辺境伯の悩みと、治水の相談
「実はな、二人――いや、三人に相談したいことが、もう一つあるんだ」
正体を明かしたグレイは、手元の杯を置くと表情を引き締めた。先ほどまでの飄々とした好々爺の空気がふっと消え、一領主としての威厳と重厚な雰囲気が室内に満ちていく。
「相談、ですか……? 辺境伯様が、俺たちに……?」
誠二が問いかけると、グレイは静かに頷いた。
「毎年、この時期になると、町のすぐ近くを流れる川が激しく氾濫してね。領としても毎年堤防の補修作業を続けてはいるのだが、根本的な解決には至っていない。……正直、ずっと頭を悩ませていてね」
「氾濫による被害は、どの程度出ているんですか」
「被害は深刻だ。周囲の広大な畑が水浸しになり、川沿いの家々がことごとく浸水する。特に……川下に位置する低地に住む者たちが、いつも一番酷い被害を受けている」
誠二は思わず身を乗り出した。前世で都市計画やインフラ関係のコンサル案件に関わっていた頃の習性が、無意識に反応していた。
「その低地というのは、もしかして……」
「察しがいいね、セージ君。……そうだ。スラムの一部も、その低地に含まれているんだよ」
「セージ、お前……」
横で話を聞いていたボスが、何かを悟ったように誠二へ視線を向けた。
誠二の頭の中ではすでに、単なる水路の改修を超えた、前世で培った治水・土木の広範な知識が猛スピードで手繰り寄せられ始めていた。
(――低地にあるスラム……放置すれば、せっかく掘ったあの井戸や衛生環境も、泥水で一瞬にして飲み込まれて元通りになってしまう。これも、絶対に放っておけないやつだ)
「グレイさん。川の氾濫について、原因に何か心当たりはありますか」
「毎年のことだからね、領の技師たちにも命じて色々と調べさせてはいる。だが、いくら堤防を高く積んでも水が溢れ出し、決定打になる対策が見つからないんだ」
「なるほど……。川の流れが急激に変わる屈曲部や、堤防が特に決壊しやすい脆弱な箇所、川底の状況などを教えてもらえますか」
「もちろんだ。後ほど、領専属の技師に案内させよう」
誠二は腕を組み、記憶の引き出しを片端からひっくり返した。
堤防の嵩上げ(かさあげ)だけでは、増水した水の圧力に耐えきれず決壊する。必要なのは、川底の浚渫による流路の確保、水勢を殺すための遊水地の確保、そして耐久性の高い強固な土手づくり――専門家でなかったとはいえ、コンサル時代に見聞きした治水の基本概念が、異世界の技術的盲点を突く鍵になる確信があった。
「グレイさん。この規模の治水工事を雨季が来る前にやり遂げるには、想像以上のアペラ(人手)が必要になります」
「ああ、それこそが一番の巨大な壁でね。町の人足だけでは、とても作業員が足りないのだよ」
「――俺が、人を出す」
それまで黙って腕を組んでいたボスが、低い声でそう言い放った。
「ボス……?」
「スラムには、働きたくてもまともな仕事がない食い詰めた連中が山ほどいる。井戸掘りの時みたいに、穴掘りや土運びならお手の物だ。手配なら俺がいくらでもしてやる。……ただし、条件がある」
ボスは鋭い眼光で、領主であるグレイを真っ直ぐに見据えた。
「条件とは何かな、ボス君」
「……ちゃんと、働いた分の賃金を払ってくれ。俺の縄張りの連中を、タダ働きさせる気はねえ」
ゴルドの力強い言葉に、グレイは深く満足そうに頷いた。
「もちろんだとも、ゴルド君。我が領の正式な事業として、相応の報酬を支払うと約束しよう。スラムの住民であっても、大切な私の民だからね」
「……決まりだな」
ボスは満足そうに口元を緩めた。
技術を授ける誠二、労働力をまとめるボス、そして資金と権限を提供する領主グレイ。スラムと街を隔てていた壁が、治水事業という巨大なプロジェクトを通じて、今まさに打ち破られようとしていた。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




