5.
「ところで、この小屋で合っているわよね」
北の門から出て真っすぐに進んできたし、小屋や休める場所を見落としてはいないはずだ。だけど、ヴォルフのように小屋に入る前から誰かいるとか、そんな事をわたしが気づけるはずはないのでどうしようかと悩んでいたら、バンッと激しい音と共に、目の前の小屋から何かが飛び出してきた。
「本当に来てくれた……!」
「お前の馬鹿力で抱き着くな」
視界一杯に広がった赤褐色が離れていくのと一緒に、急に抱きしめられたことで苦しくなった体が解放される。一瞬でグッと締まった体が求めるままにゆっくり呼吸をしてから前を向けば、首を引っ張られたような体勢で私から少し離れた位置にいるルークと、その後ろにいるヴォルフの姿が見えた。
間違いなく、ルークを引き剥がしてくれたのはヴォルフだろう。首元を引っ張っているのは片手で、反対の空いた手は頭痛を堪えるかのように自分の頭を支えている。
「来ると言っただろう」
「そう、だけど! 本当に来るかどうか、僕には分からなかったし……」
「あなた達、随分と仲良くなったのねえ」
首を押さえつけられたままだから、体格は大きいのにヴォルフを見上げるように声を上げているルークの姿が、喧嘩をして兄に怒られている弟のように錯覚してしまった。
そんな事を考えていたらぽろっと口から零れてしまったのだけれど、どうやらそれには思うところがあったようで、ヴォルフから即座に否定の言葉が重ねられた。
「仲良くなんてなってない」
「そんな、さっきまであんなに話を聞いてくれたのに」
「お前が一方的に話していただけだろう」
「本当に、仲良くなったのね」
ヴォルフがこうして、あの町の住人やわたし以外で話す姿を見るのは珍しくて、思わずまじまじと見つめてしまう。それに気づいてフイと視線を逸らされてけど、ルークを掴んでいる手が少しだけ緩んだように見えた。
出来るだけ急いで向かってきたけれど、ルークも町にいた時の雰囲気から良い感じに力が抜けているようなので、先にヴォルフと一緒にいたことは上手く作用したようだ。
「それで、その、ね……
ちゃんとお話がしたいんだけど、聞いてくれる?」
「もちろんよ。わたしは“ルーク”の話が聞きたいわ」
そう、わたしが告げた途端に花が咲いたような笑顔を見せたルークに、失敗したな、と思った。暴れていた時に動きを止めるくらいだから聞こえていたとは思うし、わたしの声は聞き取る声だ、と認識されていたのだろう。
だけど、名前を呼ぶくらいでこんなにも表情を変えてくれるのならば、もっと早く口にしていれば良かった。
「長くなると思うし、僕あんまり得意じゃないからまとまりがないと思うけど」
小屋に入ってから一息ついて、各自好きに席に着く。ルークはわたしから一番距離のある所に座ったし、ヴォルフは何かあってもルークを止められる位置。さっきからわたしの顔をあまり見ないようにしていたり、名前を呼ばないようにしている事といい、あえて距離を取っているのだろう。
わたしはルークに言われるがままにこの小屋にひとつしかないふかふかのソファーに座っているのだけれど。
暴れていたルークも、それを止めて連れて来たヴォルフも疲れているだろうにわたしが良いところに座るわけにはいかないと言っても、ルークがそこにいて欲しいんだと頼み込むものだからついつい了承してしまった。座った時にあからさまにほっとした様子を見せたのも、わたしが拒絶しているわけではないと分かったからだろう。
「クマ族ってね、種族の結びつきが強いんだ。全く知らない関係でも、どこかで会えば家族のように接するんだよ」
それぞれ、種族の元となっている動物の習性を引き継いでいるとは聞くけれど、クマ族はあの町にも定住していなかったし、これまであまり関わってこなかったから詳しい事は知らない。
ここはルークの言葉をそのまま受け取ってもいいだろうか、とちらりとヴォルフの方を見ればその通りだと言わんばかりに軽く頷いた。
ルークはわたし達の方を見ていなくて、自分の膝の上で組んだ手を忙しなく動かしている。言葉を繋げるわけではなく、時々詰まったような声も漏れているから、きっとどう話そうかと自分なりに考えているのだろう。
「だけどね、僕らにとって当たり前のことなんだけど、獣人では珍しいんだって。同じ種族でも強さが求められることがほとんどだから」
「そうなの?」
「生まれがどうだとか、そんなものは強さの前では些細な事だ。強い者が群れのトップで、支配者だ」
ヒト族が町の中で代表者を立てるのと同じような感じなのだろうか。ただ、性格などもいろいろ考えていたり、表に出せない事情があったりして代表になるヒト族よりも、獣人の方がシンプルで分かりやすいとは思う。
