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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第7章 第11話:ノアとアークも、ここから始める


 その夜、澪はフルダイブ装置の前で、少しだけ深呼吸した。


 机の上のスマート端末には、朔とのメッセージ画面が開いたままだった。


『今日、少しだけ二人でログインできる?』

『ノアとアークとして、ちゃんと話したい』


 朔から届いたその文面を見た時、澪の胸は静かに鳴った。


 ノアとアークとして。


 現実では、夏希へ正式に報告した。

 澪と朔は付き合っていると、自分たちの言葉で伝えた。

 隠さなくていいことが、こんなに胸を軽くするのだと知った。


 でも、アステリオではまだ途中だった。


 ピピたちには何かあったことだけ伝えた。

 全部はまだ言っていない。

 それでも、ノアとアークの距離が変わったことは、もう隠せないくらい伝わっている。


 なら、次は二人の中でちゃんと確かめる番だ。


 ノアとしての自分。

 アークとしての朔。

 隠れ場所ではなく、二人の時間として、これからも続けていいのか。


 澪は端末へ返信した。


『行く』

『ちゃんと話したい』


 送信してから、フルダイブ装置へ手を伸ばす。


 目を閉じる。

 意識が沈む。

 視界が暗転し、やがてアステリオの夜が開いた。


 ログイン地点は中央広場ではなかった。


 転送先として指定されていたのは、《星骸の渡り廊》。

 かつて、アークが「名前じゃなくて、その奥を知りたい」と言った場所だった。


 白い回廊。

 低い欄干。

 はるか下に流れる星霧。

 遠くに浮かぶ崩れた塔の残骸。

 大きな月が空にかかり、足元のひび割れから青い光が漏れている。


 あの夜、ノアはここで苦しかった。

 名前の奥を知りたいと言われて、胸が痛んで、でも逃げきれなかった。


 今は違う。


 まだ少し緊張している。

 でも、隠れるためにここへ来たわけではない。


『ノア』


 声がした。


 振り向くと、回廊の先にアークが立っていた。

 黒い装備。

 背に負った剣。

 何度も見てきた姿。


 それなのに、今はその姿を見るだけで胸があたたかくなる。


「アーク」

 ノアが呼ぶと、アークは少しだけ表情をやわらげた。


『来てくれてありがと』

「うん」

『ここ、覚えてる?』

「忘れるわけない」

『だよな』

 アークは少しだけ苦く笑う。

『あの時、かなり踏み込んだこと言った』

「うん」

「知りたいのは名前じゃなく、その奥だって」

『……覚えてるの、恥ずかしいな』

「言ったのアークでしょ」

『そうだけど』

 そのやり取りが少しおかしくて、ノアは小さく笑った。


 あの頃は笑えなかった。

 苦しくて、怖くて、言葉のひとつひとつに追い詰められていた。

 でも今は、同じ場所でこうして笑える。


 それだけでも、前へ進んだのだと思えた。


 二人は回廊をゆっくり歩き出した。

 足元の石が淡く光り、歩くたびに星霧が下で揺れる。

 敵はほとんどいない。

 ここはもう、戦うためというより、思い出をなぞるための場所みたいだった。


『ノア』

「何」

『正体知る前の俺、結構しつこかったな』

「うん」

『即答』

「しつこかった」

『悪かった』

「でも」

 ノアは欄干の向こうに広がる星霧を見た。

「嫌じゃなかった」

 アークが少しだけ足を止める。


「困ったし、怖かったけど」

 ノアは続ける。

「知りたいって言ってくれたの、嬉しかった」

『……そっか』

「うん」

「あの時は、言えなかったけど」

 ノアは少しだけ笑う。

「今なら言える」

 アークは静かにこちらを見る。


『じゃあ、聞いていい?』

「うん」

『あの頃のノアは、俺のことどう思ってた?』

 その問いに、胸が少しだけ跳ねた。


 恋人になった今だからこそ聞ける問い。

 でも、ノアとして答えるには少し照れくさい。


「……好きだった」

 ノアは小さく言った。

『うん』

「でも、好きって言うには怖すぎた」

『うん』

「アークの近くにいたかった」

『うん』

「ノアなら隣に立てるって思ってた」

『うん』

「でも、ノアだけ見られるのも苦しかった」

 言葉にすると、あの頃の痛みが少しだけ蘇る。


