井戸の完成と、病気の減少
誠二の規格外の一撃によって岩盤が打ち砕かれ、地下深くから滾々と湧き出した水は、やぐらと複合滑車の整備を経て、立派な新しい井戸として完成を迎えた。
汲み上げられたばかりの水を桶に満たし、集まったスラムの住民たちの前にお披露目される。それは、これまでの濁りや異臭が漂っていた水とは比べ物にならないほど、水晶のように澄み渡っていた。
「セージさん、これ……本当に飲んでも平気なのか?」
おずおずと桶を覗き込む住民の一人に、誠二は優しく声をかけた。
「念のため、最初は一度火に通して煮沸してから飲んでみてください。ですが、水質そのものは以前の井戸とはまったく別物です」
誠二の助言通り、住民たちが薪で火を起こし、沸かした水を冷まして口に含んだ瞬間――広場にどよめきが走った。
「う……うまい! なんだこれ、甘く感じられるくらいサッパリしてるぞ!」
「腹も壊さねえし、喉の奥がスーッとする……! こんな綺麗な水、この街に来てから一度も飲んだことがねえよ!」
その噂は、瞬く間にスラム中に広まった。
連日、新しい井戸の周りには、大きな水瓶や木桶を持った人々の長い列ができるようになった。汲み合いの手伝いや順番待ちの会話の中で、以前の暗く荒んだ空気は影を潜め、いつしか小さな笑い声や穏やかな賑わいが絶えなくなっていた。
「セージさん、ありがとうございます!」
トトも、自分用の小さな桶で嬉しそうに水を汲んでは、何度も誠二に向かって深々と頭を下げていた。
「トトが一生懸命土を運んで、手伝ってくれたおかげでもあるんだぞ」
「俺なんて、ほんのちょっとしか運んでないのに……」
「その『ちょっと』の積み重ねがあったから、ここまで掘れたんだ。胸を張っていいんだよ」
誠二はトトの頭を優しく撫でながら、人々に親しまれるようになった井戸を見上げた。前世でのプロジェクト完遂時とは一味違う、生きた人々の笑顔に直結する成果に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(――ひとまず、大きな課題がひとつ片付いたな。……まあ、片付いたと言っても、スラムの環境改善はこれからが本番なんだろうけど)
水を汲みに来る住民たちの顔には、以前の絶望的な影はなく、確かな生気が宿っていた。誠二はその光景を、しばらく黙って温かい目で見つめていた。
だが、この井戸がもたらした本当の成果を、誠二たちが知ることになるのは、それからひと月ほどが経った頃のことだった。
ある日の午後、誠二がスラムの拠点を訪れると、ボスが珍しく興奮を隠しきれない様子で出迎えてきた。
「セージ! ちょうどいいところに来た、聞いてくれ!」
「ボス? 何かあったんですか」
「熱病だ! スラム中で猛威を振るってたあの原因不明の熱病が、明らかに減ってるんだよ! ここ最近、新しく熱を出して倒れる奴が、ほとんど一人物出てねえんだ!」
「……本当ですか!」
誠二は思わず安堵の溜息を漏らした。
前世の疫学知識から推測していた通り、あの濁った死水や汚染された旧井戸が、感染症の最大の媒介源だったことがこれでほぼ確実に証明されたのだ。
「ああ、本当だ。……お前のおかげだよ、セージ。俺たちの命を救ってくれた」
普段は強面で滅多に人を褒めないボスが、心からの感謝を込めて穏やかな顔でそう言った。
「トトのひどかった咳も、すっかり治まって元気に走り回ってる。……本当に、感謝してる」
「そう言っていただけると、苦労して掘った甲斐がありました。……ですが、ボス。まだ安心はできませんよ」
「……あ?」
ボスが拍子抜けしたような声を上げた。誠二は真面目な顔で手帳を取り出す。
「井戸によって水質は改善しましたが、スラム全体を見渡せば、まだまだ衛生状態が悪すぎる場所が山積みです。ゴミ捨て場の放置や、機能していない排水路の見直し……やるべきことは大量にあります」
「……お前、本当に休むってことを知らねえんだな」
ボスは呆れ果てたように笑ったが、その目には誠二に対する絶対的な信頼の色が浮かんでいた。
「まあいいさ。お前が言い出したことなら乗ってやる。次は何をすればいいんだ?」
「まずは『ゴミの分別』からです」
「ぶんべつ……? そんな地味なことで、何が変わるんだよ」
「腐りやすい生ゴミと、そうでない資材を分けるだけでも、悪臭や有害な虫、害獣の発生を激減させられます。派手な魔法や技術じゃありませんが、こういう地味な施策の積み重ねこそが、結果としてみんなの命を守るんです」
「地味なことばっかりだな、お前のやることは」
「ええ。地味なことの積み重ねしか、私にはできませんから」
(――一歩ずつ、確実にだな)
誠二は、少しずつ、しかし確実に変わり始めていくスラムの街並みを、強い手応えとともに見つめていた。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
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