三話
餅はだめになってしもうたが、ほかの土産はおおかたぶじじゃったでな。夫婦ふたり、それたずさえて、里帰り。じさま、ばさま、姉さまたちに、顔ォ見してやったんだ。
みんな、よろこぶより、なにより、びっくりこいてのう。やあ、あれ、ぶじじゃったか、息災じゃったか、あんじょうくらしておったんか、いうてな。ひとしきり、おおさわぎじゃった。
じさまも、ばさまも、泣いて、よろこんでくれてのう。まあ、あがれ、やれ、腹へってねえか、つかれとらんか、いうて、かんげえ、してくれたんじゃ。
じゃがのう……。
そりゃあ、のう、はんぶん、死んだようなもんとあきらめておった娘が、帰ぇってきたんじゃ。生みの親じゃあ、うれしゅうて、いとしうて、なんの思案もありゃせんがな。じゃが、最初の、浮かれさわぎが、すぎてみるとのう、こりゃ、どうでえ、かえって、よわったことになりゃせんじゃろか。
お山の猿に嫁入った、なんちゅうだけでも、ただごとでねえに、そのうえ、ややまで、こしらえたちゅうんじゃからのう……ややは、ほんまに、生まれるんじゃろうか。そン子は、人なんじゃろうか、猿なんじゃろうか。うまれたら、そのややつれて、また、里帰りするんじゃろうか。そんな親戚づきあい、いつまで、ぶじにつづけていかれるんじゃろうか。
「村の衆がどう出るじゃろう……」
そうまでなったら、もはや、かくしおおせるものでも、あるめえなあ、と、そう思うだけで、ぶるっときてな。じさまも、ばさまも、頭ァかかえちまったんだと。
そんで、思いあまったんかのう……日暮れ前にな、じさまが、ちょっくら畑のようす見てくる、いうての。手つだおうっちゅう婿どのを、ええから、ええから、今日ぐれえゆっくりせえや、いうて、ごまかして、ひとりで、こっそり、村はずれの寺ァたずねたんじゃ。
「和尚さま、和尚さま、おるか、わしじゃあ」
「なんじゃ、じさまか、こんな刻限に、どうしたあ」
「きいてくれや、助けてくれや。えれえことに、なっとるんじゃあ」
和尚は、まあ、とっくり話してみいちゅうて、庫裏にあげてくれてなあ。話をきくと、そうかそうか、よういうてくれたのう、いうて、さっそく知恵をかしてくれたんじゃ。
「人間の娘っ子、嫁にしようたあ、ふてえ猿じゃ。そのうえ、孕ませまでするとはのう。おおかた魔物のたぐいじゃろう。調伏せねばなあ」
「じゃが、どうするんじゃあ。相手は、あっちゅうまに田ァおこしちまう、馬鹿力じゃに」
「なァに、猿ちゅうのは、酒に目がないでのう。なんぼう馬鹿力でん、酔うて寝てしもうたら、わけのう始末がつくじゃろう。
娘はな、うめえこというて、ここへつれてこう。小僧さひとっ走りさせて、隣村の産婆さあ呼んでおくでのう。
なに、河童やら蛇やら、何じゃて得体のしれん子ォ孕まされる娘は、むかしから、たまァに出るもんじゃ。それら堕ろす術、よう心得とるばあさまじゃけえ。猿の子でん、何でん、あんじょうようしてくれるじゃろう。拙僧もおよばずながら、法力のかぎりをつくそうほどになァ」
鄙においとくにゃあもってえねえ善知識でのう。そうして知恵ぇつけてくれたばっかりか、お供えにもろうたんじゃいうて、上等の酒までちゃあんと持たせてくれたんじゃと。
じさまは、ホクホクしてのう、やれ、戻ったぞ、いうて、おおいばりで、家へ帰ったんじゃ。
まずは、ものかげに、ばさまを呼んで、耳打ちしての。ばさまは、ばさまで、こっそり、上の娘ふたりに、耳打ちじゃ。
そいで、何食わぬ顔でのう、
「婿どの、そうれ、とっておきの澄み酒じゃ。祝いに、ちぃっと、フンパツしたわい。さっそく、一献、いこまいか」
じさまが、そんなふうにいうたもんじゃけ、婿どのは、そりゃあ、よろこんでなあ。
もうじき日がくれようちゅうのに、今ごろ畑に行くなんど、おかしな話じゃと思うたが、なるほど、そういうことじゃったかと、ひとり合点してのう……なあんも疑わんと、しこたまその酒のんだんじゃあ。
