スリの少年と奪われた日常
居酒屋を出て、夜も更けた静かな裏通りを二人で歩いていた時のことだ。
ふと懐に軽微な違和感を覚えた誠二は、素早く振り返って声を張った。
「――お前、今、何をした?」
月明かりの下、そこには痩せこけた一人の少年が立ち尽くしていた。その手には、誠二の財布らしき革袋が握られている。
「っ……あ……!」
少年は慌てて逃げ出そうと踵を返したが、数歩も進まないうちに、激しい咳き込みとともにその場に膝から崩れ落ちた。静かな夜の路地に、痛々しい乾いた咳が響き渡る。
「おい、大丈夫か!?」
誠二は反射的に駆け寄り、膝をついた。追いついたルチアも「待ちなさいセージ、罠かもしれないわ!」と警戒の声を上げたが、倒れた少年の惨状を見て絶句した。
少年の顔は真っ赤に上気し、荒い息が漏れている。額に触れると、まるで火のついた炭のような高熱があった。
「これはひどい……高熱に、激しい咳だ。居酒屋で聞いた熱病か……!?」
少年は苦しそうに肩を上下させながら、うっすらと目を開けた。焦点の定まらない瞳で、誠二を見上げている。
(――放っておけるわけがないだろ、こんな子供)
継ぎ接ぎだらけの服、浮き出た肋骨、痩せこけた頬。重度の栄養失調は一目で分かった。
誠二は躊躇なく少年を背負い上げた。あまりにも軽すぎる身体だった。
「しっかりしろ。今、宿に連れて行ってやるからな」
「……財布……は……」
意識が朦朧とする中で少年が掠れた声で呟くと、横で見ていたルチアがどこか痛ましそうな、それでいて厳しい表情で少年の手に残っていた革袋を取り上げた。
「そんなの、今はどうでもいいわ! セージ、急ぐわよ!」
「ああ!」
夜道に二人の足音が激しく響く。誠二は背中の命を守るため、宿への道を無我夢中で急いだ。
「女将さん! 部屋を貸してください!」
宿に駆け込んだ誠二を見て、女将が悲鳴に近い声を上げた。物音に気づいた亭主も厨房から飛んでくる。
「熱がひどいんです! 冷たい水と布を!」
「もちろんだよ! すぐにお湯と布を用意する!」
女将は慌ただしく動き出し、亭主も厨房へ駆け戻った。誠二は少年をベッドに優しく横たえ、生活魔法の水生成でつくった冷水で濡らした布を額に当てた。
「セージ、この子……あなたの財布を狙ったスリじゃないの?」
冷やし布を絞りながらルチアが低く問う。女将もハッとした顔で二人を見たが、誠二は首を振った。
「知っています。ですが、今はそんなこと関係ありません」
「……相変わらず、おめでたいお節介焼きね」
ルチアは呆れたように息を吐いたが、その手は素早く少年の上着を脱がせ、汗を拭う手伝いを始めていた。
その夜、誠二とルチアは交代で少年の枕元に付き添った。時折うなされる少年の額を何度も冷やし直し、誠二は以前冒険者ギルドで手に入れた安価なポーションの残りを少しずつ口に含ませた。
明け方近く、少年の呼吸がようやく穏やかになっていく。
「……よかった、峠は越えたみたいだな」
「ええ……なんとか持ちこたえたわね」
安堵の息を吐き、誠二はベッド脇の椅子にもたれかかったまま、泥のように眠りへ落ちていった。
翌朝。眩しい日の光で目が覚めると、ベッドの上の少年もうっすらと目を開けて周囲を見回していた。
「……ここ、どこ……?」
「宿だよ。お前、道端で倒れてたんだ」
「あんた……さっきの……。俺、あんたの財布、盗もうとしたんだぞ……?」
怯えたように身をすくめる少年に対し、誠二は優しく微笑んだ。
「そうだな。でも、そんなことより体調はどうだ?」
「……なんで助けたんだよ。衛兵に突き出せばよかったのに……」
「倒れてる子供を放っておいて、財布のことなんて気にしていられるかよ」
誠二が平然と言うと、少年は言葉を失い、ぎゅっと唇を噛み締めて俯いた。横で肘を組んでいたルチアが静かに問いかける。
「あなたの名前は?」
「……トト」
「トト、家族はいるの?」
「いない。……孤児院にいたけど、抜け出したんだ」
「抜け出した? どうしてだ?」
「……食い扶持を減らすためだよ。院長は優しいけど、みんなの分の飯なんて足りるわけないから……」
言葉を失う誠二とルチア。前世の日本でも、平和な世界でも想像したことのない過酷な現実だった。
「粥を食べられるか? 女将さんに作ってもらったんだ」
「……いいのかよ?」
「当たり前だろ」
差し出された熱々の粥を、トトは涙をこぼしながら一心不乱にかき込んだ。その姿を見つめながら、誠二は静かに本題を切り出した。
「それで……スリをやっていたのは、どうしてだ?」
「……スラムのマフィアの連中に拾われたんだ。スリの仕方を教えられて……その代わり、稼いだ分の一部を上納しろって。渡せないと……酷い目に遭うから」
トトは自分の凄惨な境遇を、どこか諦めを含んだ淡々とした口調で語った。
その事実を知ったルチアの瞳が、怒りと深い痛みに激しく揺れていた。
(――この子だけの話じゃない。スラムには、こういう子供たちが他にも大勢いるんだな)
女神の夢での言葉、バロンの話、そしてトトの証言。すべての点が一本の線でつながったのを感じながら、誠二は力強く拳を握りしめるのだった。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




