4.
息が切れる。短い呼吸の間で空気を吸い込んでもすぐに吐き出してしまうから、荒い息は整わない。だけどそんな事を気にすることなく、どんどんと足を前に動かしていく。
すぐそこだと思っていたのに、騒ぎの中心はさっきいた場所から少し離れたところだった。
何かが壊れる音に交じって聞こえてくる怒声を、ハッキリとした言葉として聞き取れるくらいまでの距離まで近づいたのに、そこから先に進むにはヒトが二重三重に壁を作っていてなかなか進めない。
「早く止めてくれよ!」
「無茶言うな! 止められるならとっくにやってる!」
「あいつに声かけようって言ったのお前だろ!?」
そんな中で聞こえてきたのは、わたしが今、抜けようとしているヒトの壁から少し離れたところに座り込んでいるぐったりした様子の青年たち。座ったままの体勢から、騒ぎの中心に視線を向けたままの警吏と何かを話しているのは分かる。
周りの騒音もあるから、叫んでいるようなのに途切れ途切れでしか聞こえないけれど、どうやら騒ぎとなった経緯を知っていそうなので少し近づいてみることにした。
「だから止めとこうって言ったのに!」
「最後には頷いただろうが!」
警吏も、座り込んだ彼らから少しでも情報を手に入れようとして、帽子を取り耳をそばだてている。
どうやら、彼らの中でもどうするのか迷っていたのに、最終的には声をかけたからこうなった、という事のようだ。そこまで分かればもう十分だと思っていたのに、体は彼らの方へと動いていく。
「ちょっと、どういう事?」
「ああ、ヒト族が何だって……」
「良いから答えなさい! 彼に、何を言ったの?」
自分でも思っていた以上に強い口調と、声の大きさ。叫ばないと聞こえないとは思っていたから大きな声を出そうとは思っていたのだけれど。
座り込んだ青年はこちらを睨むように見上げているが、わたしが思い切り掴んだ肩には予想もしていなかった強さがあったようだ。慌てたように警吏が止めた声も聞こえたけれど、それを気にするのは後回しだ。
青年が少しだけ痛みを堪えるように眉を寄せたが、ぐっと引き結んだ口が開くとわたしの質問に対しての答えが返ってきた。
「へらへら笑ってるから、少しからかっただけだよ」
その一言に茫然としている間に、肩にかけた手は払われてしまって、まるで汚れ物を扱うように自分の肩を何度も見ては何も残っていないか、隣で泣きそうな顔をしている青年に確認していた。
立ち上がってみればわたしよりも高い身長、濃い茶色の髪は太陽の光を吸い込んで深みを増しているように見えた。同じ色の瞳はわたしの固まった姿を映しているけれど、それはほんの少しだけで興味を失くしたように逸らされた。尻尾が忙しなく左右を行き来しているのは、きっと苛立っているという事だろう。
泣きそうにしていた青年も、ふわふわした金髪を揺らしながらも、しっかりと自分の足で立っている。だけどドガン、と何かが叩きつけられる音がするたびに反応しては音の出所の方に顔を向けているし、その先を捉えようとして視線は彷徨っている。尻尾は縮こまっているからこちらはわたしの前にいる青年ほどの余裕はなさそうだ。
「何言ったかなんて覚えてねえよ。クマ族ってのはどいつもちょっと小突くだけで面白いくらい反応するからな」
へらりと笑いながら告げる青年からは、それ以上に何があるんだよ、なんて言葉が続いた。
獣人たちの認識でクマ族がどういう扱いなのか、何となく分かったけれどそれを今言葉にしたところでただ無駄に時間を浪費するだけだ。
それならば、ここまで来たわたしがするべきことは目の前の彼と押し問答をすることではない。
「お嬢さん、君は彼の知り合いかい?」
「ええ、顔見知り程度だけれど」
「何か落ち着かせる手段に思い当たることは? 我々じゃ彼を止められない」
周りを威嚇するかのように手あたり次第に物を投げるルークは、警吏の制服を着たイヌ族の男性ですらも近づけない。だからこそ、被害が及ばないように警吏のヒト達は集まった野次馬を近づけさせないようにするのが精一杯のようだ。
それでも、先に走って行ったヴォルフがいるのならどうにか止められそうだとは思う。ルーク自身も勝てない、と言っていた相手なのだから。問題はそのヴォルフの姿も見えない、という事なんだけど。
「見境なく、って訳でもなさそうなのよね」
「あ、ああ……あれだけ暴れているのに怪我をしたヒトは少ない。そこの、話を振った彼らを除いてね」
ちらりと警吏が一瞥したのは、座り込んでわたしが声をかけたのとは別の場所で手当てを受けている青年。頭でも切ったのか金髪は赤く滲んでいるし、露出した腕が腫れているのも分かる。だというのに、話を振ったのはきっと彼らで、今暴れているルークの神経を逆撫でしたのも彼ら。
「それなら、ちょっとだけ近づいてみたいから場所を譲ってもらえるかしら?」
「だが、危険だろう」
「危ないと思ったらすぐに逃げるから大丈夫よ。こう見えても、足は速い方なの」
この町だからか、警吏という立場からなのか、どこからどう見てもヒト族なわたしでも心配してくれるイヌ族の青年に、場違いだとは分かっているがつい笑顔がこぼれてしまう。
