専門家の肩書きと居酒屋の噂
女神との不思議な夢から覚めた翌日。誠二はバロンに連れられ、久しぶりに商業ギルドを訪れていた。
当然のように、横には「あなたが変なトラブルを起こさないか見張る」と言い張るルチアがピタリと同行している。
「セージ、お前の話、商業ギルドでも噂になってるぞ」
ギルドのカウンターへ着くやいなや、バロンが煙管の煙をくゆらせながら笑った。ギルドの男性職員も興味津々といった様子で誠二を覗き込んでくる。
「安宿の『木漏れ日亭』が、急に繁盛し始めたって話はこっちにも届いてるよ。……あれ、お前がやったんだってな?」
「少し、お手伝いしただけですよ」
「謙遜するな、数字が全部物語ってるよ。……セージ、お前を『料理・食材加工の専門家』としてギルドに登録しておくからな。今後、似たような相談や改善案件があれば、お前に優先して話が回るようにしておく」
「専門家、ですか。私は別に、プロの料理人というわけではないんですが……」
「結果を出した奴が専門家だ。この街じゃあ、それで十分成り立つのさ」
隣で話を聞いていたルチアが、呆れたように肩をすくめた。
「まったく……冒険者登録をしたと思ったら、次は食材加工の専門家だなんて。あなたは一体何を目指しているのよ?」
「自分でもどこへ向かっているのか分かりませんが……役に立てるなら光栄です。でも、なんで宿の食堂の話が、こんなに早くギルドまで届くんですか?」
「商人ってのは噂話が飯の種だからな。特に、儲かる話と美味い飯には鼻が利くのさ」
職員の手によって、ギルドの登録台帳の自分の名前の横に、新しい肩書きが書き加えられていく。それを誠二はなんとも言えない思いで見つめていた。
(前世じゃ肩書きや役職に縛られて苦しかったのに……こっちじゃ肩書きが増えるたびに、誰かの役に立てた実感が湧いてちょっと嬉しいな)
冒険者、商人見習い、そして食材加工の専門家。誠二の名前には、少しずつ確かな重みが加わり始めていた。
「セージ、そのうちお前の名前だけで指名仕事が来るようになるぞ」
「それは……ちょっと荷が重いですね」
「今更なに言ってんだ。もう十分、そうなりかけてるっての」
バロンにそう笑われながら、二人と一匹(?)はギルドの建物を後にした。
ギョウザ定食の大ヒットと、行商ルートの改善による報酬も手伝い、誠二の懐には少しずつまとまった資金が貯まり始めていた。
「セージ、たまには息抜きしろよ。今日は俺の奢りだ。ルチア嬢ちゃんも乗っていくだろ?」
「……私は監視役ですから。お酒は嗜む程度に付き合います」
バロンに連れられてやってきたのは、街の路地裏にある賑やかな居酒屋だった。
煙草の煙と酒、そして肉を焼く香ばしい匂いが充満する店内は、大勢の客熱気で満ち溢れていた。
「わっ、すごく賑やかですね」
「ここはこの街の情報屋みたいなもんだ。酒が入れば大抵の噂話が拾える」
バロンは手慣れた様子で隅のテーブル席に腰を下ろした。誠二とルチアも向かい合って座ると、愛想の良い店主がすぐに杯とつまみを運んできた。
「バロンさん、お連れさんは初めてかい?」
「ああ、うちで世話になってるセージと、その連れのルチアちゃんだ。よろしくしてやってくれ」
「よろしくお願いいたします」
運ばれてきた麦酒で乾杯し、バロンはしみじみと店内を見渡した。
バロンの言った通り、店内のあちこちから様々な会話が飛び交っている。商人たちの取引の噂、冒険者たちの怪物の討伐譚、そして――
「……おい、スラムの方でまた嫌な熱病が流行ってるらしいぜ」
「怖いよなぁ、あそこは。医者にかかる金もねぇから、病人がバタバタ倒れて死んでるって話だ」
隣の席の男たちの会話に、誠二は思わず耳を澄ませた。ルチアもぴくりと眉を動かし、グラスを持つ手を止めている。
(――スラム……。昨日の夢で、女神様が言っていた場所だ)
「セージ、聞こえてたか」
バロンが静かに杯を置いた。
「はい。……スラムの病気の話」
「あそこは色々と複雑なんだよ。貴族や行政の目も届かない、見捨てられた場所だ」
「複雑、というのは?」
「裏社会のゴロツキどもが牛耳ってるって噂もある。まあ、俺たち堅気にはあんまり関係ない話だがな」
「バロンさんは、スラムに行ったことは?」
「若い頃に何度かな。……あまりいい思い出はねぇよ」
バロンは苦い顔で酒を一気に呷り、それ以上は語ろうとしなかった。
向かいに座るルチアに視線を向けると、彼女はどこか遠くを見るような、冷たく寂しげな瞳で自分のグラスを見つめていた。
(ルチアさんの過去……それから、病気に苦しむ幼い子供。女神様が言っていた『導き』は、きっとこれのことなんだな)
「……セージ、変な顔をしないで頂戴。何か良からぬことでも考えているんじゃないでしょうね?」
視線に気づいたルチアが、いつものように鋭く牽制してくる。だが、その声にはどこかわずかな揺らぎが含まれていた。
「いいえ。ただ……放っておけない場所を、また見つけちゃったかもしれないなと思いまして」
「……バカね。あそこはあなたが首を突っ込んでいいような甘い場所じゃないわ」
「そうかもしれません。ですが……お腹を空かせた人や困っている人がいるなら、安くて美味しいギョウザと、この頑丈な身体が役に立つかもしれませんから」
誠二は残りの酒を一気に飲み干した。
頭の中では、まだ見ぬスラム街の光景と、自分にできるコンサルタントとしての『支援』のイメージが、しっかりと形を結び始めていたのだった。




