感じていたから、小さい頃は怖くなって祖父母にしがみついていたという事まで記憶の底から引っ張り出されてくる。
もう誰かにくっついている、という事はしないけれど、どこか胸がざわついてしまうのは今も同じ。
「今日は新月なんだね」
「そうね、月が見えないだけでいつもと同じ夜なのに」
わたしがずっと窓から外を見上げていたからか、ルークも窓際に寄ってきて一緒になって空を見上げる。
「あの中にヴォルフがいたら、見つけられるかしら」
夜で染めたような黒髪は大好きな色だけど、わずかな星の瞬きだけではそこにヒトがいると見つけることは難しい。
「セレちゃんだったら見つけられるんじゃないかな」
「わたしだけで無理だったら、手伝ってね」
「もちろんだよ!」
ルークと二人、くすくすと笑いあってから窓のカーテンを閉める。
それを呆れたような顔で見ていたヴォルフも、一瞬だけ表情を緩めていたのは、たぶん見間違いではないだろう。
「……任せたぞ」
次回の更新、少し時間を頂きます。




