表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/108

第8章 第1話:彼氏として迎えに来る朝


 朝から、クローゼットの前で澪は固まっていた。


 ベッドの上には、すでに三組分の服が並んでいる。

 白いブラウスと淡い水色のスカート。

 ゆるいニットと細身のパンツ。

 少しだけ大人っぽいワンピース。


 どれも悪くない。

 悪くないはずなのに、どれを着ても決定打がない。


「……初デートって、何着ればいいの」


 小さく呟いて、澪はスマート端末を見た。


 画面には、昨夜の夏希とのメッセージが残っている。


『気合い入れすぎると自爆する』

『でも普段通りすぎると後で自分が落ち込む』

『結論:普段より少し可愛い、くらいにしな』


 普段より少し可愛い。


 その“少し”が難しい。


 澪はベッドの上の服を見比べる。

 ワンピースは可愛い。

 でも、気合いを入れすぎている気がする。

 パンツは動きやすい。

 でも、いつもの外出とあまり変わらない。

 ブラウスとスカートは、その中間くらい。


「……これ、かな」


 白いブラウスを手に取る。

 袖に控えめなレースがあって、スカートは淡い水色。

 派手ではない。

 でも、いつもの澪よりは少しだけやわらかい。


 鏡の前で合わせてみる。

 顔が熱い。


 これを朔が見る。

 彼氏として迎えに来る朔が。


「……無理」


 思わず服を抱えたまましゃがみ込みそうになる。


 でも、時間は待ってくれない。

 約束は十時。

 朔は家まで迎えに来ると言った。


『日曜、十時に迎えに行く』

『彼氏として』


 そのメッセージを思い出しただけで、胸が跳ねる。


 彼氏として迎えに来る。

 彼女として待っている。


 昨日、自分でそう返した。

 返したのは自分なのに、今になってその破壊力に押し潰されそうになっている。


 澪は深呼吸して、服を着替えた。

 髪を整え、少しだけリップを塗る。

 普段より少しだけ丁寧に。

 でも、やりすぎないように。


 鏡を見る。


 見慣れた自分。

 でも、今日は少し違う。


 朝倉澪。

 神谷朔の彼女として、初めてデートへ行く自分。


「……変じゃない、よね」


 確認する相手はいない。

 それでも不安で、澪は端末を手に取った。


 夏希に送るか迷う。

 でも、今送ったら確実にからかわれる。

 それに、最初に見てもらうのは朔がいいと思ってしまった。


 そう思った瞬間、また顔が熱くなる。


 階下から家の生活音が聞こえる。

 時計を見ると、九時五十五分。


 あと五分。


 澪は部屋の中を意味もなく歩いた。

 鞄の中身を確認する。

 財布。

 端末。

 ハンカチ。

 予備の充電器。

 全部入っている。


 それでも落ち着かない。


 九時五十八分。

 九時五十九分。


 端末が震えた。


『家の前に着いた』


 その一文を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。


 もう来た。

 朔が。

 彼氏として迎えに。


 澪は端末を胸の前で握りしめる。

 深呼吸を一度。

 もう一度。


「……行こう」


 部屋を出て階段を下りる。

 玄関で靴を履く手が少し震えた。


 ドアノブに手をかける。

 一瞬、止まる。


 このドアの向こうに、朔がいる。

 いつもの幼馴染ではなく。

 今日だけは、初デートの相手として。


 澪はそっと扉を開けた。


 朝の光が差し込む。

 門の近くに、朔が立っていた。


 白いシャツに、薄手のジャケット。

 いつもより少しだけきちんとしている。

 でも、気取りすぎていない。

 朔らしい服装だった。


 そして、澪を見た瞬間、朔の動きが止まった。


「……おはよう」

 澪が先に言った。

 声が少しだけ震えた。


「おはよ」

 朔も返す。

 けれど、その視線は一瞬、澪の服装に落ちて、すぐに戻った。


 沈黙。


 澪の胸がうるさい。

 変だったのだろうか。

 やっぱり気合いを入れすぎただろうか。

 それとも、何かおかしいところが。


「……変?」

 我慢できずに聞くと、朔は少しだけ慌てたように首を振った。


「いや」

「じゃあ」

「似合ってる」

 短い言葉だった。


 それだけなのに、澪の胸が一気に熱くなる。


「……ほんとに?」

「うん」

「無理してない?」

「してない」

 朔は少しだけ目を逸らした。

「普通に、かなり似合ってる」


 かなり。


 その言葉で、澪はもう顔を上げていられなくなった。


「……朝からそういうこと言わないで」

