スラムの病と「毒」を抱く少女
「トトの件、悪かったな。だが……あいつ一人の話じゃねえんだ」
マフィアのボスは重々しく椅子に深く腰掛け、疲れたような声で切り出した。
「どういうことですか」
「このスラム、今、嫌な熱病が流行ってる。子どもも大人も、バタバタ倒れて死んでいってる」
「病院には行かないんですか?」
「病院だと? 金がねえ奴が真っ先に死ぬ。それが、ここの現実だ」
ボスの言葉には、深い諦めと抑えきれない怒りが入り混じっていた。
「トトを拾ったのも俺だ。スリでもさせなきゃ、今頃飢え死にするだけだったからな。……綺麗事だけじゃ、ここの連中は守れねえんだよ」
「……わかります」
「わかったような口を利くな」
誠二の即答に、ボスは鋭い視線を向けた。だが、一切の怯えも見せない誠二と、その後ろで静かに佇むルチアを見て、すぐに肩の力を抜いた。
「……いや、悪い。お前、財布を狙われてもトトを助けてくれたんだったな」
「他に選択肢がなかっただけです」
「そういう甘さ、この街じゃ命取りにもなりかねねえぞ」
「気を付けます。……まあ、幸いこの頑丈さのおかげで、大抵のトラブルは何とかなっていますが」
ボスは呆れたように鼻を鳴らしたが、その表情には僅かながら誠二に対する信頼と興味の色が滲んでいた。
誠二は改めてアジトの周囲を見回した。入り組んだ細い路地、崩れかけた不法建築の家々、そして路地の真ん中をゆっくりと流れる汚れた水路。衛生環境の劣悪さは、一目で分かった。
(――これ、村の井戸の話と根っこは同じかもしれないぞ)
「病気の原因、もしかしたら『水』かもしれません」
「水だと?」
「この水路と水源、見せてもらえますか」
「……お前、本気で言ってるのか」
「はい。本気です」
ボスは誠二をしばらく睨むように見つめたあと、深く大きな息を吐き出した。
「わかった。案内させる。……だが、期待はしてねえぞ。ここは、誰もが見捨てた場所だ」
「見捨てられていても、放っておけない性分なので」
誠二は既に頭の中で、この過酷な現場をどう環境改善できるか、前世のコンサル思考をフル回転させ始めていた。
ボスの案内でスラム街のさらに奥深く、湿気と悪臭が立ち込める最深部へと足を踏み入れる。
誠二の横を歩くルチアは、汚れた街並みを複雑な表情で見つめていた。その瞳には、かつて名門貴族としてこの街の「陰」を直視できなかった後悔と、深い痛みが宿っている。
「ここが水源の川とつながってる水路の起点だ。……見ろよ、上流から流れてくる水自体が濁ってやがる」
「生活排水と不法投棄ゴミの混入、それに殺菌処理がされていない生水……。病原菌が繁殖するには格好の条件ですね」
誠二が水路を覗き込み、改善の構想を練っていたその時――。
「う……あ……うう……っ」
路地の陰になった壊れかけの小屋の隙間から、細く痛々しい呻き声が聞こえた。
「――っ!? セージ、あそこから声がするわ!」
ルチアが目ざとく反応し、素早く小屋の影へと駆け寄る。誠二とボスもその後を追った。
薄汚れた布切れの上に横たわっていたのは、銀髪の十六歳ほどの少女だった。
浅黒い肌に、どこか影のある美貌。だが彼女の首元には、不気味な黒紫色の【刻印】が怪しく明滅していた。
「私に……触らないで……っ! 私と一緒にいると、みんな不幸になるの……!」
ルチアが手を伸ばそうとした瞬間、少女は悲鳴を上げて身を縮こませた。同時に、刻印からどす黒い魔力の霧――精神を削り、不運を撒き散らす悪意の魔力毒が噴き出す。
「くっ……!? なに……この不快な魔力は……っ!?」
ルチアは即座に息を詰まらせ、激しいめまいで後退した。ボスも苦々しく顔を背ける。
「……あはは、ほらね。みんな、私に近づくと不幸になるの。私は……触れたもの全てを蝕む毒人間なのよ……」
少女は絶望に満ちた目で微笑むと、膝を抱えて顔を伏せた。
かつて悪徳研究者たちの人体実験体として弄ばれ、この呪詛の刻印を刻まれた過去。逃げ出した先のスラムでも人々から忌み嫌われ、命を削りながら生きてきた少女の心がそこにあった。
「……ノエル、か」
ボスが苦々しく呟いた。
「この子はノエルだ。人体実験の生き残りらしくてな……スラムの熱病とは別に、生まれた時から酷い呪いを背負わされてる。誰も触れねえし、医者も逃げ出した」
(――間違いない。女神様が言っていた『強い呪いに苦しむ魂』とは、このノエルという少女のことだ!)
誠二の中で全てのピースが繋がった。
少女が撒き散らす「毒気」の中へ、誠二は一切の躊躇なく足を踏み入れる。
「ちょっとセージ!? 無理よ、その毒気は危険すぎるわ!」
「来ないでって言ってるでしょ!! 死にたいの!?」
ノエルが叫ぶが、誠二はそのまま彼女の目の前にかがみ込み、冷たい両手をガシッと温かく包み込んだ。
致死量の魔力毒が誠二に流れ込む――。
――ピリッ。
「……ん? なんか、ちょっと静電気がピリッとする程度ですね」
「……は?」
ノエルは紫色の瞳を大きく見開いた。
「え……? 毒が……効いてない……? なんで……!?」
「まあ、俺、信じられないくらい頑丈ですから。……辛かったですね、ノエルちゃん。でも、今はまずスラムの環境と病気を解決するのが先決です。あなたの呪いも……必ず治す方法を探しますから」
「あ……っ……」
触れても死なない、拒絶しない人間の存在に、ノエルの瞳から涙が溢れ出た。
「ボス。スラムの水をきれいにしましょう。病気を止めれば、この子を介抱する余裕もできる。……俺に策があります」
「……へっ、面白え。やってみろ、セージ!」
誠二の圧倒的な「頑丈さ」がノエルの心に希望の光を灯し、スラム全体の運命を変える水質改善作戦がいよいよ幕を開けるのだった。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