右から、左から、姉さまたちが、酌してくれてのう。ほんにええ婿じゃ、ええ男ぶりじゃ、妹なんぞにゆずらんければよかった、いうて、ちやほやするもんで、なおのこと、ごきげんでのう、あっちゅうまに酔いがまわって、ほどのう高いびきかきはじめたんじゃ。
「なんじゃあ、婿どの、だらしのねえ、もうしまいけえ。まあ、ええ酒じゃからのう。うめえのう。――おお、そうじゃ、せっかく、こんなうめえ酒じゃ、和尚さまにもおすそわけすべえ。日ごろ世話ンなっとるでなあ」
じさまは、わざとみてぇにそういうて、立ちぁがったわ。したら、まあ、ほんにうめえ酒でなあ。じさまも、ちぃっとばかし、過ごしたんじゃろうか。芝居でねえで、足もとがふらついたんだわ。
「おっとう、しっかりせえ、ふらふらでねえけ」
嫁ごは、しんに心配ぇしての。もう日も暮れた、やめとけ、いうたんじゃが……じさまも、いまさら、へえそうですか、ちゅうわけにいかんわいな。行くっちゅうたら行くんじゃあ、いうて、しばらく、押し問答でなあ。とうとう、嫁ごが根負けしたんじゃ。
「ええで、ほんなら、かわりに、おらが行くで。和尚さんとこ、酒もっていくで」
あとはもう、大詰めじゃなあ。
もう日も暮れたけえ、ぶっそうじゃけえ、いっしょに行っちゃる、いうての、ばさまも、嫁ごにつれそうて、寺ィでかけたんじゃ。
「行ったか」
「行ったど」
じさまも、上の娘ふたりも、さすがに、とんと、酔いもさめてのう。ばさまと嫁ごのすがたが見えんくなるのをたしかめると、あとはもう、ひとことも口はきかいで、目と目でものいいおうて……ぐーぐー寝こけとる婿どのを、手早う簀巻きにしてしもうたんじゃと。
「かんにんせえや。猿の分際ぇで、人っこ孕ましょうなんど、妙な了見おこした、おめえが、いかんのじゃ。往生せいや、なあ」
いうてきかして、川まで運んでの。せい、やあ、いうて、真っ黒い水ンなか、ほうりこんだわ。
しばらくは、三人して岸にならんでのう、ナンマイダ、ナンマイダ、いうて、手え合わせとったそうな。
そうとは知らぬ、嫁ごじゃ。
ひさかたぶりに、生みの母ごと水入らずじゃ。届けものは、祝いの酒じゃ。祝うてもらうは、いとし恋しの婿どのじゃ、腹のややじゃ。うれしうてのう。心も軽う夜道をたどったんじゃ。
じゃのにのう……。
寺ァついてみれば、早手回しに待っておったは、産婆のばあさまじゃ。
本堂に屏風たてまわして、床がとってあってのう。白い布が山とつまれておる横で、小僧がわかした湯を盥にそそいでおったわいな。
和尚は、いっとうりっぱな袈裟を着ての、ご本尊のまえに護摩壇きずいて、もうはや、準備万端ととのえておったそうな。
「おっかあ、なんじゃあ、これァ、どういうこっちゃ」
「こらえてけろ、おめえのためじゃあ。なんぼう恩ある婿どのじゃて、かわいいおめえに、猿の子なんど、うませるわけにいかんのじゃあ」
「はかったな、たばかったなあ。おら、いやだあ。なんぼう、おっかあでも、和尚さまでも、ややに手だしは、させねえぞォ」
嫁ごは、泣いて、わめいて、あばれたがのう。四人がかりじゃ。手向かいようも、ありゃせんがな。おさえつけられて、ぐいっと股ァひらかされての、産婆のばあさまが、いよいよ腕のみせどころじゃ。
嫁ごは、それでも、声ぇからしてのう、ひっしこいて、婿どのの名を呼んだんじゃと。
「あんたあ、あんたあ」
ほんに、耳をふさぎとうなる、あわれさじゃったが、じゃからというて、畜生の子など、うませるわけにいくまいが。
和尚が、いうてきかせたそうじゃ。
「あきらめえ、いまごろ、そやつは、水の底。呼んで、こたえるわけもなし。もとよりモノノケ、魔性のたぐい。引導わたしてやるが慈悲ちゅうもの。いずれ供養はしてやろうからに、のう」
じゃが、そんときじゃった。
クケーッ! ウキャキャキャキャキャッ!
