2.
そわそわして落ち着かないわたしに、ルークがそっとソファーを案内してくれた。肩を支えてくれる手つきはとても優しいけれど、座らせるためにぐっと入れた力は強く、抵抗らしい抵抗なんて何一つできないままにわたしの体がソファーに沈む。
「セレちゃんはさ、獣人にとっての常識ってどれだけ知ってるの?」
座り込んだら動けなくなったわたしの代わりに、紅茶を淹れてくれたルーク。蜂蜜入れよう、なんて話していたのに何も入れることなく飲み始めた。
目の前で揺れる湯気をぼんやり眺めながら、ルークの問いかけの意味を考える。常識、知っていて当たり前のこと。
思い返してみれば、あの町に住んでいて囲まれて過ごしていたのに、獣人という意味で深く見ていたことはなかった。
「それぞれの種族で特性があるでしょうけど、そこまで詳しくは聞いていないわ」
「まあ、あの町にいたのなら聞かないかあ……」
獣人でも、わたしと同じヒト。祖父母と同じ接し方をしていたけれど、違いは確かにあったはずなのに、それを見ようともせずに目を逸らしていたのは、わたしだ。
今更ながらに、自分が周りの事を知ろうとしていなかったことを痛感していると、ルークから返って来たのは思ってもいなかった言葉だった。
「知らない事は、今から知ろうとすればいいだけだよ。だから、たくさん話そう?」
コップを置いて、頬杖を突きながら優しく笑いかけてくれるルークの姿が少しぼんやりして見えるのはきっと、湯気のせい。
目の奥がつんとするのも、何か言わなきゃと思って開きかけたままで動かすだけの口も。ルークの夕焼けみたいな色の瞳には見えているだろうに、黙って見守っているだけだ。普段はそうとは見えないのに、こういった時の仕草ひとつで確かに自分よりも経験してきたことが多いのだと感じてしまう。
しばらく深い呼吸を繰り返し、自分でも落ち着いたと自覚出来てから、ようやくわたしは言葉を紡ぐことが出来た。
「モジュールにいるヒト族が、その、獣人の事をあまりよく思っていないから。わたしが話を聞いたのは全部、おじいちゃん達からよ」
「グスタフとマリアンヌって、獣人からも名を知られてる珍しいヒト族なんだけどね。あの二人の名前が知られるようになったのには理由があって」
モジュール出身だとは先ほど伝えていたので、わたしが話を聞いたヒト族の事を聞いて納得した様子を見せたルークからおじいちゃんとおばあちゃんの名前が出てくるとは思っていなかった。
わたしの今までを見ていたからこそ、知識の元となったヒトの事は気になっていたのかもしれない。だけど、そこを深く聞くのではなくて、ルークから語られるのは祖父母の名前を、町の名前に冠するくらいの認知度の高さの理由だった。
「それが、コレクターから恨みを買っているわけなんだけど」
「コレクターって、何かを集めるのが趣味のヒトよね? あの町にもいたわよ、珍しい花を押し花にして見せてくれたもの」
花を集めているんだと言っていたのはウサギ族の男性。綺麗にスクラップされたものを丁寧に扱っていた姿は、わたしも何度か見たことがある。そういうヒトの事をコレクターと呼ぶのだと思っていたのに、どうしてそれが恨みを買うような話になるのだろうか。
「そうだね、それだけだったらいいんだけど。名前の通り、コレクターって何でも集めるんだ。それが、例え生き物であろうともね」
何の前触れもなく告げられたコレクターの事、何でも集める、それが花や宝石のような自分が愛でるだけの物ではなく、生き物ですら。
自分の頭に浮かんだ予想は間違って欲しいと願う。だけど、それは間違っていないだろうとどこか冷静な部分が告げるのも事実。
その答えを確認するためには、目の前で瞳を揺らしているルークに問いかけなければいけないのに、喉が張りついてしまったように言葉が出てこない。
「……まさか、」
何とか絞り出せたのは、その一言だけ。それなのに、ルークは正解を褒めるように少しだけ表情を緩めるものだから、間違っていて欲しかったわたしの想像は、正しく答えだったのだと思い知る。
