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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第8章 第5話:隠せないものが、また一つ増えた


 月曜日の朝、澪は鞄の内側についた星のチャームを、もう三度目に確認していた。


 青いガラスが、ファスナーの金具に小さく揺れている。

 外からは見えない。

 鞄を開けた時に、持ち主だけが気づくくらいの位置。


 昨日、朔と買ったもの。


 星と月。

 ノアとアーク。

 澪と朔。


 そう思った瞬間、また胸の奥がふわっと熱くなる。


「……だめだ」


 澪は鞄を閉じた。

 これ以上見ていたら、学校へ行く前から顔が戻らなくなる。


 初デートは、思っていたよりずっと忙しい一日だった。

 楽しかった。

 嬉しかった。

 何度も照れた。

 でも、途中で怖くもなった。


 人に見られること。

 噂になること。

 自分たちの言葉ではない形で、関係が広がっていくこと。


 その不安を、朔へ話せた。

 朔も一緒に考えようと言ってくれた。

 隠すのではなく、準備しようと。


 だから今日、澪は星のチャームを持っていくことにした。


 外側には、まだつけられない。

 でも、完全に家に置いていくのも違う気がした。

 これは昨日の記念で、二人だけが知っている小さなお揃いだ。


 隠すためではなく、大事にするために内側へつける。


 そう決めたはずなのに、やっぱり少し緊張している。


 家を出て、いつもの曲がり角へ向かう。

 朝の空気は少し涼しくて、昨日の休日とは違う学校へ向かう匂いがした。

 曲がり角の向こうに、朔がいる。


 そう思うだけで、足元が少しだけ軽くなる。


 角を曲がると、朔はいつもの場所に立っていた。


 制服姿。

 片手に鞄。

 昨日の私服とは違うのに、目が合った瞬間、昨日一日が一気によみがえる。


「おはよ」

 朔が言う。

「おはよう」

 澪も返す。


 その挨拶は、もう前よりずっと自然だった。

 けれど、胸の奥はまだ少し騒がしい。


 朔の鞄へ、つい視線が向いた。


「……つけてる?」

 澪が小さく聞くと、朔は少しだけ目を逸らした。


「内側に」

「見せて」

「ここで?」

「少しだけ」

 朔は周囲を軽く確認してから、鞄のファスナーを少し開けた。

 内ポケットの金具に、小さな月のチャームがついている。


 銀色の月。

 朝の光を受けて、控えめに光った。


 それを見た瞬間、澪の胸が温かくなる。


「……ついてる」

「つけるって言っただろ」

「うん」

「澪は?」

「私も」

 澪も鞄を少し開けて、星のチャームを見せた。


 青い星と、銀の月。

 ほんの一瞬だけ、二人の鞄の内側で並んだ。


 それだけなのに、すごく特別なことをしている気がした。


「外から見えないけど」

 朔が言う。

「うん」

「でも、持ってる」

「うん」

「今は、それでいいな」

 その言葉に、澪は頷いた。


「うん」

「今は、それでいい」

 二人で歩き出す。


 朝の通学路は、いつも通り生徒の姿が増えていく。

 手は繋がない。

 でも、隣を歩く距離はもう自然だった。

 それだけで、少しずつ変わっているのがわかる。


 校門が近づくと、澪は少しだけ緊張した。

 学校へ入れば、昨日のデートの余韻を胸にしまったまま、普段通りの自分にならなければいけない。


 でも、鞄の内側には星がある。

 朔の鞄には月がある。


 誰にも見えない小さなお揃いが、二人の間にある。


 それだけで、今日の学校は昨日までと少し違っていた。


 教室に入ると、いつものざわめきが広がっていた。

 机を引く音。

 朝の挨拶。

 宿題を写させてほしいと頼む声。

 誰かの笑い声。


 澪が席に着くと、夏希がすぐに近づいてきた。


「朝倉」

「……何」

「昨日どうだった」

「朝一番でそれ?」

「当たり前でしょ。初デート翌日だよ」

「声」

「小声」

「もっと小さく」

 夏希はにやにやしながら、机に肘をついた。


「で?」

「楽しかった」

「お」

「怖いこともあった」

「うん」

「でも、楽しかった」

 澪がそう言うと、夏希の表情が少しだけやわらいだ。


「そっか」

「うん」

「それならよかった」

 その優しい声に、澪は少しだけ胸が温かくなる。


 けれど夏希の目はすぐに鋭くなった。


「で、何か買った?」

 澪の肩が跳ねる。


「……何で」

「顔」

「また顔」

「あと、鞄を妙に大事そうに置いた」

「そんなところ見ないで」

「見るでしょ」

 夏希はちらりと澪の鞄を見る。

「お揃い?」

「……」

「あ、当たり」

「まだ何も言ってない」

「黙った時点で答え」

 澪は反論できず、鞄を少し引き寄せた。


「外にはつけてない」

「内側?」

「……うん」

「かわいいことしてる」

「言わないで」

「神谷も?」

「たぶん」

「たぶんじゃなくて確認済みの顔してる」

「夏希」

