グレイへのお礼と、招待状
「グレイさんに、直接会ってお礼を言いたいんですが」
井戸が完成し、スラムに笑顔が戻り始めたある日の夕刻。誠二が拠点でそう切り出すと、煙草をくわえていたボスは意外そうに太い眉を上げた。
「お前が世話になった、あの金を出してくれた老紳士か。……そうだな。俺も、一緒に行っていいか?」
「もちろんです。ボスが協力してくれたおかげでもありますから」
二人は連れ立ってスラムをあとにし、夕闇に包まれ始めた街の居酒屋へと向かった。
ガラリとドアを開けると、店内の喧噪から少し離れたカウンターの隅で、上品なコートを着た老紳士グレイが、いつものように静かに杯を傾けていた。
誠二とボスが並んで隣の席に腰を下ろすと、グレイは目を細めて柔らかく微笑んだ。
「やあ、セージさん。今日は連れがいるんだね」
「グレイさん。お蔭様で、無事に新しい井戸が完成しました。澄んだ水が出始めてから、スラムの病気も目に見えて減っています」
「ほう、それは何よりだ。君の言っていた通りになったね」
グレイが嬉しそうに頷くと、その隣で硬い表情をしていたボスが、意を決したように深く頭を下げた。
「……あんたのおかげで、俺の縄張りの連中が何人も救われた。スラムの元締めとして、礼を言う」
「おや、礼ならセージ君に言ってくれ給え。私はただ、年寄りの道楽で金を貸しただけに過ぎないのだから」
「いいや、金がなきゃ何も始まらなかった。度胸のあるあんたの決断のおかげだ」
頭を下げ続ける武骨なマフィアのボスと、それを謙遜しながら受け流す誠二。
グレイは二人の姿を交互に見比べると、満足そうに低く笑声を漏らした。
「ハハハ、面白い組み合わせだね、君たちは。スラムを牛耳る裏社会の元締めと、お節介で破天荒な冒険者が、肩を並べて一言お礼を言いに来るとは」
「……妙な取り合わせなのは、自分たちでも自覚してますよ」
誠二が頭を掻きながら苦笑すると、グレイはグラスを置いて悪戯っぽく目元を緩めた。
「いや、実に悪くない取り合わせだと、私は思うがね」
グレイはそう言って店主に手を挙げ、酒を追加で注文した。やがてカウンターの上に、なみなみと注がれた三分の琥珀色の杯が静かに並べられた。
「さあ、まずは井戸の完成と、スラムの平穏に乾杯と行こうじゃないか」
三人は杯を掲げ、カチンと心地よい音を響かせた。
喉を鳴らして酒を飲み干したあと、グレイはゆっくりと杯を置くと、ふっと表情の奥にある空気を変えた。
「……実はな、そちらの元締めの名を聞いておきたい。居酒屋では『ボス』としか聞いていなかったのでね」
グレイが穏やかな眼差しを向けると、ボスの男は少し気恥ずかしそうに鼻を鳴らし、腕を組んだ。
「……ゴルドだ。スラムの連中にはボスと呼ばせてるが、本名はゴルド・ベルクという」
「ふむ、ゴルド君か。良い名だ。……では改めまして、セージ君、ゴルド君。私の屋敷へ招待しよう」
グレイは上着の内ポケットに手を差し入れると、一通の封筒を取り出してテーブルの上に滑らせた。
手漉きの上質な紙で作られたその封筒の封緘には、深紅の蝋で、誠二たちが見たこともない格式高い紋章が刻印されていた。
「これは……?」
「私の家の紋章だよ。……ふふ、そろそろ、君たちには正体を明かしておこうかと思ってね」
思わぬ言葉に、誠二とボスは思わず顔を見合わせた。目の前にいるのは、居酒屋で噂話を集めるのが趣味だという飄々とした老人のはずだ。だが、差し出された封筒が放つ異質な存在感に、背筋が薄寒くなるような感覚を覚える。
「今度、私の屋敷でささやかな集まりを開くことになってね。二人を、ぜひ招待したいんだ」
「屋敷、ですか……? グレイさんの……?」
「ああ。来てくれれば、君たちが疑問に思っていることも、色々とお分かりいただけると思うよ」
「ボスも、招待していいんですか?」
「もちろんだよ。むしろ彼にこそ、直接聞いてほしい話があるのだからね」
指名されたボスは怪訝そうな顔で眉をひそめたが、グレイの醸し出す圧倒的な静けさに気圧されたように、無言で小さく頷いた。
グレイの瞳には、少年のように楽しげで、それでいて全てを見通すような密かな光が浮かんでいた。
(――なんだか、もの凄く嫌な予感がするな……)
誠二は差し出された封筒を受け取りながら、内心でそう呟いた。
手に取った封筒は、上質な紙の質量のせいだけではない、物理的な重みを超えた『格式の重圧』をずっしりと秘めているように感じられた。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




