工事の成功と、辺境伯の約束
治水工事が完了して間もなく、試練の時は突如として訪れた。
空を覆い尽くした黒雲から、バケツをひっくり返したような激しい大雨が数日間にわたって降り続いたのだ。かつてなら間違いなく川が溢れ出し、低地にあるスラムが一瞬で泥水に呑み込まれていた規模の大雨だった。
「セージ! 川の水位がどんどん上がってるぞ!」
豪雨が降りつける中、ゴルドが濡れた髪を拭いながら誠二のもとへ駆け寄ってきた。スラムの住民たちも、街の人足たちも、不安と緊張の入り混じった表情で川の様子を見つめている。
「大丈夫です。俺たちが作った遊水地と蛇籠、そして補強した堤防なら、必ずこの水圧に耐え切れます!」
雨の中に立つ誠二の力強い声に、焦っていた周囲の大人たちがハッと息をのんだ。
川の激流は猛烈な勢いで新しい堤防へと押し寄せていたが、誠二の設計通り、遊水地へと滑らかに水流が逃げ散り、強固に組み上げられた石組と土手が押し寄せる濁流をガッチリと受け止めていた。
翌朝。雨は上がり、雲の隙間から眩しい日光が差し込んできた。
川の水位は急速に下がり、懸念されていた低地への浸水被害は「ゼロ」――スラムの住居も、誠二たちが掘ったあの井戸も、傷一つ負わずに無事だったのだ。
「……勝った……! 俺たちの堤防が、あの暴れ川に勝ったぞーっ!!」
スラムの男が叫んだのを皮切りに、現場全体から割れんばかりの歓声が巻き起こった。スラムの住民も街の人足も、抱き合って喜びを分かち合っている。そこにはもう、互いを隔てる偏見や壁など微塵も残っていなかった。
「セージさん、やったね! スラムが流されなかったよ!」
トトが飛びついてくると、誠二はしっかりとその体を受け止め、顔をほころばせた。
「ああ、トトたちが一生懸命杭を支えて、土を運んでくれたおかげだよ。ありがとう」
その光景を、少し離れた高台から静かに見つめる一団があった。上質な外套を羽織った老紳士――ラウド辺境伯グレイと、その側近たちだった。
「素晴らしい……見事というほかないな」
グレイは心底感嘆したように呟き、ゆっくりと誠二たちの元へと歩み寄ってきた。
「辺境伯様……!」
周囲の住民たちが慌てて膝をつこうとすると、グレイは優しく手を振ってそれを制した。
「形式的な礼はいらないよ。……セージ君、ゴルド君、そしてここにいる全ての者たちよ。見事な仕事ぶりだった。君たちの尽力のおかげで、この町とスラムは数十年ぶりに氾濫の恐怖から救われたのだ」
グレイの言葉に、スラムの住民たちの胸が高鳴る。
「さて、約束通り……いや、期待以上の成果を出してくれた君たちに、領主として正当な報酬と、さらなる約束を果たそう」
グレイは合図を出し、従者たちに大きな革袋を運ばせた。中にはずっしりと重い金貨や銀貨が詰め込まれている。
「今回の治水工事に参加した全ての作業員へ、約束通りの手当を本日中に支払う。そして、ゴルド君」
「……なんだ、領主様」
ゴルドが身を正すと、グレイはまっすぐ彼の目を見つめた。
「君が率いるスラムの住民たちは、この領地になくてはならない立派な働き手であることを、自らの手で証明してみせた。よって本日より、スラムエリアを正式な『復興開発特区』として指定する。街との行政的な格差をなくし、道路の舗装や衛生環境の整備、そして新たな雇用の創出を領として全面的に支援することを約束しよう」
「――っ! 本当か、領主様……!?」
ゴルドの目が見開かれ、声が震えた。単なる一時的な金銭ではなく、スラムの人間が日陰者としてではなく「この町の正当な住民」として生きていくための未来を、領主自らが保証したのだ。
「当然だ。私は嘘はつかない。……そして、セージ君。君には個人的に、もう一つ渡したいものがある」
グレイはそう言うと、懐から厳重に封をされた小さな木箱を取り出し、誠二の手へと手渡した。
「これは……?」
「古くから我が辺境伯家に伝わる魔導具の一つだ。強力な『抑魔と呪詛の封じ』が施されたペンダントでね。……君が以前、スラムで保護した『呪いを抱えた少女』のことを、少し耳にしていてね」
誠二は思わず息を呑んだ。ノエルの体表に浮かぶ黒い呪印と、時折彼女を苦しめる謎の蝕み。その抑制方法を模索していた誠二にとって、まさに喉から手が出るほど欲しかった品だったのだ。
「グレイ様……こんな貴重なものを、本当にいいんですか……!?」
「構わないさ。街を救ってくれた功労者への、私個人からのささやかな褒美だと思って受け取っておくれ。そのペンダントがあれば、少女の呪いの暴走をかなり抑え込めるはずだ」
「……ありがとうございます! 大切に使わせていただきます!」
誠二は深く頭を下げ、手の中にある温かい木箱を強く握り締めた。
「ふふ、礼には及ばないよ。……セージ君、君という男は行く先々で素晴らしい風を吹かせてくれる。これからも、この領地をよろしく頼むよ」
グレイは温かく目を細めると、誠二に向かって悪戯っぽくウィンクしてみせた。
澄み切った青空の下、泥に塗れたスラムの町には、かつてない希望に満ちた明るい笑顔と歓声がいつまでも響き渡っていたのだった。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
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