持ちめえの馬鹿力で簀巻きからぬけだしたんじゃろうか。それとも、化けて出たのかのう。夕闇さいて響いたは、まぎれものう、婿どのの声じゃった。
聞くだに恐ろしい、怒り狂った声でのう。お堂めがけて、まっしぐらに、つっ走ってくるのが、わかるんじゃ。
それだけでねえ。ウキ―、キーキー、ウキャキャキャッ、となあ、お山じゅうの猿が集まったみてえな、ものすげえ声がのう、おめき、さけんで、押しよせてきよるんじゃ。
「あんたあ!」
嫁ごは、うれしげに叫んだがの、ばさまと小僧は、青ざめておった。
じゃが、和尚は、おちついたもんじゃった。
「おのれ、もののけ!」
ひと声さけぶとなぁ、護摩木をぱっと火ンなかほうりこんで、火の粉と煙と、ごうごう舞いあげてのう、のうまくさあまんだあばさらだんかんまんのうまくさあまんだあばさらだんかんまん、一心不乱に真言陀羅尼を唱えだしたんじゃ。
したらのう、あんな、やさし、いとしの、婿どのじゃったが、やっぱり、魔性のたぐいじゃったんかのう。お堂をとりまいて、おらび、わめいて、どたばた手足ィ踏みならして、おそろしげな音だけはきこえるんじゃが、姿かたちはいっこう見えもしねえ。いっしょくたにわめいとる猿どもも、護摩祈祷の功徳かのう、お堂ンなかへは、いっこも、入ってこれねえんだなあ。
そのあいだになあ、手慣れたもんだ、産婆のばあさまは、落ちつきはろうて、みごとな手際。さっさか、ややを、堕ろしてしもうたんじゃ。
婿どのにも、それが、わかったんかのう。それで、あきらめたんかのう。それとも、みほとけに歯向かうて、とうとう、力つきてしもうたかのう。まもなく、猿どもの声は、うそみてえに、ぴたーっと、きこえんくなった。
小僧が、おそるおそる、障子をあけてみるとな、猿なんぞ、一匹たりとて、いもしねえ。静かなもんでなあ。ただ春のあったけえ風がふいて、おぼろにかすんだ月が、きれいじゃったそうじゃ。
それっきり、婿どのの姿を見たもんは、だぁれもいねえ。
本復してから、嫁ごはひとり、山へさがしにいってもみたんじゃが、婿どのはおろか、奥山へつづくあのなつかしい道さえ、見つけることはできんかったそうな。
ただ、いつごろじゃったかのう……
嫁ごの枕辺に、一度だけ、そりゃあみごとな、藤の花房が、おかれておったことが、あったそうな。
猿ヶ淵 沈みゆく身は 惜しまねど
おふじ つるたの 母ぞ こひしき
そんな歌など、結んでなァ。




