表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

94/108

第8章 第10話:全部見せなくても、隣には立てる


 翌日の放課後、澪は旧校舎の渡り廊下で、朔を待っていた。


 窓の外では、夕方の光が中庭を薄く染めている。

 木々の葉が風に揺れ、その影が床の上でゆっくり動いていた。遠くから部活の掛け声が聞こえ、誰かが廊下を走る足音が一瞬だけ響いて、すぐに遠ざかる。


 この場所には、もう何度も来ている。


 正体を明かした場所。

 怖いことを言葉にした場所。

 逃げないと決めた場所。


 だからだろうか。

 ここに立つと、胸の奥が少しだけ静かになる。


 昨日、朔は言ってくれた。


 全部言わないことと、嘘をつくことは同じじゃない。

 隠れるためじゃなく、守るための線もある。

 どこまで誰に見せるかは、澪が決めていい。


 その言葉に救われた。

 確かに救われた。


 でも、完全に迷いが消えたわけではない。


 隠さない恋を選んだはずなのに、全部を見せないでいること。

 ノアの正体を、アステリオの仲間に話していないこと。

 現実の澪と、VRのノアの間に、まだ境界線を置いていること。


 それを自分で選んでいいと言われても、胸の奥ではまだ問いが残っていた。


 隠さないって、結局どういうことなのだろう。


 窓ガラスに映る自分を見る。

 制服姿の朝倉澪。

 鞄の内側には、朔とお揃いの星のチャーム。

 外からは見えない。

 でも、確かにそこにある。


 見せていないもの。

 でも、嘘ではないもの。


 その違いを、今日はもう少しちゃんと考えたかった。


「澪」


 声がして振り向くと、朔が廊下の向こうから歩いてきていた。


 鞄を肩にかけ、少しだけ急いできたように見える。

 目が合うと、彼は小さく息を整えた。


「待たせた?」

「ううん」

「そっか」

 朔は澪の隣まで来て、窓の外へ視線を向けた。


 しばらく、二人とも黙っていた。

 沈黙は重すぎない。

 でも、何でもない沈黙でもない。


 先に口を開いたのは、澪だった。


「昨日のこと」

「うん」

「ずっと考えてた」

「うん」

「朔が言ってくれたこと、わかった気がした」

「うん」

「全部言わないことと、嘘をつくことは同じじゃないって」

「うん」

「守るための線もあるって」

 言葉にしながら、胸の奥を確かめる。


「でも」

 澪は窓の外を見たまま続けた。

「まだ、少し怖い」

「何が?」

「境界線を持つこと」

 朔は静かにこちらを見る。


「境界線」

「うん」

「自分で決めていいって言われると、少し楽になる」

「うん」

「でも同時に、怖くもなる」

「どうして」

「自分で決めた線が、逃げるための線なのか、守るための線なのか」

 澪は指先を握った。

「自分でもわからなくなりそうだから」


 朔はすぐには答えなかった。

 いつものように、ちゃんと考えてくれている沈黙だった。


 それが今はありがたかった。


「たぶん」

 朔がゆっくり言う。

「一回で完璧には決められないんじゃないか」

「……一回で?」

「うん」

「これは逃げじゃない、これは守るためって、最初から全部きれいに分けるのは難しいと思う」

「うん」

「だから、そのたびに考えればいい」

 朔は澪を見る。

「一人でじゃなくて」


 その最後の一言に、胸が少し温かくなる。


「一人でじゃなくて」

「うん」

「俺にも言って」

「うん」

「これは逃げかなって思ったら、一緒に考える」

「うん」

「これは守るためだって思えるなら、それも一緒に確認する」

 朔の声は落ち着いていた。


「全部、澪一人で判定しなくていい」

 その言葉に、澪は息を止めた。


 判定。

 その言い方が、妙にしっくりきた。


 自分はずっと、自分自身を裁こうとしていたのかもしれない。

 これは嘘。

 これは逃げ。

 これはずるい。

 これは許されない。


 そうやって、ひとつひとつに判決を下そうとしていた。


 でも恋人になるということは、全部を一人で裁き続けることではないのかもしれない。


「私」

 澪は小さく言った。

「また自分に罰を出しそうになる」

「うん」

「ノアのことで、朔を傷つけたから」

「うん」

「もう二度と隠しちゃだめだって」

「うん」

「少しでも言ってないことがあると、また同じことをしてる気がして」

 喉の奥が熱くなる。


「恋人なら」

 澪は続けた。

「全部見せなきゃいけないのかなって思った」

 その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった重さがはっきり形を持った。


 恋人なら、全部見せなきゃいけないのか。

 好きと言い合った相手には、何も隠してはいけないのか。

 そうしなければ、また不誠実になるのか。


 ずっと、それが怖かった。