「はいはい」

 夏希は楽しそうに笑った。


 その時だった。


「朝倉先輩」


 背後から明るい声が飛んできた。

 ひなだった。


 澪は少しだけ身構える。

 ひなは昨日より少し元気そうに見えた。

 けれど、その明るさの奥にまだ痛みが残っていることも、澪にはわかっている。


「おはよう、ひな」

「おはようございます」

 ひなは元気に返す。

 そして、澪の鞄を見た。


「先輩、今日、鞄に何かついてます?」

 澪の心臓が跳ねた。


「え」

「何か、さっき開けた時に青いの見えた気がしました」

 鋭い。

 あまりにも鋭い。


 外からは見えない位置にしたのに、朝の一瞬で気づかれていたらしい。


 夏希が後ろで肩を震わせている。

 笑っている。

 絶対に笑っている。


「気のせいじゃない?」

 澪は言った。

 自分でも弱いと思った。


 ひなはじっと澪を見る。

 それから、少しだけ目を細める。


「神谷先輩の鞄にも、何か銀色のがついてませんでした?」

 完全に見られている。


 澪は何も言えなくなった。


 前方の席で朔がこちらを見る。

 たぶん、自分の名前が出たからだ。

 目が合った。

 朔も、何かを察したように固まる。


 ひなは澪と朔を交互に見た。


「……もしかして」

「ひな」

「それ、神谷先輩のとお揃いですか?」

 言われた瞬間、教室の空気が少しだけ揺れた気がした。


 声は大きくなかった。

 でも近くにいた数人は聞いていたかもしれない。


 澪の頬が熱くなる。

 否定しなければ。

 いや、否定するのは違う。

 でも、ここで正直に言うのも怖い。


「……似てるだけ」

 出てきた言葉は、それだった。


 すぐに、自分でも弱すぎると思った。


 夏希が後ろから小さく言う。


「朝倉、今の言い訳は弱い」

「夏希」

「弱すぎる」

「言わないで」

 ひなも少しだけ口を尖らせる。


「似てるだけ、ですか」

「……」

「本当に?」

「……」

 澪は答えられなかった。


 その時、前方から朔が立ち上がった。


 澪の胸が跳ねる。


 朔は少しだけこちらへ歩いてきて、ひなの前で足を止めた。

 周囲の視線が少し集まる。


「お揃い、だよ」

 朔は言った。


 静かな声だった。

 大きくはない。

 でも、はっきりと。


 澪は息を止めた。


 朔は澪を見る。

 その目は、無理に堂々としているわけではなかった。

 少し照れていて、少し緊張している。

 でも逃げていない。


「昨日、一緒に買った」

 続けて、朔は言う。


 教室の一部が、ほんの少しざわついた。


 ひなが目を丸くする。

 夏希は、にやにやしながらもどこか安心したような顔をしていた。


 澪の心臓はうるさい。

 でも、不思議と嫌ではなかった。


 朔が言ってくれた。

 お揃いだと。

 自分たちの言葉で、ちゃんと。


 ひなは数秒黙っていた。

 それから、少しだけ頬を膨らませる。


「やっぱり」

「……うん」

 澪は小さく頷いた。

「お揃い」

 言えた。


 たったそれだけなのに、胸の奥で何かが震えた。


 ひなは澪を見て、朔を見て、それから少しだけ笑った。


「いいですね」

 その声は、明るかった。

 でも、少しだけ切なかった。


 澪の胸が痛む。

 けれど、ひなはすぐにいつものような調子を取り戻した。


「でも、隠すならもうちょっと上手に隠してください」

「……隠してたわけじゃ」

「内側につけてる時点で半分隠してます」

「それは」

「でも」

 ひなは少しだけ声をやわらげる。

「大事にしてる感じがするので、いいと思います」

 その言葉に、澪は胸があたたかくなった。


「ありがとう」

「お礼言われることじゃないです」

「でも」

「じゃあ受け取ります」

 ひなは少しだけ笑った。


 夏希が横から口を挟む。


「で、朝倉」

「何」

「星?」

「……」

「神谷は月?」

「何でわかるの」

「顔」

「もう顔って言わないで」

 夏希は楽しそうに笑っている。


 朔は少しだけ居心地悪そうにしていた。

 けれど、逃げることはしなかった。


 その時、教室の入口近くから凛花の視線を感じた。


 澪はそちらを見る。

 凛花は大きく反応しなかった。

 ただ、澪と朔、そして鞄のあたりを一度だけ見て、静かに目を伏せた。


 それから、ほんの少しだけ頷いた。


 祝福ではない。

 まだ痛みはある。

 けれど、認めるという意思のように見えた。


 胸が締めつけられる。


 由良も、少し離れた席からこちらを見ていた。

 目が合うと、彼女はやわらかく微笑んだ。

 その微笑みには、寂しさと優しさが混じっている。


 澪は小さく頭を下げた。


 教室のざわめきが少しずつ戻っていく。

 大きな騒ぎにはならなかった。

 でも、何人かの視線がこちらへ向いたのは確かだった。


 澪は席に座り直し、胸に手を当てる。


 お揃いだと、言った。

 朔が先に。

 自分も、認めた。


 隠せないものが、また一つ増えた。