 けれど今は、その痛みを一人で抱えているわけではない。

 アークが隣で聞いている。


「だから」

 ノアは足を止めた。

「ノアとして過ごした時間は、本物だけど」

『うん』

「逃げてた時間でもあった」

『うん』

「その両方を、ちゃんと見たい」

 アークは静かに頷いた。


『俺も』

「アークも?」

『うん』

 彼は欄干に軽く手を置く。

『ノアといる時間、すごく楽だった』

「うん」

『戦闘も、会話も、黙ってる時間も』

「うん」

『でも、今思えば、そこに澪がいたからだった』

 胸が静かに熱くなる。


『ノアと過ごした時間も』

 アークはゆっくり言葉を置く。

『俺にとっては恋の一部だった』

 ノアは息を止めた。


 恋の一部。

 その言葉が、星霧の上で静かに響いた。


 ノアとしての時間が、ただの隠し事ではなくなる。

 ただの遠回りでもなくなる。

 朔にとっても、ちゃんと恋へ繋がっていた時間だったと受け止めてもらえる。


 それが、こんなにも嬉しい。


「……それ」

 ノアは声を震わせる。

「すごく、救われる」

『うん』

「ノアでいたこと、ずっと後ろめたかった」

『うん』

「でも、全部なくしたくなかった」

『うん』

「だから、そう言ってもらえると」

 喉が熱くなる。

「ノアも、ここにいていいんだって思える」

 アークは少しだけ目を細めた。


『いていい』

 短い言葉だった。

『ノアも、澪も』

「……うん」

『どっちも、俺の好きな人だから』

 不意打ちだった。


 ノアは一瞬、完全に動きを止めた。

 それから、じわじわ顔が熱くなるのを感じる。


「アーク」

『何』

「そういうこと、急に言わないで」

『現実でも言われてる』

「アステリオでも同じ」

『でも、本当だから』

「ずるい」

『知ってる』

 このやり取りも、すっかり二人のものになっている。


 ノアは胸に手を当てて、小さく息を吐いた。


「じゃあ」

『うん』

「ノアも、ここから始めていい?」

 アークが顔を上げる。


「隠れるためじゃなくて」

 ノアは続ける。

「朔に近づくためだけじゃなくて」

『うん』

「アークと一緒にいる、もう一つの私として」

『うん』

「ここから、ちゃんと始めたい」

 言い切ると、アークは少しだけ表情をやわらげた。


『もちろん』

 迷いのない返事だった。

『ノアとアークも、ここから始めよう』

 その言葉に、胸の奥があたたかく満たされる。


 ノアは頷いた。

 目の奥が少し熱い。

 でも今日は泣かなかった。

 泣くより、笑いたかった。


「うん」

「ここから始める」


 二人は再び歩き出した。


 星骸の渡り廊の先には、以前一緒に倒した小さな中ボスの再出現ポイントがあった。

 今では二人なら簡単に倒せる相手だ。

 けれど、そこへ向かう道は懐かしかった。


『ここでノアが足場崩れるって先に言った』

「アークが見えてなかったから」

『あれで助かった』

「そのあと調子に乗って突っ込んだ」

『覚えてるな』

「覚えてる」

 小さな記憶をひとつずつ拾いながら歩く。


 あの時はまだ、正体を隠していた。

 でも、それでも確かに一緒にいた。

 同じ敵を見て、同じ景色を見て、同じ時間を進んでいた。


 途中、浮遊する光獣が二体現れた。

 ノアは自然に術式を展開する。

 アークも剣を抜いた。


『右』

「任せる」

『左、拘束できる?』

「もうしてる」

『早い』

「アークが遅い」

『言うようになったな』

「前から言ってた」

 会話しながら、動きは迷わない。


 ノアの拘束陣が光獣を捕らえ、アークの剣が一閃する。

 二体目はノアが誘導し、アークが背後から仕留める。

 あっという間に戦闘は終わった。


 静寂が戻る。


『やっぱり』

 アークが剣を収めながら言う。

『ノアと戦うの、好きだ』

「……戦うの?」

『戦うのも』

 アークは少しだけ笑う。

『一緒にいるのも』

 また、胸が鳴る。


「今のはちょっとずるい」

『ちょっと?』

「かなり」

『なら成功』

「成功じゃない」

 ノアはそう言いながら、笑ってしまった。


 星骸の渡り廊の最奥にある円形足場へ着くと、空がさらに近く見えた。

 足場の縁には古い石柱が並び、その隙間から星霧がゆっくり流れている。

 遠くの月が白く輝いていた。


 ここも、以前来た場所だ。

