表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/108

第8章 第6話:噂になる恋は、少し苦しい


 翌日の教室は、いつもより少しだけざわついているように感じた。


 実際には、何も変わっていないのかもしれない。

 朝の挨拶。

 机を引く音。

 端末を確認する音。

 誰かが小テストの範囲を確認していて、別の誰かが昨日の動画の話で笑っている。


 いつもの朝。

 いつもの教室。


 けれど澪の耳には、そのざわめきの中に、自分と朔の名前が混じっている気がしてならなかった。


 鞄の内側には、星のチャームがついている。

 昨日、ひなに気づかれた。

 朔が「お揃いだよ」と言ってくれた。

 澪も、それを否定しなかった。


 それは嬉しかった。

 怖かったけれど、嬉しかった。


 でも、今日になってから、その小さな一歩が思っていたよりも外へ波紋を広げていることに気づき始めていた。


「ねえ、昨日見た?」

「神谷と朝倉のやつ?」

「やっぱり付き合ってるのかな」

「お揃いって言ってなかった?」


 聞こえたのは、たぶん本当に小さな声だった。

 悪意があるわけではない。

 好奇心。

 驚き。

 少しの面白がり。


 それだけ。


 それだけのはずなのに、澪の胸はぎゅっと縮んだ。


 手元のノートを開く。

 まだ授業は始まっていない。

 けれど、何かをしていないと落ち着かなかった。


「朝倉」


 後ろから夏希の声がした。

 澪は肩を揺らさないように意識しながら振り向く。


「……何」

「聞こえてる?」

「何が」

「今の」

 夏希は声を落とす。

 いつもの茶化す顔ではなかった。


 澪は少しだけ視線を伏せた。


「……聞こえてる」

「そっか」

「悪いこと言われてるわけじゃないのは、わかってる」

「うん」

「でも」

 言葉が喉で止まる。


 怖い。

 その一言が、簡単には出てこなかった。


 夏希は急かさずに待ってくれる。

 その沈黙に少し救われて、澪は小さく息を吐いた。


「見られてる感じがする」

「うん」

「自分たちのことなのに、自分たちの外で勝手に動いてる感じがする」

「うん」

「それが、ちょっと苦しい」

 夏希は静かに頷いた。


「噂って、そういうものだからね」

「うん」

「悪意がなくても、本人にはきつい時がある」

「……うん」

「神谷には言った?」

「まだ」

「言いな」

 短い言葉だった。


 澪は少しだけ顔を上げる。


「でも」

「でもじゃない」

 夏希は声を低くする。

「隠さないって決めたんでしょ」

「うん」

「だったら、怖いことも隠さない」

 その言葉に、胸が少し痛んだ。


 昨日、朔と話したことと同じだった。

 隠さないとは、ただ周囲へ見せることではない。

 怖いことを、互いに隠さないこと。


「……言う」

「うん」

「放課後に」

「それがいい」

 夏希は頷いた。

 それから、少しだけいつもの顔に戻る。


「まあ、朝倉と神谷は隠すの下手だから、遅かれ早かれこうなってた」

「夏希」

「事実」

「今それ言う?」

「少しでも笑わせようと思って」

「笑えない」

「じゃあ失敗」

 夏希は肩をすくめた。

 でも、その不器用な気遣いがありがたかった。


 前方の席にいる朔が、こちらを一度振り返った。

 目が合う。


 朔はすぐに何かを察したような顔をした。

 澪がいつも通りではないことに気づいたのだと思う。


 大丈夫、と目だけで返そうとした。

 でも、うまくできなかった。


 朔の眉が少しだけ寄る。

 それでも、ホームルーム開始のチャイムが鳴って、視線はそこで切れた。


 一限目。

 二限目。

 授業は進んでいく。


 けれど澪の集中は、ほとんど続かなかった。


 黒板に書かれる文字をノートに写しながら、頭の端ではずっと教室のざわめきを拾っている。

 誰かが笑うたび、自分たちの話ではないかと思ってしまう。

 誰かが振り返るたび、見られている気がしてしまう。


 そんな自分が嫌だった。


 隠したくないと決めたのに。

 朔がちゃんとお揃いだと言ってくれたのに。

 自分も、怖いけれど進みたいと思ったのに。


 どうしてこんなに揺れてしまうのだろう。


 昼休みになる頃には、澪は少し疲れていた。

 弁当箱を開けても、あまり食欲が湧かない。


「朝倉先輩」


 ひなが近づいてきた。

 昨日のことを思い出して、澪は少し身構える。


 ひなはそれに気づいたのか、いつもより少しだけ声を落とした。


