二話
「早えのう、おめえがここにきてから、もうちっとで、一年か」
猿婿どのが、そういうたのは、奥山の桜も、もうちっとで、つぼみをひらこうかっちゅうころじゃった。
そのころには、嫁ごの腹も、すこうし、めだちはじめておってのう。
「どうじゃ、そろそろ、いっぺん、里帰りしてみるか。ややが、うまれぬ、いまのうちに、のう」
「うまれてからでも、ええんでないか」
「それだと、ずいぶん、さきになろう。せっかくの初孫じゃあ、じさまにも、ばさまにも、早うしらせてやらにゃあ。ついでに、おめえも、元気な顔を、見せてやるがええ」
婿どのはそういうての、さっそく仕度をはじめたんじゃ。
山の木の実や山菜、干したキノコや川魚なんぞ、土産にぎょうさん包んでの。
とっておきの猿酒なぞも、ひさごにつめて。
それだけでは物足りねえ。去年の祝いのお返しに、わしらも餅もっていくべ、と、嫁入り道具の杵臼で、ぺったら、ぺったら、餅ついて、去年とおなじに、臼ごと背中にせおうたんじゃ。
そいで、夫婦なかよう、よりそうて、去年の道を逆にたどっていったんじゃと。
その山道の途中じゃった。
奥山ではまだつぼみじゃった桜も、山腹ではもうほころんでおってのう。ふもとに近づくころには、もうはや、満開じゃった。
「このぶんじゃ、里では、もう、葉桜かもしれんのう。帰るころには、行きちがいに、奥山でも、散っておったりせねばええが。なにせ、桜のさかりは、短いでなあ」
婿どのは、なんじゃ、そわそわしながら、そういうてなあ、しきりにきょろきょろ、あたりを見まわしておったそうな。
そいで、まもなくのことじゃった。
「おお、あれじゃ、あれじゃ」
さらさら流れる川岸に、みごとな一本桜が、咲いておった。
そこいらのヌシみてえな、大きな、大きな、桜でのう。
幹は、ふたかかえも、三かかえもあるよな太さでな。いちばん低い枝でも、見あげるくれぇ高うてよ、どんだけ手えのばしても、とうてい、とどきようもねえことじゃった。
そのこずえが、いま、まさに、花ざかりでのう。
遠くから見てるうちは、そうでんなかったが、近づいてみれば、頭ン上さ、見わたすばかしまっ白での。こもれびがきらきらして、そりゃもう、絵にも描けん、言葉にもつくせん、美しさじゃった。
「どれ、去年からの約束じゃ、一枝、折ってやろうかの」
婿どのは、そういうての。
するする、幹を、のぼりはじめたんじゃ。
嫁ごが、とめるひまも、なかったわいな。
「あんた、あんた、やめてけろ、なにも、こんな高い木ィにのぼらいでもええじゃろう。ほかになんぼでも、とりよい桜はあるでねえか」
「なにをいう。かわいいおめえにやる花だ。お山でいちばんの桜でのうて、なんとする」
いうて、婿どのは、どんどん、のぼっていったんじゃ。
嫁ごは、気が気でのうてのう。
「あんた、あんた。じゃったら、せめて、その重たい杵臼、おいてってけろ。なんぼうなんでも、あぶないがな」
「うん? これか? じゃがのう、おろしてどうする。せっかくの土産の餅じゃに、草の上においたら、草くさくなる。土の上においたら、土くさくなる。どうでも、背負うていくわいな」
「あんた、あんた。じゃったら、おらが、かかえておくだに」
「いかん、いかん。身重のおめえに、なんで、こんな重てえ荷を持たしょうか。どうでも、わしが、背負うわな。なあに、これしき。山いちばんの木登り名人。かるい、かるい」
いうて、婿どのは、どんどん、のぼっていってのう。もうはや、さいしょの枝にとりついて、そこから、もっと、もっとと、まだまだのぼっていったんじゃ。
嫁ごは、気が気でのうてのう。
「あんた、あんた。もうそのへんにも、じゅうぶん、咲いてるでねえか。それでええ。それ、その下、もっと下だあ」
「うん? これか? なになに、こんなもんじゃねえ。上にはもっと、きれいな花がいっぱいだあ。それ、もっと上、もひとつ上、もちっとさきが、もっときれいだあ」
婿どのは、上へ、上へ、そいから、だんだん細うなっちょる枝の、先へ、先へ、すすんでったんじゃ。
嫁ごは、気が気でのうてのう。
「あんた、あんた、やめて、やめてえ」
