安宿暮らしと異世界の食卓
「ここが、今日からのお前の城だ」
バロンに案内されたのは、商業都市リゼルダの大通りから二本ほど折れた、生活感の漂う裏路地に佇む木造の安宿だった。使い込まれた木製の看板には『木漏れ日亭』と掠れた文字で書かれている。
ギシギシと軋む木造の階段を上り、二階のつきあたりにある部屋の扉を開けると、そこは三畳ほどの狭い空間だった。備え付けられているのは簡素な木製の寝台が一つと、小さな丸脚の机、そして小さな腰掛けだけ。窓の外からは、石畳の路地を行き交う人々や荷車の声が絶えず聞こえてくる。
「家賃は月払いでいい。バロンの旦那の紹介だからな、冒険者価格で安くしといてやるよ。稼ぎが出たら順次払ってくれりゃあいい」
「ありがとうございます! 本当に助かります」
バロンの隣でそう請け合ってくれたのは、宿の女将だった。恰幅がよく、丸っこい顔立ちの中に人の良さそうな笑みを浮かべている。
バロンが「じゃあな、何かあったら商会に来い」と片手を振って去っていくと、誠二は部屋の寝台に軽く腰を下ろした。
(贅沢は言えないな。……いや、前世のワンルームマンションに比べれば多少狭いくらいか。むしろ十分すぎるな)
壁は薄く、隣の部屋の住人が身返りを打つ音や、下の階の足音がかすかに響いてくる。だが、その気取らない雑多な空気感も含めて、どこか前世の学生時代に住んでいた古アパートのような懐かしい感覚を呼び起こさせた。
「セージさん、うちの宿は朝と夜に一階で食堂をやってるからね。良かったら利用しておくれ」
廊下から女将が声をかけてきた。
「ありがとうございます。ぜひ利用させてもらいます」
「見ない顔だけど、新人かい? 冒険者?」
「ええ、今日ギルドで登録してきたばかりのFランクです」
「そりゃ大変だ。怪我しないようにしっかり食べときな。……まあ、うちの亭主が作る料理だから、味の保証は一切しないけどね」
「あはは、そんなに謙遜しなくても」
「いいや、これは謙遜じゃなくて長年の実績に基づいた『事実』だよ」
女将はケラケラと豪快に肩をすくめて笑うと、階下へと戻っていった。
夕方になり、お腹の虫が鳴り出した誠二は一階の食堂へと降りていった。
使い込まれた木製テーブルが並ぶ店内には、仕事終わりと思しき粗野な冒険者や長旅の行商人たちが集まり、ガヤガヤとジョッキを傾けている。誠二の手元に運ばれてきたのは、ゴロゴロとした大きな芋と、塩漬け肉を煮込んだだけのシンプルなスープ、そして固い黒パンだった。
周囲の客たちも「今日も塩くせえな」「文句言うならもっと美味い店行けよ」などと軽口を叩き合いながら、黙々と口に運んでいる。
誠二も匙を取り、スープを口に含んだ。
(……うん、しょっぱい。肉の出汁は出ているけど、ハーブや香辛料の香り付けもなければ、旨味の深みもないな。ただ塩と肉と芋を煮込んだだけだ)
前世で食べていた、出汁や醬油、多種多様なスパイスや調味料が幾重にも層を成していた日本の定食屋の味を、無性に思い出した。
(この世界、全体的に食のレパートリーが少ないな……。攻撃魔法や生活魔法で火や水が簡単に手に入るせいか、料理の手間や味付けの工夫という文化が、あまり発展していないのかもしれないな)
前世の元コンサルタントらしい分析を心の中で巡らせながら、誠二は黙々と出された料理を胃袋に流し込んだ。不味くて食べられないほどではないが、どうしても「食の楽しさ」には程遠い。
(まあ、このあたりの改善も……追い追い、だな。自分がこの街で落ち着いたら、バロンさんや女将さんにアイデアを出してみるのも面白いかもしれない)
小さな違和感とアイデアの芽を記憶の片隅にしまい込み、食堂の賑やかな会話に耳を傾けながら、誠二はゆっくりと夕食を終えた。
部屋に戻ると、一日の泥と汗を拭い、寝台の上に大の字になって横たわった。
天井に浮かぶ木目の染みをぼんやりと眺める。
(明日はいよいよ、冒険者ギルドの初心者講習か。……なんだか前世の新人研修を思い出して、妙な緊張感があるな)
ギルドで見かけた、あの凛とした藍色の髪の女性剣士――ルチアの姿が、ふと脳裏をよぎる。どんな講習になるのか、自分がこの過剰なまでの頑丈さを隠し通せるのか。
緊張とも懐かしさともつかない不思議な感慨を抱いたまま、誠二はゆっくりと目を閉じたのだった。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