 朔はしばらく黙っていた。

 それから、はっきり言った。


「全部見せてもらうために付き合ったわけじゃない」

 澪は顔を上げる。


 朔の目は、まっすぐだった。


「俺は」

 彼は続ける。

「澪の全部を、俺が知る権利をもらったと思ってるわけじゃない」

「……」

「恋人になったからって、澪の全部を開けて見せろなんて思ってない」

「うん」

「知りたいことはある」

「うん」

「でも、それは奪うものじゃなくて、澪が渡してくれるなら受け取るものだと思ってる」

 胸の奥が、じんと震えた。


「朔」

「うん」

「そんなふうに考えてたの?」

「うん」

「……ずるい」

「え」

「そういうの、ずるい」

 澪は目を伏せる。


 優しすぎる。

 でも、その優しさに甘えるのが怖くもある。

 自分で自分を許せない時、朔は簡単に許しすぎてしまうのではないかと不安になる。


 けれど、朔は続けた。


「でも、逃げてると思ったら言う」

「え」

「澪が本当に逃げてると思ったら、止める」

 その声は少しだけ強かった。


「それは言う」

「……うん」

「優しくするだけが、隣にいることじゃないと思うから」

 澪は胸が熱くなった。


 ただ甘やかすのではなく。

 ただ許すのでもなく。

 ちゃんと見て、必要なら止めると言ってくれる。


 それが、今の澪にはとても心強かった。


「じゃあ」

 澪は小さく聞く。

「隠さないって、何?」

 ずっと胸にあった問いだった。


 朔は少し考えた。

 窓の外の夕方の光が、彼の横顔を淡く照らしている。


「逃げるための嘘をつかないこと、かな」

 静かな声だった。


「逃げるための嘘」

「うん」

「怖いからって、相手を遠ざけるために嘘をつくとか」

「うん」

「自分だけが楽になるために、相手に違うものを見せるとか」

「うん」

「本当は話すべきことを、向き合いたくないからごまかすとか」

 朔は澪を見る。


「それは、隠さないって決めたなら、やめたい」

「うん」

「でも」

 朔の声が少しやわらかくなる。

「まだ話せないことを、ちゃんとまだ話せないって言うのは、嘘じゃないと思う」

 澪は息を飲んだ。


「まだ話せないって言う」

「うん」

「黙ってごまかすんじゃなくて」

「うん」

「今はここまでって、自分で線を引く」

「うん」

「それは逃げじゃなくて、誠実な線の引き方なんじゃないかな」

 誠実な線。


 その言葉が、胸の奥に深く落ちた。


 隠さない。

 それは、すべてを無防備に晒すことではない。

 それは、相手を信じて、今言えることと言えないことを自分で選ぶこと。

 そして、逃げるための嘘で相手を遠ざけないこと。


 少しだけ、見えてきた気がした。


「じゃあ」

 澪はゆっくり言う。

「セレスたちに、ノアの正体をまだ話せないのは」

「うん」

「嘘じゃない?」

「俺はそう思う」

「でも、関係が変わったことは話した」

「うん」

「言える範囲で」

「うん」

「それで、今はいい?」

 朔は静かに頷いた。


「今は、それでいい」

 その言葉に、澪の胸から少しだけ力が抜けた。


 完全に解決したわけではない。

 でも、今はそれでいいと言ってもらえたことが、こんなにもありがたい。


「いつか」

 澪は窓の外を見る。

「話したいと思う日が来るのかな」

「来るかもしれない」

「来ないかもしれない」

「それでもいい」

「いいの?」

「うん」

「セレスたちを信じてないみたいにならない?」

「信じることと、全部明かすことは同じじゃない」

 朔はそう言った。


「信じてるからこそ、話せることもある」

「うん」

「でも、大事だからこそ、守ることもある」

「うん」

「そこは矛盾しないと思う」

 澪は静かに頷いた。


 信じることと、全部明かすことは同じではない。

 その言葉も、きっとこれから何度も思い出すことになる。


「私」

 澪は胸に手を当てた。

「隠さないって、もっと強くならなきゃいけないことだと思ってた」

「強く?」

「うん」

「何を言われても平気で、全部見せられて、堂々として」

「うん」

「そうなれない自分は、まだ逃げてるんだと思ってた」

 朔は静かに聞いている。


「でも」

 澪は続ける。

「怖くてもいいのかな」

「いい」

「全部見せられなくても?」

「いい」

「今はここまでって言っても?」

「いい」

 迷いなく返ってくる言葉に、目の奥が熱くなる。


「でも、嘘で逃げない」

 澪は自分で言った。

「うん」

「怖いことは、怖いって言う」

「うん」

「まだ話せないことは、まだ話せないって言う」

「うん」

「隠れるためじゃなく、大事にするために線を引く」

 朔は頷いた。


「それが、今の俺たちの“隠さない”でいいんじゃないか」

 その言葉に、澪は小さく息を吐いた。


 胸の奥にずっとあった硬い結び目が、少しだけほどけた気がした。


「……うん」

「それがいい」