「かわええのう、めんこいのう、わしを案じて、泣いておるか。じゃが、このわしが、木から、おちるものかよ。ほれほれ、ほぅれ、ほぅれ」
おびえる嫁ごが、あんまり、かわゆうてのう、婿どのは、調子こいて、枝をゆさゆさ、ゆらしだした。
力自慢の婿どのじゃ、背中の荷など、蚊がとまったほどにも、気しておらなんだんじゃ。
じゃがのう、枝のほうは、そうもいかんがな。
土産の餅でいっぺえの、重たい杵臼、背負うたまんま、細い枝先ゆすったで、ひとたまりもねえ。
婿どのをのせまたんま、枝はポッキリ折れて、まっさかさま。
ボチャン、と、川におちたげな。
「あれえ、あんたあ」
嫁ごは、ひとこえ、叫んでなあ。青うなって、川岸さ走りよっただ。
婿どのは、いっぺん、ぶくぶく、しずんでのう。もうそれっきりかと、ひやひやしたが、石でねえ木臼じゃったおかげかのう、ずいぶん下流のほうで、もいちど、ぷかあっと浮かんだんじゃ。
そいで、そのまま、流されていきよった。
こりゃ、えれえこっちゃ。嫁ごはあわてて、川にそうて走りだしての。ひっしこいて、呼んだんじゃ。
「あんたあ、ぶじけえ、いきとるけえ、返事せんかあ」
「いきとるが、背中が重うて、身うごきでけん」
婿どのは、ようやっと、そう返事したがのう。ぷかぷか浮いた臼の上さ、仰向けになっての、そのまんま、運ばれていくうちに、流れのかげんで、臼がくるくる回るんじゃ。そんで、そのたんび、たんびに――じゃぼん、ごぼごぼ、じゃぼん、ごぼごぼ――水ぜめみたいになっちょった。
「あんたあ、臼、おろせんのかあ」
「むりじゃあ、ごぼごぼ」
「あんたあ、しっかりせえ、あんたあ」
「だめじゃあ、ごぼごぼ。辞世じゃあ、ごぼごぼ。猿沢の――ごぼごぼ――流れゆく身は――ごぼごぼ――惜しまねど」
「あんたあ、あほうぬかすなあ」
なんとか、上の句だけは、詠んだんじゃがのう。
下の句を考えとるうちに、目のまえが暗うなっての。もうこれまでか、と、婿どのが、観念したときじゃった。
「あんたあ、つかまれえ」
嫁ごの声が、聞こえての。そいで、ふとい、縄みてえなもんが、ひょい、ひょい、からだの上を、こすったんじゃ。
婿どのは、とっさに、それを、つかんでのう。したら、ぐいっ、とな。からだが、流れにさかろうて、とまっての。ぴいんと張ったその縄さ伝うて、じりじり岸ににじり寄うて……いのちからがら、やっとこ、地べたにはいあがったんじゃと。
「やれやれ、命拾いしたのう」
「あんたあ、あんたあ」
婿どのは岸にへたりこんで、はあはあ、いうての。
嫁ごは、その婿どのにしがみついて、おんおん、泣いておった。
婿どのは、その嫁ごのこころねが、うれしうてのう。いまのいま死にかけたばかりじゃというに、にまにま、顔がゆるんでしかたなかったそうじゃ。
「ええ嫁じゃ、ええ嫁じゃ」
いうて、嫁ごを、しっかと抱いての。あちこち、なでて、さすって、泣きやむまで、なだめてやったもんじゃ。
「それにしても、どうやって、命拾いしたんかのう」
そういうて、見てみると、婿どのがつかんでおったは、何本もからまりおうて、縄みてえになった、藤づるじゃった。
まだ咲いておらんで、目立たぬがの、もとより、藤も多いお山じゃけえ。よく見りゃあ、あっちにも、こっちにも、からみついたり、ぶらさがったり、藤づるだらけなんじゃ。
聞けば、嫁ごは、婿どのを追うて走りながら、その藤づるをひっつかんでの、川に向こうて、力まかせにほうったんじゃと。
「藤はええのう。きれいなうえに、じょうぶで、強うて、しんなりして。つるを干したら、カゴやら何やら編めて、重宝じゃ。おら、やっぱり、桜より、藤が好きだぁなあ」
嫁ごは涙をふくと、そういうて、にかにか、笑うたんじゃ。
そうか、そうか、と、婿どのも、にこにこしてのう。
そいで、思いついたんじゃ。
「そうか、そんなら、ややの名前。おなごじゃったら、おふじにすべえ。おのこじゃったら、つるたで、どうじゃ」
「おふじに、つるた、けえ。おふじはともかく、つるたは、かわった名じゃのう」
「じゃが、しぶとい子になりそうじゃ。お山では、それが、なにより、いちばんじゃでのう」
そういうて、笑いおうての。
また、ふたり仲ようよりそうて、ふもとの里へ、向かったんじゃと。