「大丈夫ですか?」

「……え」

「今日、ちょっと顔が硬いです」

「そんなに?」

「はい」

 ひなは真剣な顔で頷く。


「昨日、わたしが言ったからですか」

 その言葉に、澪は慌てて首を振った。


「違う」

「でも」

「ひなのせいじゃない」

 それだけは、はっきり言いたかった。

「昨日、聞かれたのはびっくりしたけど、嫌だったわけじゃない」

「……ほんとですか」

「うん」

「でも、噂になってますよね」

 ひなは少しだけ目を伏せた。


 やっぱり、ひなにも聞こえているのだ。


「ごめんなさい」

「だから、ひなのせいじゃない」

「でも」

「ひな」

 澪は静かに呼んだ。

「私が、まだ慣れてないだけ」

「……」

「見られるのが、思ったより怖いだけ」

 正直に言うと、ひなは少しだけ唇を結んだ。


「朝倉先輩」

「うん」

「怖いなら、ちゃんと神谷先輩に言ってください」

 また、同じことを言われた。


 夏希にも。

 そして今、ひなにも。


「言う」

「ほんとですか」

「うん」

「一人で抱え込まないでください」

「うん」

「幸せになる約束、忘れてませんよね」

 その言葉に、胸が少し熱くなる。


「忘れてない」

「ならいいです」

 ひなは小さく笑った。

 でも、その笑みは少し寂しそうでもあった。


「わたし、噂聞くのはちょっと複雑です」

「……うん」

「でも、朝倉先輩が苦しそうなのは嫌です」

「うん」

「だから、ちゃんと話してください」

「ありがとう」

「お礼は受け取ります」

 ひなはそう言って、軽く手を振って戻っていった。


 澪は弁当箱の蓋を見つめた。


 みんなが、言ってくれる。

 一人で抱えないで、と。

 朔に言いな、と。


 それだけ、自分は抱え込みそうに見えるのだろう。


 午後の授業が終わる頃には、噂そのものは大きくなっているわけではなかった。

 けれど、小さな視線は増えていた。


 悪意はない。

 たぶん、からかうつもりもない。

 でも、ちらりとこちらを見る目。

 朔と自分を交互に見る目。

 それが積み重なると、思っていた以上に胸が重くなる。


 放課後、教室にざわめきが広がる。


 澪は帰り支度をしながら、朔を見る。

 朔もこちらを見ていた。


 目が合うと、朔はすぐに鞄を持って近づいてきた。


「澪」

「うん」

「少し話せる?」

 先に言われた。


 澪は小さく頷く。


「私も、話したい」

「じゃあ」

 朔は教室の外を示した。

「行こう」


 二人は少しだけ視線を集めながら教室を出た。

 その視線を背中に感じるだけで、また胸がざわつく。


 でも、今は朔が隣にいた。


 向かったのは、旧校舎へ続く渡り廊下だった。

 人が少なく、夕方の光が床に長く伸びている。

 第6章で正体を明かした場所。

 何度も大事な話をしてきた場所。


 そこに立つと、少しだけ背筋が伸びる気がした。


 朔は窓際で立ち止まり、澪を見た。


「今日、ずっと変だった」

「……うん」

「噂、聞こえてた?」

「聞こえてた」

「そっか」

 朔は小さく息を吐いた。


「ごめん」

 朔が言った。


 澪は驚いて顔を上げる。


「何で朔が謝るの」

「昨日、俺が言ったから」

「お揃いだって?」

「うん」

「それは」

 澪は首を振る。

「嬉しかった」

「でも、今日つらそうだった」

「嬉しかったのも、本当」

 澪はゆっくり言う。

「怖くなったのも、本当」

 朔は黙って聞いている。


 澪は窓の外を見る。

 中庭の木々が、夕方の風に揺れていた。


「私」

 澪は口を開いた。

「隠れていた頃より、見られる今のほうが怖い時がある」

 言葉にした瞬間、胸が少し震えた。


「ノアとして隠れてた時は」

「うん」

「苦しかったけど、自分で隠してるってわかってた」

「うん」

「でも今は、隠さないって決めたのに」

「うん」

「人の目に触れると、急に怖くなる」

 朔は頷いた。


「噂になると」

 澪は続ける。

「自分たちのことなのに、自分たちじゃない言葉で広がっていく感じがする」

「うん」

「それが、少し苦しい」

 朔はしばらく黙っていた。


 その沈黙は、考えるためのものだった。

 澪は急かさず待った。


「俺も」

 やがて朔が言った。

「今日、聞こえた」

「うん」

「悪い感じじゃなかったけど」

「うん」

「でも、嫌だった」

「朔も?」

「うん」

「平気そうだった」

「平気じゃない」

 朔は少しだけ苦く笑う。

「ただ、澪がもっとつらそうだったから」

「……」

