治水工事、始まる
数日後。町の外れをゆったりと流れる大川の沿岸には、かつてない異様な、しかしどこか熱気に満ちた光景が広がっていた。
普段なら街中ですれ違っても互いに視線を逸らし、決して交わることのなかった「スラムの住民たち」と、街で働く「一般の人足(作業員)たち」が、同じ現場に集結していたのだ。
「おい、スラムの奴らと一緒に作業するのかよ……」
「へっ、足手まといにならなきゃいいがな」
最初の数日は、現場全体に重苦しい警戒感が漂っていた。街の人足たちはスラムの住民を盗人か何かのように胡散臭い目で見つめ、スラムの連中もまた、身を縮こまらせて硬い表情を浮かべていた。互いの間に横たわる溝は、長年の偏見によって深く冷たく冷え切っていたのだ。
だが、その冷ややかな空気を真っ向から打ち破ったのは、泥に塗れて先頭に立つ誠二の熱量だった。
「セージさん! ここの土手は、どのくらい掘り進めればいいんだ?」
「そこは、この目印の深さまで掘れば大丈夫です! 掘り出した粘土質の土は捨てずに、あっちの堤防を高く積むための補強資材として使いたいので、運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「おう、任せとけ! おいお前ら、この土を向こうの木桶に詰めて運ぶぞ!」
誠二は自作した簡易な水準器と測量糸を片手に、川沿いを何度も往復しながら、堤防の高さと川の流れ、そして土砂の勾配を綿密に確認し、現場全体の指揮を執っていた。
かつてセリオン村の水路改修や、前世の建設コンサルタント時代に培った現場管理のノウハウが、ここでも遺憾なく発揮されていた。単に土を高く盛るだけでは、増水した水圧に耐えきれずに一気に決壊してしまう。誠二は竹や枝で編んだ籠に石を詰める『蛇籠』の配置や、水の勢いを削ぐ緩やかなカーブを持たせた流路の設計など、この世界の人間にとっては目から鱗が落ちるような画期的な治水技術を次々と投入していった。
「す、すげえな……あの兄ちゃん、ただの冒険者じゃねえぞ」
「ああ、測量の動きに一切の無駄がない。指示も的確だし、何よりあの技術は本物だ……!」
誠二の圧倒的な知識と指導力に、最初は懐疑的だった街のベテラン人足たちも次第に目を見張り、素直に従うようになっていった。そして、誠二がスラムの人間も街の人足も完全に区別なく、対等な「仲間」として頼りにする姿を見て、現場の空気は劇的に変わり始めたのだった。
「おい、そこのスラムの若いのお前! 一人でその重い石を持つのは無理だ、俺が半分担いでやる!」
「あ、ありがとうございます……!」
「へへっ、気にすんな! 腹が減っちゃ力が出ねえだろ、俺の干し肉を半分食うか?」
泥と汗に塗れて共に汗を流すうち、身分や生まれの壁は自然と溶け出していった。同じ大きな目標に向かって土を掘り、石を運ぶ作業の中で、街の人足もスラムの住民も、互いを「共に働く戦友」として認め合い始めていた。
作業の傍らでは、すっかり体調の戻ったスラムの少年トトも、小さな体で一生懸命に木杭を支えていた。
「トト、そこの杭をぐっと押さえておいてくれるか?」
「うん! 任せて、セージさん!」
「よし、そのまま……トントン、と。はい、ありがとう! 助かったよ、トトが支えてくれたおかげで真っ直ぐ打ち込めた」
「へへっ! 俺、もっと手伝えることある!?」
トトをはじめ、スラムの子どもたちや若い世代にとって、これは生まれて初めて胸を張って得られる「正当な仕事」だった。領主グレイからの確実な日払い賃金が得られるとあって、皆の目には以前の絶望的な泥のような暗さはなく、未来を見つめる確かな生気が宿っている。自分たちの手でスラムを水害から守り、己の力で正当な対価を得るという経験が、彼らの顔つきをたくましく変えていた。
「セージさん……この工事が終わったら、また次の仕事、あるのかな?」
額の汗を拭いながら尋ねてきた少年に、誠二は屈み込んで目線を合わせ、温かく微笑みかけた。
「まだ分からないけれど、スラムを良くするための仕事や改善策はまだまだ山積みだからね。工事が終わったら、次も一緒に新しい仕事を探してみよう」
「うん……! 俺、もっと勉強して、セージさんみたいに測量の道具も上手に使えるようになるよ!」
少年は嬉しそうに何度も深く頷き、再び元気よく土運びの列へと走っていった。
それからというもの、来る日も来る日も、朝から夕暮れまで過酷な治水工事が続いた。
川底の泥をさらい、巨大な石を組み上げ、土手を強固に固める作業は、体力的にも精神的にも限界を試されるタフな現場だった。だが、ここで周囲を驚愕させたのが、誠二自身の「規格外のタフさ」だった。
(――異世界に来たとき、女神にチート能力はいらないって断って『規格外のタフさ』を押し付けられた時はどうなることかと思ったが……ハハ、こういう風に現場でみんなの役に立つ使い道があるなら、悪くないな)
朝一番から夕方まで、どれだけ重い巨石を担ぎ上げても息一つ乱さず、誰よりも現場に立ち続けて的確な指示を出し続ける誠二の姿。それは、街の人足とスラムの住民双方から「底知れない凄腕の現場監督」として、深い敬意と信頼を集めていった。
また、元締めのゴルドも現場で目覚ましい手腕を発揮していた。荒くれ者の多いスラムの作業員たちの体調や作業配分を厳格に管理し、感情的になって揉め事が起きそうになれば、その圧倒的な威厳で一発で抑え込む。ゴルドが現場の秩序を完璧に保ってくれたおかげで、領軍の衛兵や街の自警団の手を借りることなく、現場の治安は極めて良好に保たれたまま作業が進んだ。
数週間の突貫工事を経て、川底の浚渫は見事に完了し、増水時の水勢を安全に逃がすための広大な遊水地が姿を現した。そして、最新の工法で補強された強固な新しい堤防が、川沿いにどこまでも美しく、頼もしく伸びていく。
スラムと街を長年隔てていた巨大な見えない壁が、一つの泥臭いプロジェクトを通じて、いま確実に溶け崩れ始めていた。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