「種族の特性として、体は丈夫だし力も強い。だから、何もしていなくてもそれなりに強い位置にいれるんだ」
ほら、と手を見せてもらったけれどあれだけ派手に物をポイポイ投げていたのにも関わらず、ルークの手にはわずかに腫れた赤い線が残る程度だった。それだって、あの青年たちから傷つけられたわけじゃなくて、自分が木箱を持った時に擦ったものだと言うのだから丈夫だというのはその通りなんだろう。
「もちろん、僕らの中でも強さを求めているのはいるよ。だけどほとんどは穏やかで、自分からその力を見せつけようなんて思わずに暮らしてる」
「じゃあ、どうしてルークは町であんなことをしていたの?」
穏やかだと、争う事をしないというのならばどうしてわたし達が駆け付けた時に、ルークは体を鍛えている警吏でさえも近寄れないほどに暴れていたのか。
それが、一番聞きづらいけれど、聞いておかないといけないこと。
「ちょっとだけ、想像して欲しいんだ。自分がどうあがいても手に入れられない力を持っているのに、それを使おうともせずに過ごしているヒトが隣に居たら、どう思うか」
ルークが握りしめた手は震えていて、声だって弱々しい。想像してほしい、そう言われたからその様子を自分の頭の中で思い描く。
例えば、わたしがヴォルフのように獣人の男性に立ち向かえるくらいの力を持っていたとして。それを使わずに日常を過ごすのは、別に難しい事ではない。それが必要になるような事が起こったら使えばいいだけの話で、普段からその力を見せつけながら生活していたら、いつか周りと意見がすれ違った時、誤った使い方をしてしまう。そうして抱く感情は、きっといいものではないだろう。
「ヒト族としての考えとか、セレちゃんがどう思っているかは分からないけど、獣人としたらそれを使おうともしないのはとても腹立たしい事なんだよ」
考えが違うだろうという事はルークも分かっていたのだろう。口にしたのはわたし、という他種族と争ったところで純粋な力比べではまるで敵わないヒト族が想像していたようなものではなかった。わたし、が生まれてこのかたそんな他のヒトを圧倒するようなものを持っていたことがないから、あくまで想像だったのだけれど。
たぶん、ヴォルフから普段のわたしの様子でも聞いていたのだろう。なんとなく、ルークはわたしがどのように考えているのかを分かっている気がした。
「なによ、それ。ただの八つ当たりじゃないの」
「言いがかりに近いものもあるがな、それがクマ族が長年向き合っている問題だ」
ルークはまだ何か言いたそうにしていたけれど、それを遮るようにさっきよりも少しだけ大きな声で主張する。いくら力が強い方が上に立つのだといったって、生まれで違うものはどうしようもないだろうに。
獣人にとって力、というものは思っていた以上に重要視されるみたいだけれど、生まれつきに持っている力を振るわないからというだけで、他の種族からあんなふうに揶揄って当たり前のような扱いをされていい理由にはならないだろう。
「僕の事は何を言われても聞き流せる。だけど、家族や種族の事まで馬鹿にされてしまうと、どうにも抑えが効かなくて」
「前に、丘のあった町を覚えているか?」
「ええ、あの夕日が綺麗に見える町よね」
住んでいた町から、ちょっと距離があるなんてあの時は思っていたのに、今ではその町を余裕で往復できるくらいの移動をしている。
地図にも丘の上で綺麗な夕陽が見える事、それから食事の量には気を付ける事、としっかり書き込んだのでよく覚えている。
「あの町でも、他の奴らに揶揄われたらしい。その時に、俺たちの事を見ていたと」
「そうなの? でも、あの町を出るまで特に何か揉め事を見た覚えはないのだけれど」
「……ただの、小競り合いだと思っていたからな」
ヴォルフが小さく呟いた言葉は聞き取れなかったけれど、ルークの耳にはしっかりと届いていたようだ。
「町で見かけてから気になっていたんだ。獣人とヒト族、だけど護衛とかそんな感じには見えなくて」
「だから、声をかけてきたそうだ」
ヴォルフがそう告げてから、ルークはびっくりしたように顔を向けていたけれど、それに気づいてもヴォルフは涼しい顔のまま。あまりフォローとかするタイプじゃないから、たまにこうやって驚かれることがあるけれど、基本は優しいし、自分が認めたというか、大丈夫だと判定を下したら今みたいに手助けもしてくれる。
ルークとしてもヴォルフがさっきのフォローのような事を口にしたことで、緊張が解けたのだろう。さっきまでの張り詰めた空気が少しずつなくなっていくのが分かった。
そんな空気を感じているなかで、これを言葉にするのは申し訳ないような気もするのだけれど。
「それで、今後はどうしたいの?」