「俺まで慌てたら、余計にしんどいかと思った」

 その言葉に、胸が小さく痛む。


「朔も、怖かったんだ」

「怖かった」

「言ってくれればよかった」

「澪も」

「……うん」

 二人は少しだけ笑った。

 苦笑に近い笑いだった。


 お互い、相手を気遣って、自分の怖さを少し隠していた。

 それが優しさでもあり、少し危うさでもある。


「澪」

「うん」

「一人で見られるな」

 低い声だった。


 澪は顔を上げる。


「一人で?」

「うん」

「噂になってるって感じる時」

「うん」

「視線が怖い時」

「うん」

「一人で受けるな」

 朔はまっすぐ言った。

「俺も隣にいる」

 胸の奥が、ぎゅっと熱くなる。


「……隣にいて」

 声が小さくなる。

 でも、ちゃんと届くように言った。


 朔は頷いた。


「いる」

「うん」

「俺も怖い時は言う」

「うん」

「澪だけに背負わせない」

 その言葉で、ようやく呼吸が深くなった。


 見られることは怖い。

 噂になるのも苦しい。

 でも、一人で立たなくていい。


 それだけで、少しだけ世界が違って見える。


「でも」

 朔が続ける。

「このまま、何となく噂だけ広がるのは嫌だ」

「うん」

「だから、明日」

「明日?」

「教室で、普通に一緒に帰ろうって言う」

 澪の心臓が跳ねる。


「人前で?」

「うん」

「わざと?」

「わざとっていうか」

 朔は少しだけ言葉を探す。

「避けない」

 その言葉に、胸が揺れた。


 避けない。

 隠さない。

 逃げない。


「付き合ってるって大声で言うわけじゃない」

「うん」

「でも、聞かれたらごまかさない」

「うん」

「少なくとも、澪と一緒に帰ることを、こそこそしない」

 朔は静かに言った。


「それでいい?」

 ちゃんと聞いてくれる。


 澪は少しだけ怖かった。

 明日、教室で朔が声をかける。

 周囲が見る。

 たぶん、また噂になる。


 怖い。

 でも、それを避け続けるのも違う。


 澪は小さく息を吸った。


「……うん」

「無理してない?」

「少ししてる」

「じゃあ、やめる?」

「やめたくはない」

 澪は朔を見る。

「私も、避けたくない」

 朔の表情が少しだけやわらぐ。


「わかった」

「うん」

「じゃあ明日」

「うん」

「一緒に帰ろう」

 その約束が、胸の中で少し重く、でも確かな形を持った。


 渡り廊下には、夕方の光が差していた。

 少し前、ここで正体を明かすことに震えていた自分がいた。

 今は、別の怖さに震えている。


 でも、あの時も朔は逃げなかった。

 今も、隣に立とうとしてくれている。


「朔」

「何」

「ありがとう」

「うん」

「それと」

「うん」

「私も、朔が怖い時は隣にいる」

 朔の目が少しだけ揺れた。


「……うん」

「朔だけが支えるんじゃなくて」

「うん」

「私も、ちゃんと隣にいたい」

 言うと、朔は少しだけ困ったように笑った。


「それ、かなり嬉しい」

「本当?」

「本当」

「じゃあ、よかった」

 少しだけ、空気がやわらぐ。


 帰り道、二人は学校から少し離れてから手を繋いだ。

 今日は、その温度がいつもより心強かった。


 噂になる恋は、少し苦しい。

 でも、苦しいからといって、なかったことにはしたくない。


 家の前で別れる時、朔が言った。


「明日、声かける」

「うん」

「教室で」

「うん」

「一緒に帰ろうって」

「……うん」

「怖くなったら?」

「言う」

「俺も言う」

 澪は頷いた。


「また明日」

「うん」

「また明日」


 家に入り、自室へ戻ると、澪は鞄の内側の星のチャームに触れた。


 小さな星が、指先で揺れる。


 昨日は嬉しさの象徴だった。

 今日は少し怖さも混じった。

 でも、それでも大事なものに変わりはない。


 澪はスマート端末を開き、朔とのメッセージ画面を見た。

 少し迷ってから、短く打つ。


『明日、怖いけど逃げない』


 すぐに既読がついた。


『俺も』

『隣にいる』


 その文字を見て、澪はゆっくり息を吐いた。


 見られることは、まだ怖い。

 噂になることも、まだ苦しい。


 でも、隣にいてくれる人がいる。

 そして自分も、その隣に立ちたいと思っている。


 澪は星のチャームをそっと握り、明日の教室を思い浮かべた。

 怖さは消えない。

 それでも、逃げないと決めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