 でも、それは悪いことではない気がした。


 ホームルームが始まり、授業が進んでも、澪は何度か鞄の内側を意識した。

 星のチャームは見えない。

 でも、そこにある。


 朔の鞄にも、月がある。


 その事実が、朝の小さな緊張のあと、少しずつ心を落ち着かせてくれた。


 昼休み、夏希が澪の席にやってきた。


「朝倉」

「何」

「神谷、ちゃんと言ったね」

「……うん」

「お揃いだよって」

「うん」

 思い出すだけで顔が熱くなる。


 夏希は少しだけ真面目な顔になる。


「怖かった?」

「怖かった」

「でも?」

「嬉しかった」

 澪は正直に言った。

「私がごまかしそうになった時、朔が言ってくれた」

「うん」

「隠したくないって言ってたこと、ちゃんと覚えててくれたんだと思った」

「それは大きいね」

「うん」

 夏希は頷く。


「ただ、これで少しずつ見られるよ」

「……うん」

「噂も出るかも」

「うん」

「大丈夫?」

 澪はすぐには答えなかった。


 大丈夫かと聞かれたら、完全には大丈夫ではない。

 怖い。

 見られるのは、やっぱり怖い。


 でも。


「一人じゃないから」

 澪は言った。

「大丈夫にしていけると思う」

 夏希は少しだけ目を細めた。


「いい答え」

「そう?」

「うん」

「夏希のおかげでもある」

「またそういうことを急に言う」

「本当だから」

「……受け取る」

 夏希は少し照れたように目を逸らした。


 午後の授業が終わる頃には、教室の空気は少しだけ変わっていた。

 はっきり何かを言われたわけではない。

 でも、澪と朔を見る視線がいつもより増えた気がする。


 それは被害妄想かもしれない。

 でも、完全に気のせいとも思えなかった。


 放課後、澪が帰り支度をしていると、朔が席へ近づいてきた。


「帰る?」

 いつもより少しだけはっきりした声だった。


 近くにいた数人が、ちらっとこちらを見る。


 澪の胸が跳ねる。

 けれど、朔は逃げなかった。

 朝、お揃いだと言った時と同じように、少し緊張しながらも隣に立っている。


 澪は鞄を持って立ち上がった。


「うん」

「帰る」

 それだけで、周囲の視線がまた少し動く。


 夏希が後ろで小さく笑った。


「行ってきな」

 その声に、澪は少しだけ勇気をもらった。


 教室を出る時、ひなが廊下の手前で軽く手を振った。

 凛花は席で静かにノートをしまっていた。

 由良は窓際で、やさしく頷いてくれた。


 全部が胸に残る。


 校門を出て、住宅街へ向かう道に入るまで、二人は手を繋がなかった。

 でも、隣を歩いていた。

 並んで、はっきりと。


 人が少なくなったところで、朔がそっと手を差し出した。


「今は?」

 いつもの確認。


 澪はその手を見て、少しだけ笑った。


「うん」


 手を取る。

 指が自然に絡む。


「朝」

 澪が言う。

「ありがとう」

「何が」

「お揃いだよって言ってくれたこと」

「ああ」

「怖かったけど、嬉しかった」

「俺も怖かった」

「朔も?」

「うん」

「でも言ってくれた」

「澪が、似てるだけって言ったから」

「……弱かった?」

「弱かった」

「夏希にも言われた」

「だろうな」

 二人で少し笑う。


 笑えることが、嬉しかった。


「でも」

 朔は続ける。

「嘘はつきたくなかった」

「うん」

「内側につけてるけど、お揃いなのは本当だから」

「うん」

「だから言った」

 澪は繋いだ手に少しだけ力を込める。


「私も」

「うん」

「次は、自分で言えるようになりたい」

「無理しなくていい」

「うん」

「でも、言いたいなら」

「うん」

「一緒に言う」

 その言葉に、胸があたたかくなる。


「ありがとう」

「うん」


 夕方の道を、二人は手を繋いで歩いた。

 鞄の内側には、星と月。

 外からは見えない。

 でも、二人にはわかっている。


 隠せないものが、また一つ増えた。

 それは少し怖くて、少し照れくさくて、でも確かに嬉しいものだった。


 家の前で別れる時、朔が言った。


「明日も、つけてくる?」

「うん」

「内側?」

「まだ内側」

「俺も」

「いつか外側?」

「いつか」

 その“いつか”が、今は少し楽しみに思えた。


「また明日」

 朔が言う。

「うん」

「また明日」


 家に入って、自室へ戻る。

 澪は鞄を机の上に置き、内側の星のチャームに触れた。


 小さな青い星が、指先で揺れる。


 今日、それは少しだけ外の世界に知られた。

 完全にではない。

 でも、たしかに一歩進んだ。


 怖かった。

 でも、朔が隣にいた。

 ひなが気づいて、夏希が笑って、凛花と由良が静かに受け止めてくれた。


 澪は星のチャームを見つめながら、小さく息を吐いた。


 隠せないものが増えていくたびに、怖さも増える。

 でも同時に、隠れなくていい場所も少しずつ増えているのだと思った。

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