1.
新章です。
全体的に、少し重い話が続きます。
最近、ヴォルフがピリピリしている。
一緒に旅をするようになってしばらく時間は経っているから、ルークに関して何か苛立っている、という可能性は少ないだろう。
かといって、今まで通って来た町の中でこれといって絡まれたりなどもなかったので、思い当たる節もない。
ただ、ここしばらくはヴォルフのささくれ立った空気が気配に敏感な獣人を刺激してしまうので、買い出しなどでは寄るけど町に入るのはわたしだけという事が多くなったし、寝るのはほとんど小屋になっている。
ルークが採集してくれる薬草や、それを元にわたしが調合した簡単な薬をそれなりの額で買ってもらえているから、旅の資金が厳しくなっているわけでもないのだけれど。
「何か、理由が分かればいいんだけど」
「そうだねえ、ヴォルフも話してくれないし」
「そうなのよねえ」
ルークも、わたしが町に買い出しに行っている間にそれとなく話を振ってくれているのだけど、ヴォルフもあまり話さないようにしているようで特に会話が続く、という事もないらしい。
ただ、初めにヴォルフの変化を感じ取ったルークから小屋に泊まりたい、と言い出した事に関しては後でこっそりと謝罪とお礼を言ってきたそうだ。
それからというもの、フードはいつも以上に深く被っているし、ヒトの通りそうな道を避ける傾向がある。草をかき分けて進むような道を選んでいるのにも関わらず、わたしに対しては自分が先に進んで道を作ってくれる、なんて気遣いは忘れないからそこまで焦っている様子もないんだけど。
いつもありがとう、とお礼を告げても最近では返事が返ってくることも少なくなった。
こんなに頑な、というか険しい表情をしているヴォルフをあの町で見たことはなかったので、わたしもどうしていいのか分からない。
「とりあえず、食事にしようか」
「今日はお魚が安かったのよ。さすが港に近いだけあるわね」
「そっか、海の匂いがすると思っていたけどもうすぐそこなんだね」
大陸と大陸を繋ぐ船が出る港町、リュムにはいくつかあるけどこの先にあるのは一番大きいと言われている町、デーナ。この町だけは、他の呼び名をつけられることなく、誰であってもデーナと呼ぶ。それだけ、船が行き交うこの町の知名度が高い、という事だ。
祖父母の地図にも、ちゃんとに名前は書いてあった。隣にイカの丸焼きが美味しかった、とこっそり書き加えられていたので実は少しだけ食べるのを楽しみにしている。
「デーナからなら船に乗れるけど、その先はどうするつもり?」
「正直、船旅はあまり考えていなかったわ。リュムを出ることもね」
そもそも、リュムをぐるっと見て回りたいと町を出たのに、まだ全部を見て回ったわけでもない今の段階で別の大陸に行くとは考えてもいなかった。
それに、他の二つの大陸に向かうにはいろいろと解決しないといけない問題がある。
「今からイシュバーンに行くって言われても、僕はうんと言えないから助かるけど」
「ルークでもそんな気持ちになるの?」
ルークが力を見せる場面は何度か見て来たけれど、この辺りの通りすがりを襲って金品を巻き上げるような事をしているヒト達なんて、簡単に伸していたから今の言葉は少し意外だった。
極力怪我をさせないようにしているのだって、警吏に突き出した時の報奨金が変わってしまうからだとばかり思っていたのだけれど。
「僕たちは、武器を持った戦い方は教わらないからね。自分で覚えるしかないんだけど、素手でもそこそこ戦えちゃうからあまり覚える同族はいないかなあ」
「そうだったのね。わたしは素手でも全然ダメだからイシュバーンに行くのはまあ、いつかの目標にしておきましょうか」
イシュバーンにいる獣人はリュムに住む獣人とは違って、好戦的な性格をしているというし、戦って自分たちの縄張りを広げるのは日常茶飯事のようだから、今みたいな旅をしているわたし達なんて、あっという間に標的にされてしまうだろう。そうなった場合に間違いなくわたしが足を引っ張ってしまう、というのは想像しなくても分かる事だ。
それを退けられるような実力がないと、あの大陸をぐるっと回ることなんてできるはずがない。何より、のんびり歩いて旅をしているとはいえ、リュムの三倍くらいはあるというイシュバーンを移動するのに徒歩では、どれだけ時間がかかるのかも見当がつかない。
「あそこに行く予定もあるなら、馬に乗れないとねえ。セレちゃん、どうなの?」
「そこまで速く走らせられないけど、一応乗れるわよ」