長時間走れるわけじゃないけれど、咄嗟の動きは鍛えられているしヴォルフだってどこかにいる。そして何より、ルークはわたし達には怪我をさせるような事をしないだろう。
「ルーク」
警吏が作ってくれたヒトの隙間から、ようやくその姿をしっかりと見ることが出来た。
赤褐色の髪は暴れていたからかボサボサだし、手当たり次第に物を投げていた手は傷だらけ。
ピタリ、と固まったように動かなくなったのは名前に反応したからなのか、わたしの声だからか。
どちらにせよ物が飛んでこないのなら、声をかけ続けるしかない。わたし達と一緒に旅をしたいと告げてきたのがルークの本心ならば、きっと止められる。
「ルーク、どうしたの」
「セレ、ちゃん……」
振り乱した髪の間から見える瞳には明らかに困惑した色があるけど、それには気づかなかったことにする。動揺しているのは間違いない。固まった時に手にしていた木箱、だったはずの物がそのまま手から滑り落ちて、足元で乾いた音を立てたけれど。
「ごめっ、ごめんなさい! 僕……!」
「暴れたことについては謝っておけ」
「ヴォルフ!」
一体どこにいたのか、茫然としているルークの後ろからまるで今までずっといたような位置に現れたヴォルフに、わたしも驚いた。
わたしとルークの驚きをよそに、当のヴォルフはルークの足元に散らばる箱をささっと足で払ってからわたしの方へ向かってくる。
その動きをぼんやり目で追っていたルークの腕を掴み、問答無用とばかりに引き摺っているのだけれど。ルークが痛みとか歩きづらさを主張していないし、体に力も入っていないようにされるがままだ。
「このまま、町を出る」
「そうね、それがいいと思うわ」
「北の門を抜けた先の小さな小屋」
隣を通り過ぎる時に立ち止まるでもなく小さく告げられたそれに、頷いて返したわたしを見たヴォルフは、ルークを引き摺ったまま崩れかけていた壁から町の外へと姿を消した。
その背中が、完全に見えなくなってから静寂が嘘のように町はざわめきを取り戻した。そうなると次に起こるのは、結果だけを見ればこの騒ぎを一声呼びかけただけで終わらせた、わたしへの興味。
警吏も、体格のいい好戦的な獣人が四人いても敵わなかった相手を、たった一声かけただけで止めたのがヴォルフならまだ話は早い。相変わらず種族は教えてくれないけれど、獣人にとって種族の差は強さとイコールだから。
問題になるなら、わたし、というヒト族が声をかけたこと。それによって暴れていたルークが落ち着きを取り戻したこと。ここから、最悪わたしがルークをけしかけて暴れさせた、なんて話に飛躍してしまうことだって考えられる。
「彼が暴れていた経緯は、そこの手当てを受けているヒトに聞いてちょうだいね?
どうやら、刺激することを言ったようだし」
「ちょっと待って、君にも詳しく話を……!」
警吏が伸ばした手が、わたしの腕を掴むよりも早く身を翻してまだ集まっていた野次馬の中に身を隠す。こういう時に自分の小柄な体格はありがたい。
そのまま宿まで走って、カウンターで舟を漕いでいた男性に分かるように、部屋の番号と宿泊を取りやめる事、お題は迷惑料としてそのまま取っておいてほしい事をメモに残してから、急いで待ち合わせの北の門へと向かう。
「ヴォルフ、分かっていたのかしら」
指定された北の門には、まだ警吏も配置されていない。というか、ここが門として機能しているのかどうかも怪しい。近づくにつれてどんどんヒトが少なくなっていたから、あの騒ぎで一時的にいないだけだろうと思っていたのだけれど、これは普段からあまり使われていなかったのかもしれない。
「まあ、今のわたし達には好都合ね。これならヒトの目を気にしなくて済むわ」
急いで走り抜けるしかないかと思っていたから、思いがけず体力に余裕が出来た。周りのくすんだ色合いの中では金髪は目立つから首の後ろで結んで服の中に隠したけれど、フードがついているわけじゃないからあまり隠せてはいないだろう。もぞもぞして落ち着かないので、歩きながら髪の毛を引っ張り出して纏めていたゴムを外す。
あれだけ町中で目立っておいて今更だけど、出来る事ならあまり記憶に残らず立ち去りたい。その一心で隠していたけど、揉め事を起こしたなかに、金髪を持っていた青年がいたなと思い出した。
ヒト族では珍しいと言われていたけれど、もしかしたら獣人の中では金髪は割とありふれた色なのかもしれない。
「もっと早く一緒に旅をしましょうと誘っておけばよかったのかしら。それこそ今更よね」
そうしておけば騒ぎを起こすことも、ルークが誰かに怪我をさせることもなかったのかもしれない、と頭をよぎったけれどそれは全部結果論だ。
それに、あのルークが理由もなしに暴れたりするとは思えない。その辺りは先に一緒にいるヴォルフが上手く聞き出してくれていればいいのだけれど。獣人同士でしか分からないこともあるだろうし。
そんな事を考えながら足を進め、手入れされていない森の中の道を抜けると、拓けたところにぽつんと建っている小屋に辿り着いた。