「そう、簡単に想像がつくでしょ? 特にモジュールに住むヒト族は獣人を自分よりも下だと思っている。自分たちの利益の為なら、獣人なんてどんな扱いをしてもいいってね」
「そんな事!」
「ふふ、そうやって怒ってくれるセレちゃんが、ヒト族にしては珍しいんだよ。あの二人もね。
この大陸にいても、僕らの事を対等に見ようとするのは少ないんだ」
旅を始めた頃に、ヴォルフとの関係を護衛かと聞かれたのは、利害関係もないのにヒト族と獣人が一緒にいるなんてあるはずがない。そう思われていたからこその質問だったのだろうか。そうだとしたら、今まで通ってきて過ごしてきた町でわたしとヴォルフ、最近ではルークも一緒だけれど。何も知らない獣人たちに、わたし達の姿はどう映っていたのだろうか。二人に不快な思いをさせていなければいいのだけれど。
「デーナの名前が獣人たちの間でも広がっているのは、そういう意味もあってね。気をつけないと、攫われてしまうよなんて子供の頃は嫌というほど聞くから」
「子供がいたずらをした時に言う、常套句のようなものではなくて?」
「最初はそうやって覚えるんだよ。僕も自分で歩き回るまではそうだって思っていたし」
子供の頃、わたしは寝物語に何を聞いていたのだろうかと思い返しても、そういった話を聞いた覚えはなかった。思い出したのは、おばあちゃんが山を駆け回っておじいちゃんを追いかけ回していたとか、海の先にどっちが先に辿り着けるか競争していただとか、子供心にもわくわくするような冒険の話がほとんどだった。
「だけど、友好的なはずのヒト族と一緒にいる獣人が、必ずしもいい関係を築いているわけではない」
「それじゃあ、おじいちゃん達が恨みを買っているのって」
「僕も、話というか噂しか聞いてないんだけどね。獣人が商品になる場があるって」
話を聞き始めてから、うっすらと頭の片隅をよぎっていたことが、ルークの言葉で現実となる。決定的な単語を出さないように、言葉を選んで伝えようと配慮してくれている気遣いは有難く受け取るけれど。いろいろ聞いた話を繋ぎ合わせたそれは、たぶん間違っていないしわたしの想像できる範囲を超えてしまっている事。だけど、商品扱いが決していいものではないという事だけはすぐに理解できた。
どきどきと早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように、ぬるくなったっ紅茶に口をつけるけれど、喉を滑り落ちていく感覚だけが残る。
「……ヴォルフの種族、自分から言わないなら僕からは伝えちゃいけないんだと思う。だけど、珍しい種族だって事は知っておいて欲しいんだ。今までの行動にも、ちゃんと意味があったんだって」
内緒だよ、と人差し指を立てるいつものような仕草に、強張っていた体から力が抜けていくのが分かった。もう一口、紅茶を飲めばさっきは感じなかった濃い目の味が口の中を満たしていく。
「獣人の事や種族の事を知らなかったなんて、言い訳にしかならないわね。それなのに、ここまでヴォルフのことを連れ回してしまったわ」
「違うよ、セレちゃん。ヴォルフは自分でセレちゃんと一緒に行くって決めてここまで来たんだ。このタイミングで話したのは僕の勝手だけど、たぶんこの先に関わってくるはずだから」
ルークはずっと、わたしに気に病むことはないと伝え続けてくれた。その気持ちはとても嬉しい、だけどその気持ちに甘えてしまってはいけないとも思う。
知らなかったのは事実、だけど今ルークが話してくれたから知ることが出来た。獣人にとっての当たり前の認識、それからきっとこの大陸にすんでいるヒト族にも常識だったのに、わたしが知らなかったこと。
教えてもらったばかりなのに、この先に何が関わるのかというのはまるで見当がつかないので、オウム返しのようだけどルークに向かって首を傾げてしまう。
「この先?」
「たぶん、ヴォルフを狙っているコレクターがいる。モジュールに連れて行ってしまいさえすれば、高く売れるからね」