「そっか、ヴォルフは……乗れないはずないか」
ルークが視線を投げたので、倣うようにわたしもヴォルフの方を向いてみるけど目線が合う事はない。あの町に居着く前は一人で旅をしていたというのだから、乗れない事はないだろう。
馬がヴォルフの事を怖がってしまう、という事はあるのかもしれないけれど。
「それに、イシュバーンもモジュールも、僕らに対していい感情を持っているヒト族居ないでしょ?」
「イシュバーンは分からないけれど、モジュールにはいないでしょうね。私の両親がそうだもの」
あの時、毎日のように聞いていた言葉。母が祖父母を罵倒して、そんな風にはなるなと言いながらわたしを置いて仕事に向かう背中は、今でもよく覚えている。幼い頃に見たきりなのに、未だに時々夢で見るほどに。
母、そう呼んでいるけれどわたしがあのヒトにそういった感情を向けることはきっとないだろう。
「セレちゃん、モジュール出身?」
「出身と言われればそうだけど、本当にちょっとしか記憶にはないのよ。小さい頃にリュムに来たから」
ルークからは意外、という表情をされたけど、わたしがあまり覚えていないと言ったからかそれ以上、モジュールについて何か聞かれることはなかった。
獣人の間ではモジュールに行くと酷い目に遭う、という話は伝わっているものの、具体的にどんな事なのかまでは分からないのだろう。少しでも覚えていれば、今後の参考になったのかもしれないけれど、こればかりはどうしようもない。
行きたい、と思えないのだから。
「リュムは過ごしやすいからね、気候も穏やかだし」
「ええ、そうね」
新鮮な魚だったから、生食も大丈夫だと店員さんからは太鼓判を押されたけれど、気を張っている様子のヴォルフを見ていたら少しでも負担になるようなことは避けたくて、結局中途半端に残っていた野菜と一緒に蒸すことにした。
我ながら美味しく出来たとは思うのだけれど、食事の間に交わす会話にも混ざってくることはなく、小屋の中にいても警戒を解かないヴォルフの顔つきは険しいままだ。
何か力になれることはないかと、食も細くなったヴォルフでも食べやすいように魚を選んできたのに、いつもよりも食事を進める手が遅い。
「……悪い」
「ヴォルフ!?」
それでも少しずつ魚を口に運んでくれていたのに、外でわたしにも聞こえるくらいの大きな音がした途端に、断りを入れると同時に席を立ち、小屋を飛び出していってしまった。
あまりの速さに、ルークですらも反応出来ずにヴォルフが夜の闇に紛れて見えなくなるまで、その場で呆然としてしまう。
「行っちゃった……」
「青い顔していたけれど、大丈夫かしら」
わたしを見て、悪いとそう声をかけたヴォルフの顔色は、灯りを最低限にしかつけていないからという理由では納得出来ないほどだった。
「どこに行ったか、匂い辿れば追えなくもないけど、ヴォルフの足速いからなあ」
「一晩、待ちましょうか」
きっとヴォルフはここに帰ってくる、そう信じるだけしか出来ないのだけれど。開け放たれた入り口の扉を閉める時に、走って行った方向に目を凝らしてみたけれどやはり、わたしの目ではヴォルフの姿を捉えることは出来なかった。
遠くに見える町の光、あそこがきっとデーナだろう。
細くなった月の光は、薄い雲が遮ってしまって地上までは届かない。そんな時でも船を出すヒト達を導くのは、海の方角に向かってまっすぐ伸びる光。
「それなら、今日は僕と一緒にたくさん話しようよ。セレちゃんの事、たくさん聞かせて欲しいんだ」
「ありがとう、ルーク」
にっこりと笑顔を作ってわたしが起きていられるように、そして気に病まないように自分のわがままだという事を前面に押し出してくれたルークの優しさに、今は甘えてしまおう。
「えー? 蜂蜜入れた紅茶も用意してくれるってー?」
「ふふっ、今日はたっぷり入れましょうか」
キュッと握りしめた手を優しく包み、震える肩に寄り添ってくれるルークの軽口に乗るように小さく笑いを漏らす。そうして、ゆっくりと小屋の扉を閉めて、夜を明かす準備を始めた。
港が近い、という事は船で行き交うヒト達がたくさんいる、ということだ。イシュバーンやモジュールから来る人だって、珍しいけどいない訳ではない。
そして、わたしは知らなかったのだ。獣人にとっての常識、ヒト族でもあの町でなければきっと聞いたことがある話を、たったひとつだけ。
ブックマークありがとうございます。
今まで伝えそびれていたので、この場にてお礼を申し上げます!