「今日くらいは言わせて」

「今日くらい?」

「初デートだし」

 さらっと言われて、また心臓が跳ねる。


「朔」

「何」

「それも、朝から言わないで」

「でも本当」

「本当でも」

「あと」

 朔は少しだけ姿勢を正した。

「ちゃんと迎えに来た」

「……うん」

「彼氏として」

 完全に不意打ちだった。


 澪はその場で固まる。

 顔が熱い。

 耳まで熱い。


「……もう」

「何」

「今日の朔、ずるい」

「今日だけ?」

「最近ずっと」

「それは自覚ある」

「自覚あるならやめて」

「やめたほうがいい?」

 朔が少しだけ真面目に聞く。


 澪は言葉に詰まった。


 やめてほしいわけではない。

 恥ずかしいだけで。

 心臓がもたないだけで。

 でも、言われると嬉しいのだ。


「……やめなくていい」

 小さく答えると、朔の表情が少しだけ緩んだ。


「そっか」

「笑わないで」

「笑ってない」

「笑ってる」

「少しだけ」

 そんな会話をして、ようやく少しだけ息ができた。


 家の前を出て、二人は駅へ向かって歩き始めた。


 休日の住宅街は、平日の朝とは違う空気をしていた。

 通学の生徒はいない。

 代わりに、犬の散歩をする人や、買い物袋を持った近所の人がのんびり歩いている。

 空は明るく、風はやわらかい。


 いつもの道なのに、今日だけは違う。


 制服ではない。

 学校へ向かうのではない。

 隣にいるのは幼馴染ではなく、彼氏。


 澪はその事実を意識しすぎて、歩き方までわからなくなりそうだった。


「澪」

「何」

「緊張してる?」

「してる」

 即答してしまった。


 朔が少しだけ笑う。

「俺も」

「朔も?」

「するだろ」

「でも、迎えに来るの自然だった」

「家の前に立ってる間、かなり緊張してた」

「そうなの?」

「メッセージ送るまでに二分くらい迷った」

 想像して、澪は少しだけ笑ってしまう。


「何で」

「いや」

「何」

「朔もちゃんと緊張してるんだって思ったら、ちょっと安心した」

「俺を何だと思ってるんだ」

「いつも変なところで落ち着いてるから」

「落ち着いてない」

 朔は前を向いたまま言う。

「今も、かなり落ち着いてない」

 その正直さが、胸にきた。


「……私も」

「うん」

「でも、楽しみ」

 言ってから、自分で少し驚いた。


 自然に出た。

 怖いとか、恥ずかしいだけじゃなくて。

 ちゃんと楽しみだと言えた。


 朔は横を見る。

 そして、少しだけ嬉しそうに笑った。


「俺も」

 短い返事。

 それだけで十分だった。


 駅へ向かう道に出ると、人が少し増えてきた。

 休日だからか、家族連れやカップルもいる。

 手を繋いで歩いている人たちもいて、澪はつい視線を向けてしまった。


 ああいうふうに、自然に歩けるのだろうか。

 自分たちも。

 いつか。


 そう考えた瞬間、朔の手が視界に入った。


 まだ繋いでいない。

 でも、すぐ隣にある。


 繋ぐのだろうか。

 駅前は人が多い。

 見られるかもしれない。

 でも、今日はデートだ。


 澪が少しだけ迷っていると、朔がちらりとこちらを見る。


「手」

 短く言った。


 心臓が跳ねる。


「……駅まで?」

「嫌じゃなければ」

「嫌じゃない」

 澪はすぐに答えてから、自分で少し照れた。


 朔の表情がやわらかくなる。

 彼はそっと手を差し出した。


 澪は少しだけ息を吸って、その手を取る。


 指が触れる。

 自然に絡む。

 もう何度か繋いだはずなのに、今日の手はまた違う。


 休日の朝。

 私服で。

 初デートへ向かう途中。


 その事実だけで、胸の奥がふわふわする。


「……手、あったかい」

 澪が小さく言うと、朔が少しだけ目を逸らした。


「澪も」

「そう?」

「うん」

「緊張してるからかも」

「俺も」

 同じ言葉ばかり。

 でも、それが嬉しい。


 二人は手を繋いだまま駅へ向かった。


 改札前は思ったより人が多かった。

 休日の駅前特有のざわめきが広がっている。

 待ち合わせをする人。

 家族連れ。

 友人同士。

 買い物へ向かう人たち。


 澪は繋いだ手を少し意識する。

 誰かに見られている気がする。

 実際には、誰もこちらを気にしていないのかもしれない。

 でも、自分の中では、手を繋いでいる事実がとても大きい。


 朔がそれに気づいたのか、少しだけ手の力を緩めた。


「大丈夫?」

「……うん」

「無理なら」

「大丈夫」

 澪は繋いだ手を少しだけ握り返す。

「今日は、このままがいい」

 言った瞬間、朔の目が少しだけ揺れた。


「そっか」

「うん」