 澪は頷いた。


 夕方の光が、渡り廊下に長く伸びている。

 窓の外の風が、木々を揺らしていた。


 少し前まで、ここは正体を明かした怖い場所だった。

 今は、少しずつ自分の輪郭を取り戻す場所にもなっている。


「朔」

「何」

「全部見せなくても、隣には立てる?」

 不安が、最後にもう一度顔を出した。


 朔は少しだけ目を細めた。

 そして、澪のほうへ半歩近づく。


「立てる」

 短く、はっきり。


「俺も、澪に全部を完璧に見せられてるわけじゃない」

「え?」

「怖いこともある」

「うん」

「言葉にするのが遅いこともある」

「うん」

「澪に嫌われたくなくて、言い方を選びすぎることもある」

 意外な告白だった。


 澪は目を瞬かせる。


「朔も?」

「ある」

「……そっか」

「だから、俺も練習する」

「練習?」

「逃げるために黙らない練習」

 朔は少しだけ苦く笑った。

「澪だけじゃない」

 その言葉で、胸がまた熱くなる。


 自分だけが不完全なのではない。

 朔もまた、恋人として隣に立つために練習している。

 怖いことを言う練習。

 黙らない練習。

 相手を信じる練習。


「じゃあ」

 澪は少しだけ笑った。

「二人で練習?」

「そうだな」

「恋人の練習」

「言い方」

「変?」

「いや」

 朔は少し照れたように目を逸らす。

「ちょっと来る」

「仕返し」

「最近、仕返し増えたな」

「朔がずっとずるいから」

「それは否定できない」

 二人で少し笑った。


 笑える。

 それだけで、少し救われた。


 渡り廊下を出て、二人は校門へ向かった。

 教室での視線はまだ少し怖い。

 でも、昨日より少しだけ息がしやすかった。


 校門を出て、住宅街へ続く道に入る。

 人通りが減ったところで、朔が手を差し出した。


「今は?」

「うん」

 澪はその手を取った。


 繋いだ手は、いつものようにあたたかい。

 でも今日は、その温度に少し違う意味を感じた。


 全部見せていない。

 全部知っているわけでもない。

 それでも、こうして隣に立てる。


 手を繋いで歩ける。


「朔」

「何」

「私、まだたぶん考えすぎる」

「うん」

「また、これは嘘かなとか、逃げかなとか思う」

「うん」

「その時は」

「言って」

「うん」

「俺も言う」

「うん」

「一緒に考える」

 何度も繰り返した約束。

 でも、繰り返すたびに少しずつ強くなる。


「あと」

 朔が続ける。

「今度、アステリオでイベントあるだろ」

「あ、大型イベント?」

「うん」

「五人で参加するやつ?」

「そう」

 期間限定の大型イベント。

 ペアギミックや信頼度判定があると、ピピが騒いでいたやつだ。


「それ、一緒に出よう」

「うん」

「ノアとアークとして」

「うん」

「セレスたちとも」

「うん」

「関係を話したあとだから、たぶん少し照れるけど」

「かなり照れると思う」

「でも」

 朔は繋いだ手に少しだけ力を込めた。

「今の俺たちで、ちゃんと行きたい」

 その言葉に、胸が温かくなる。


「私も」

「うん」

「ノアとして、ちゃんと行きたい」

「うん」

「全部見せてなくても」

「うん」

「ちゃんと隣に立ちたい」

 言えた。


 それは今日、自分が一番欲しかった言葉だったのかもしれない。


 朔は静かに頷いた。


「立てる」

「うん」

「一緒に」

 短い言葉。

 でも、それで十分だった。


 家の前に着く頃には、空はもう薄暗かった。

 街灯が灯り、住宅街に夜の気配が降りている。


 二人は玄関前で立ち止まった。

 手を離す前に、澪は朔を見る。


「今日は、話せてよかった」

「俺も」

「少し、息ができるようになった」

「そっか」

「うん」

「なら、よかった」

 朔はやわらかく笑う。


「また明日」

「うん」

「また明日」

 手を離す。

 指先に残る温度が、今日の答えのように思えた。


 自室へ戻ると、澪は鞄を机の上に置いた。

 内側の星のチャームに触れる。


 外には見えない。

 でも、嘘ではない。

 隠れるためだけではない。

 今は、大事にするためにここにある。


 澪はスマート端末を開いた。

 朔からのメッセージが届く。


『大型イベント、予定空けといて』

『ノアとアークで行こう』


 澪は自然に笑った。


『うん』

『今の私たちで行こう』


 送信してから、星のチャームをもう一度指先で揺らす。


 全部見せなくても、隣には立てる。

 その言葉を、今日は少しだけ信じられた。


 澪は静かに息を吐いた。


 逃げるための嘘をつかない。

 怖いことを隠さない。

 まだ話せないことは、まだ話せないと言う。

 守るための線を、自分で選ぶ。


 それが今の自分たちの、隠さない恋なのだと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