優しいのと、甘いのは違う
動き出した荷馬車の荷台で、誠二は小さくなってゆく盗賊たちの亡骸をじっと見つめていた。
粗末な身なり、骨が浮き出た痩せた体。命を奪われた彼らの顔は、凶悪な悪党のそれというより、追い詰められて逃げ場を失った哀れな人間の顔そのものだった。
(……こういうの、前世でも似たような光景を見たことがあるな)
誠二の脳裏に、かつて日本で会社員をしていた頃の苦い記憶が蘇る。
取引先の小さな会社が倒産寸前に追い込まれ、真面目だった担当者が焦燥からなりふり構わなくなり、なりふり構わぬ嘘をついてまで崩壊を防ごうとしていた姿。
人は誰しも、極限まで追い詰められれば正常な判断力を失う。善人であっても、今日を生きるため、家族を食わせるために容易に一線を踏み越えてしまうのだ。目の前で命を落とした男たちも、きっとそうだったのだろう。
「バロンさん」
「なんだ」
「――いえ、何でもないです」
一度開いた口を、誠二はそっと閉ざした。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。この世界には、この世界の厳然たる理屈と厳しさがある。日本という安全で恵まれた環境で五十年近く生きてきた前世の価値観を、転生してわずか二年しか経っていない自分が持ち込み、批判していいものか。今の自分には、それを断じるだけの資格も経験もないような気がした。
バロンは御者台で手綱を握り直しながら、懐から出てきたわずかな銅貨や、カビの生えかけた干からびたパンの欠片を握りしめ、小さく息を吐いた。
「見ろよ、これ。盗んだ金も大した額じゃねえ。パンも食えたもんじゃねえ」
「……本当に、ただ今日を生きるためだけに襲ってきたんですね」
「だろうな。ここまで極限に飢えてから盗賊に落ちる奴は、だいたいこんなもんだ。最初から人を殺して奪うのが目的のプロの賊とはワケが違う」
「なら、なおさら……!」
「なおさら、何だ? 見逃してやればよかったってか?」
バロンの声に、誠二を責めるような色はなかった。ただ、冷徹なまでの事実を静かに並べているだけだった。
「セージ、お前の言うこともわからなくはねえ。だがな、仮にこいつらを見逃したところで、この先まともに生きていける保証なんてどこにもねえんだよ。飢えは治らねえし、一度手を染めた盗賊の群れから簡単に抜け出せるはずもねえ。だったら……次の村や弱者を襲って被害を広げる前に、ここで終わらせる方が、結果的に何人もの命を救うことになる」
「……それは、結果論じゃないですか」
「結果論だよ。だがな、俺たち商人やこの世界で生きる人間は、結果論でしか動けねえんだ。理想や慈悲だけじゃ、荷物は運べねえし、自分の身も守れねえんだよ」
誠二は言葉を失った。
前世の自分なら、教科書通りの正論や倫理観を並べて相手を論破しようとしたかもしれない。だが今は、目の前に突きつけられた「死」と「現実」の重みに、自分の持つ言葉があまりにも軽すぎて追いつかなかった。
(……じゃあ、もしバロンさんがいなくて、自分一人だけだったらどうしていた?)
胸の奥から、冷たい問いが湧き上がってきた。
自分には、圧倒的な物理耐性と怪力がある。盗賊に刺されようが切られようが痛くも痒くもない。だから自分自身は殺される心配はないだろう。だが、もし彼らが自分を無視して他の無抵抗な人々を襲おうとしたら? あるいは、自分の大切な人を脅かそうとしたら?
(……僕は、人を殺せるんだろうか)
自分の手のひらを見つめる。どんな岩をも砕く怪力を秘めた、この手。
圧倒的な力を持ちながら、相手を殺さずに制圧できるほど都合の良い技術を自分は持っていない。なら、極限の場面に直面した時、自分は正当防衛や他者を守るためという名目のもとに、生身の人間へ向けてこの拳を振り下ろし、その命を奪うことができるのだろうか。
想像しただけで、胃の腑が締め付けられるような恐怖と嫌悪感がこみ上げてきた。殺せないかもしれない。いや、殺したくない。だが、殺さなければ誰かが死ぬとしたら――。
「……お前、優しいな、セージ」
沈黙を破り、バロンがぽつりと呟いた。
「甘い、の間違いじゃないですか。青臭くて、世間知らずで……」
「優しいのと甘いのは、似てるようで違うぞ。優しさはな、誰かのために正しく動く力になる。甘さは、誰も救わずに自分だけが傷つかないように逃げて、楽になることだ。……お前はまだ、どっちにもなってねえよ。これから旅の中で、自分で決めればいいことだ」
誠二は何も言い返せず、ただ膝を抱えて荷台の隅に座り込んだ。
馬車がガタゴトと音を立てて進むにつれ、景色が通り過ぎていくが、しばらくは何も目に入らなかった。
(女神様……。不老不死や怪力なんてオマケをくれるくらいなら、こういう時にどうすればいいのか、心の強さも教えてくれたら良かったのに……)
届くはずのない問いを、心の中で誰にともなく呟いた。答えは、当然のように返ってこない。
(……いつか、この重税だとか、人が盗賊に落ちなきゃ生きていけない仕組みそのものを、何とかできたらいいんだけどな……)
何の根拠もない、ただの青臭い願望だった。だが誠二は、その小さな心の引っ掛かりと、消えそうにない自問自答を、胸の奥深くに大切にしまい込むことにした。
拙作、お読みいただきありがとうございます!
まだ試行錯誤してますので改稿する可能性があります。
よろしくお願いいたします。




