無敗の氷華と動かない壁
薬草採取の依頼から数日後。誠二はバロン商会での手伝いを終え、自身の訓練と街の探索を兼ねて、領都リゼルダの郊外に広がる岩山地帯へと足を運んでいた。
荒涼とした岩肌が続くその一帯は、Fランクの冒険者が立ち入る場所ではない。だが、誠二にとっては誰の目も気にせず、自分の規格外すぎる体力を試すのに絶好の場所だった。
大きな岩を軽々と持ち上げて撤去作業のシミュレーションをしていた、その時だった。
――ガキィィィンッ!
激しい金属音と、空気を切り裂く衝撃波が遠くの谷間に響き渡った。
「……何の音だ?」
不穏な空気を察し、誠二が岩陰からそっと覗き込むと、そこでは壮絶な死闘が繰り広げられていた。
中心にいるのは、藍色の髪を激しく揺らす女性剣士――ルチアだった。
対峙しているのは、巨大な甲殻と鎌のような前脚を持つBランク相当の危険魔物『グランド・スパイダー』。そしてルチアの周囲には、黒い装束に身を包んだ複数の男たちの亡骸が転がっていた。
(あれは……刺客? 彼女を狙う襲撃者と魔物に、同時に挟み撃ちにされたのか……!)
ルチアの斬撃は鋭く、正確無比だった。しかし、執拗な刺客たちとの戦闘で疲弊しきった体には限界が訪れていた。肩からは血が吹き出し、息は荒い。死角から襲いかかる巨大な鎌状の前脚に対し、彼女の剣は防ぐのがやっとだった。
「くっ……! ここまで、か……」
剣を弾き飛ばされ、地面に膝をつくルチア。
襲い来る巨大な前脚を前に、彼女は逃げようともせず、自嘲気味に静かに目を閉じた。死を受け入れるかのような、あまりにも諦めきった横顔。
(――あんな顔、見過ごせるわけないだろうが……!)
前世の価値観だろうと青臭いと言われようと関係ない。誠二の体が、考えるより先に動いていた。
――ドォォォンッ!!
「……え?」
ルチアが目を開けた時、視界を塞いでいたのは、信じられない光景だった。
彼女を死へと誘うはずだった巨蜘蛛の鎌が、一枚の小さな背中に受け止められていた。いや、正確には「刺さって」すら届いていなかった。
誠二の羽織る安物の革胸当ては一瞬で弾け飛んだが、その下の肌には傷一つ、赤みすら差していない。強大な魔物の死力が込められた一撃が、ただの『壁』に遮られたかのように完全に威力を失っていた。
「な……何をしているの……!? 逃げなさい! あなたみたいな新人が関わったら……殺されるわよ!」
悲痛な叫びを上げるルチアに対し、誠二はゆっくりと振り返り、どこか困ったような笑みを浮かべた。
「いや……痛くも痒くもないので、大丈夫ですよ」
「は……?」
呆気にとられるルチアの前で、誠二は巨蜘蛛の巨大な鎌を素手でガシッと掴むと、そのまま圧倒的な力任せに引きずり回し、地面へと叩きつけた。巨響とともに土煙が上がり、衝撃で脳揺れを起こした魔物はそのまま動かなくなった。
静寂が戻った岩場に、ルチアの荒い息遣いだけが響く。
彼女は呆然と誠二を見つめていた。自分の命を狙う刺客と、Bランクの魔物。その渦中に飛び込んできて、一切の傷も負わずに制圧してしまった奇妙な男。
「あなた……一体、何者なの……?」
「セージです。ギルドの初心者講習でお世話になりました。怪我、酷いですね。動かないでください」
手際よくポーションを塗り、清潔な布で傷口を縛っていく誠二の手つきには、一切の毒気がない。まるで傷ついた子供を介抱するかのような、包み込むような落ち着きがあった。
「触らないで……! 私に関わると、あなたまで黒幕に狙われて死ぬのよ! 私は……誰かを巻き込むわけにはいかないの……!」
拒絶と恐怖に震えるルチアの言葉を、誠二はただ静かに、優しく受け止めた。
