バロン商会での夜
「セージ、まずはうちの商会に来い。 旅の疲れを癒してこれからの事を相談しよう」
バロンに導かれ、活気あふれるリゼルダのメインストリートから一本脇に入った大通りを進む。辿り着いたのは、重厚な木造と石組みが組み合わさった見上げるような三階建ての商家だった。
庇には、使い込まれた木の看板に力強い文字で『バロン商会』と彫り込まれている。想像していたよりもずっと立派で、そこそこの規模を誇る店構えだった。
「裏手に回るぞ。荷馬車を入れなきゃならん」
表の店舗を迂回して広い裏庭へと回ると、そこは熱気に満ちた物流の現場だった。荷馬車が三台も四台も停められ、積み上げられた木箱や藁で包まれた荷物が山をなしている。見たこともない珍しい農産物や香辛料の匂いが、夕暮れの空気に混ざり合って漂っていた。
「おかえりなさいませ、旦那様! 無事のお戻り、何よりです」
パタパタと忙しなくエプロンをなびかせて出迎えたのは、バロンの妻だという女性だった。
ふっくらとして恰幅がよく、柔和で温かみのある顔立ちをしている。だがその眼光の奥には、長年商人である夫の背中を支え、大勢の使用人をまとめてきた女将らしい芯の強さと聡明さが滲み出ていた。
「ただいま、マルタ。……こいつは客人だ。セージっていう。道中、ちょいと世話になった相手でな」
「まあまあ、それはそれは。遠路はるばるようこそお越しくださいました。……セージさん、お荷物、お運びしましょうか?」
「あ、いえっ! 自分のは大した量もないですし、自分で持てますから大丈夫です!」
慌てて手を振る誠二に、マルタは親しみやすい笑みを浮かべた。
(丁寧で物腰の柔らかい人だな。気取ってなくて、優しそうないい奥さんだ)
誠二は勧められるまま、店舗の奥にある居住区へと足を踏み入れた。
木造の廊下を進む最中も、若い使用人や奉公人の少年たちが汗を流しながら忙しなく行き交っている。その途中で、腕に分厚い羊皮紙の帳簿を何冊も抱えた、目つきの鋭い細身の中年男とすれ違った。男は足を止め、丸眼鏡の奥から誠二の身なりを興味深そうにじろりと一瞥した。
「バロンさん、あの人は……?」
「ああ、うちの番頭だ。数字と金にはからきしうるさい奴だが、腕と仕入れの管理は確かだ。おい、こいつがセージだ。しばらく我が家で厄介になるから、よろしくしてやってくれ」
バロンが声をかけると、番頭は誠二に向かってフッと短く、だが礼儀正しく会釈した。
「……お初にお目にかかります、セージ様。旦那様のお連れ様でしたら、ごゆっくりお過ごしください」
丁寧な挨拶を残すと、番頭は思考を止める間もなく、計算を再開するように忙しなく奥の執務室へと消えていった。
「あの調子で、いつも皆さん忙しいんですか?」
「ああ。うちは大手に比べりゃまだまだ薄利多売の身でね。数をこなして確実に回していかないと、大勢の奉公人を食わせていけない商売なんだよ」
「……どこも、大変なんですね」
前世の企業での過酷な物流管理や在庫追跡の日々が脳裏をよぎり、誠二は思わず苦笑いを浮かべた。
そこへ、奥の調理場からふわりと出汁と肉の焼ける香ばしい香りが漂ってきた。
「セージさん、夕飯の支度、もうすぐできますからね! 先にお風呂で汗を流してくださいな」
マルタの明るい声が廊下に響き渡り、屋敷の奥から湯気の立つ料理の匂いが鼻腔をくすぐった。誠二の腹が、グゥと大きな音を立てて鳴った。道中は干し肉と固いパンばかりだっただけに、温かい食事の気配は何よりのごちそうだった。
温かい湯に浸かり、泥と汗を洗い流したあと、誠二は食堂でバロン一家と共に豪華な夕食を囲んだ。香辛料の効いた肉スープと柔らかい焼きたてパンの味は、身にしみるほど美味しかった。
「今日はもう手足の伸ばせる部屋でゆっくり休め。明日、ギルドに案内してやるからな」
「ありがとうございます、バロンさん。何から何まで……」
「礼には及ばんさ。お前のおかげで、うちの今回の商売はだいぶ助かってるんだからな。メレン村の井戸の件も、街道の盗賊の件も……お前がいなきゃ、荷も俺の命もどうなっていたかわからん」
「いえ……私はただ、目の前の困っていることをやっただけです」
「ハハッ、その『目の前のこと』をな、見逃さずにちゃんと動けるやつってのは、この世の中にそう滅多にいないんだよ」
バロンは深く頷くと、誠二の肩をぽんと力強く叩いた。
案内されたゲスト用の客室は、掃除が行き届いており、誠二は久しぶりに屋根と壁のある清潔な部屋で、フカフカの柔らかい布団に横になった。窓を少し開けると、夜になっても賑やかさが残るリゼルダの街のざわめきと、商家の忙しない物音が遠く聞こえてくる。
(……村を出てから、まだ一週間も経っていないんだよな。なのに、すごく長い時間が流れた気がする)
盗賊との血生臭い対峙、首輪をつけられた奴隷たちの姿、活気に満ちた見たこともない異世界の街並み。
眠りに落ちる直前、誠二はベッドの中で天井を見つめながら、ぼんやりとこの数日間の出来事を振り返っていた。自分の前世の知識や、女神からもらったこの理不尽なまでの体が、これからどう関わっていくのか。
(さて……明日から、このリゼルダでどんな毎日が始まるんだか)
答えの出ない予感を胸に抱きながら、旅の疲れに包まれた誠二は、いつしか深い眠りの中へと落ちていったのだった。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