 あの時は、近いのに触れられない距離が苦しかった。


 今は、その距離を少しずつ作り直している。


 アークが隣に立つ。

 ノアは少しだけ迷ってから、自分から手を差し出した。


 アークが目を見開く。


『いいの?』

「聞く前に、出した」

『それはそう』

「でも、聞いてくれるところ、好き」

 言った瞬間、今度はアークが固まった。


 ノアは自分でも少し驚く。

 でも、取り消すつもりはなかった。


『……ノア』

「何」

『それ、かなり来る』

「いつも朔がやってること」

『仕返し?』

「少し」

『なら負けた』

 アークはそう言って、ノアの手を取った。


 アバター同士の手。

 現実とは違う感覚。

 けれど、そこにある温度はちゃんと心まで届く。


 ノアは繋いだ手を見た。

 現実の澪としても、ノアとしても、今は同じ人と手を繋いでいる。

 それが不思議で、少し照れくさくて、でも幸せだった。


『ノア』

「うん」

『ここで手繋げるようになるとは思わなかった』

「私も」

『前は、名前の奥にいる人を知りたいって思ってた』

「うん」

『今は、知ったうえで隣にいる』

「うん」

『すごいな』

 アークの声は、少しだけ感慨深そうだった。


 ノアも頷く。


「すごいね」

『うん』

「遠回りした」

『かなり』

「苦しかった」

『うん』

「でも」

 繋いだ手に、少しだけ力を込める。

「ここまで来られてよかった」

 アークも握り返してくれた。


『俺も』

 短い返事。

 それだけで十分だった。


 しばらく、二人は星霧を見ていた。

 会話は少ない。

 けれど、沈黙が心地よかった。

 ノアとアークとして積み重ねてきた時間が、少しずつ新しい意味を持っていく。


 その時、アークが少しだけ笑った。


『ピピたちに見られたらまた騒がれるな』

「確実に」

『フレアには秒で見抜かれる』

「セレスには優しく待たれる」

『ピピには甘いって言われる』

「もう言われた」

 ノアは苦笑する。


「でも」

『うん』

「いつか、ちゃんと話したい」

『俺も』

「アステリオの仲間にも」

『うん』

「ノアとアークとして、ちゃんと」

 アークは頷いた。


『焦らなくていい』

「うん」

『でも、隠れ続ける必要もない』

「うん」

『俺たちの言葉で、言える時に言おう』

 その言い方が、昨日夏希に報告した時と重なる。


 自分たちの言葉で。

 それが、今の二人にとってとても大事なのだと思った。


 ログアウトの時間が近づいても、二人はすぐに手を離さなかった。

 名残惜しい。

 でも、現実でもまた会える。

 明日の朝には、澪と朔として。


 それが不思議だった。


 前は、夜が終わると寂しかった。

 ノアとしての時間が終わると、朝倉澪はまた少し遠いところから朔を見るしかなかった。

 でも今は違う。


 夜が終わっても、現実で会える。

 ノアとしても、澪としても、同じ相手に会える。


「アーク」

『何』

「明日」

『うん』

「現実で会うの、楽しみ」

 言ったあとで、ノアは少し照れた。


 アークは一瞬黙る。

 それから、やわらかく笑った。


『俺も』

『澪に会うの、楽しみ』

 胸がいっぱいになる。


「じゃあ」

『うん』

「また明日」

『また明日』

 少しだけ間を置いて、アークが続ける。

『ノアとしても、澪としても』

 ノアは頷いた。


「アークとしても、朔としても」


 ログアウトすると、部屋は静かだった。

 フルダイブ装置から身体を起こした澪は、しばらく天井を見つめていた。


 胸の奥があたたかい。

 星骸の渡り廊の風も、繋いだ手の感覚も、まだ残っている気がした。


 スマート端末が震える。

 朔からだった。


『ノアとアークも、ちゃんと始められた気がする』


 澪は画面を見て、自然に笑った。


『うん』

『ここから始めよう』


 送信してから、澪は端末を胸に抱いた。


 ノアは、もう隠れるためだけの名前ではない。

 アークは、もう届かない夜の相手ではない。


 夜の中でも、現実の中でも、

 二人は少しずつ同じ場所へ向かっている。


 ノアとアークも、ここから始める。

 その約束は、澪の胸の中で静かに光っていた。

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