「ルチアさん」
誠二は彼女の手当を続けながら、穏やかな口調で語りかけた。
「ギルドであなたの噂を聞きました。一人で無茶な依頼ばかり受けて、まるで死に場所を探すような戦い方をしているって。……自分を粗末にするのは、もうやめましょう。命は、もっと大事にするものです」
「なっ……! 何も知らないくせに、勝手なことを言わないで……っ!」
「私は見ての通り、世界一頑丈なんです。剣で刺されようが、魔物に叩かれようが死にません。……だから、あなたが誰に狙われていようと、私を巻き込むことなんて不可能です」
「そんな……そんなデタラメな理由……っ!」
「デタラメじゃありませんよ。現に、傷一つないでしょう?」
誠二は照れくさそうに笑い、自身の胸をポンポンと叩いてみせた。その仕草には、若者特有の功名心や下心など一切なく、ただただ深く落ち着いた、五十年の人生を歩んできた大人だけが持つ安心感に満ちていた。
「っ……」
ルチアの目から、ツッと一筋の涙がこぼれ落ちた。
冤罪で家を潰され、孤立し、誰も信じられず、誰かを巻き込む恐怖に怯え続けてきた日々。そんな彼女の頑なな氷の心を、「絶対に死なない過剰な頑丈さ」と「お節介で温かい包容力」を持ったこの奇妙な男が、呆気なく溶かしてしまったのだ。
(……この男なら。絶対に死なないこの男の側なら……私は、誰も巻き込まずに済むのかもしれない)
「……ふん。勝手なことばかり言って……私、知りませんからね!」
慌てて涙を拭い、フイッとそっぽを向いたルチアの頬はかすかに赤くなっていた。講習の時のような冷酷な「氷華」の面影はなく、年相応のどこか幼い素顔が覗いていた。
――そして、数日後。
バロン商会での手伝いを終え、一人で冒険者ギルドへ向かっていた誠二の前に、ぴしりと背筋を伸ばしたルチアが現れた。藍色の髪を揺らし、腕を組んで仁王立ちしている。
「あ、ルチアさん。怪我の具合はもう大丈夫なんですか?」
「……ええ。お陰様でね」
誠二が呑気に声をかけると、ルチアはすっと目を細め、どこか気まずそうに咳払いをした。
「……勘違いしないでちょうだい。私はあなたに感謝なんてしていないわ。ただ……そう、ただの『監視』よ」
「監視、ですか?」
「そうよ! あなたはまだFランクの初心者で、しかもソロで動いているんでしょう? いくら無駄に頑丈だからって、知識もないのにフラフラ出歩かれたら目が離せないわ。……私はベテランのBランク冒険者なの。あなたが変な事故で死なないように、見張ってあげるって言ってるのよ!」
早口でそう言い放つと、ルチアはフンと鼻を鳴らした。完全に後付けの口実だと丸わかりのツンとした態度だが、その瞳には誠二から離れたくないという必死さが滲み出ている。
(……要するに、心配してついてきてくれるってことか。素直じゃないけど、優しい子だな)
中身が五十歳のおじさんである誠二には、彼女の意地っぱりな優しさが微笑ましく見えてならなかった。
「そうですか。Bランクの先輩に同行してもらえるなんて頼もしいです。よろしくお願いしますね、ルチアさん」
「っ……! べ、別によろしくなんて言われても困るわよ! 私はただ見張るだけなんだから!」
優しく微笑む誠二の顔を見て、ルチアは一転して狼狽え、朱に染まった顔を隠すように歩き出した。
こうして、孤高の「無敗の氷華」ルチアは、お節介な男を守るという名目のもと、誠二の隣という最も安全で奇妙な居場所に居座ることになったのだった。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