「じゃあ、このまま」

 その言葉に、胸が温かくなる。


 隠したいわけじゃない。

 でも見られるのは少し怖い。

 その気持ちは、たぶん今日一日ずっとついてくる。


 それでも、今は手を離したくなかった。


 駅前の商業施設へ向かう途中、ガラス張りの建物に二人の姿が映った。


 私服の澪。

 隣を歩く朔。

 繋がれた手。


 それを見た瞬間、澪は少しだけ息を止めた。


 本当に、デートみたいだ。


 いや、みたいではない。

 デートなのだ。


「どうした?」

 朔が聞く。

「……今、映った」

「何が」

「私たち」

 朔もガラスのほうを見る。


 二人の姿が、少し歪んで映っている。

 それでも、手を繋いで並んでいるのははっきりわかる。


「……ほんとだ」

 朔が小さく言う。

「変な感じ」

「うん」

「でも」

 朔は少しだけ照れたように続ける。

「悪くない」

 澪は頷いた。


「うん」

「悪くない」


 施設の入口に着くと、自動ドアが開いた。

 中から涼しい空気と、休日のにぎやかな音が流れてくる。

 ショップの音楽、エスカレーターの案内音、どこかのカフェから漂う甘い匂い。


 初デートの場所としては、特別すぎるわけではない。

 でも今の澪には、全部が少し輝いて見えた。


「まず、どうする?」

 朔が聞く。

「映画の時間、確認する?」

「そうだな」

「そのあと、少しお店見て」

「昼、どこかで食べる?」

「うん」

 普通の相談。

 でも、恋人として予定を決めていると思うだけで、胸が温かい。


 エスカレーターの前まで来た時、澪はふと繋いだ手を見る。


「このまま乗る?」

「危ない?」

「いや」

「じゃあ、ゆっくり」

 朔はそう言って、澪の歩調に合わせてくれた。


 エスカレーターに乗る。

 段差のせいで、朔が少しだけ前になる。

 繋いだ手の位置が変わって、澪はまた意識してしまう。


 朔が振り返った。

「大丈夫?」

「うん」

「今日、何回も聞くと思う」

「大丈夫って?」

「うん」

「じゃあ、私も何回も言うと思う」

「何を」

「大丈夫」

 澪がそう返すと、朔は少しだけ笑った。


「わかった」

「でも」

「うん」

「本当に無理な時は、ちゃんと言う」

 朔の表情が少し真面目になる。


「うん」

「隠さない」

「俺も」

 その言葉が、二人の間に静かに置かれる。


 隠さない恋。

 それは、ただ堂々と手を繋ぐことだけではない。

 怖い時に怖いと言うこと。

 無理な時に無理と言うこと。

 楽しい時に楽しいと言うこと。


 今日、その全部を少しずつ覚えていくのだと思った。


 映画館のフロアに着くと、上映スケジュールのパネルの前で二人は立ち止まった。

 並んでタイトルを見上げる。

 恋愛映画、アクション映画、アニメ映画、少し難しそうな海外作品。


「どれがいい?」

 朔が聞く。

「朔は?」

「澪が見たいのでいい」

「それ、困るやつ」

「じゃあ、これ」

 朔が指差したのは、評判のいいファンタジー映画だった。

 映像がきれいで、冒険要素もあるらしい。


「これ、気になってた」

「じゃあ、これにする?」

「うん」

 すぐに決まる。

 こんな小さなことでも、二人で選んだ感じがして嬉しい。


 チケットを取り、上映まで少し時間ができた。

 二人はフロアの端にあるベンチへ座る。


 手は自然に離れていた。

 でも、座る距離は近い。


 隣にいるだけで、胸が少し落ち着く。

 最初に家を出た時のような張りつめた緊張は、少しずつやわらいできていた。


「澪」

「何」

「今日、来てよかった」

「まだ始まったばかりだよ」

「うん」

「映画も見てない」

「でも、もう思ってる」

 朔の声は静かだった。


「彼氏として迎えに行くの、緊張したけど」

「うん」

「ちゃんと来られてよかった」

 その言葉に、胸が熱くなる。


「私も」

「うん」

「彼女として待つの、緊張した」

「うん」

「でも、迎えに来てくれて嬉しかった」

 言い終えると、朔が少しだけ目を細めた。


「なら、よかった」

「うん」


 映画館のアナウンスが流れる。

 周囲の人たちが少しずつ移動を始める。


 澪は立ち上がる前に、そっと朔を見る。


 彼氏として迎えに来てくれた朝。

 それだけで、今日という日がもう特別になっている。


「行こう」

 朔が言う。

「うん」


 立ち上がる。

 そして、どちらからともなく、もう一度手を繋いだ。


 人混みの中へ向かう。

 少し怖い。

 でも、隣に朔がいる。


 初デートは、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