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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第7章 第9話:選ばれた側の責任


 翌日の放課後、澪は校門の前で朔を待っていた。


 夕方の空は薄い橙色で、校舎の窓に光が反射している。部活へ向かう生徒たちの声が遠くから聞こえ、昇降口のあたりではまだ何人かが立ち話をしていた。


 いつもなら、朔を待つ時間は少しだけそわそわする。

 恋人になってからは、なおさらだった。

 目が合うだけで顔が熱くなるし、隣を歩くだけで胸が忙しくなる。


 でも今日は、その甘さよりも、胸の奥にある重さのほうが大きかった。


 凛花と話した。

 由良と話した。

 ひなと話した。


 それぞれ違う形で朔を好きだった三人が、澪へ向き合ってくれた。


 悔しいと、凛花は言った。

 好きだった時間は悪いものにはしないと、由良は言った。

 ちゃんと好きだったからちゃんと泣くと、ひなは言った。


 その全部が、澪の中に残っている。


 好きだと言えて、返ってきて、付き合うことになった。

 それは嬉しい。

 今でも信じられないくらい、胸の奥があたたかくなる。


 でも、嬉しいだけでは済まないのだと知った。


 自分が選ばれたということは、誰かの願いが届かなかったということでもある。


「澪」


 声がして顔を上げると、朔が昇降口のほうから歩いてきていた。

 鞄を片手に持ち、少しだけ急いできたのか、息が小さく揺れている。


「待たせた?」

「ううん」

「そっか」

 朔は澪の顔を見て、少しだけ表情を変えた。


「……今日、話す?」

 その一言で、胸が静かに震える。


 やっぱり、朔にはわかる。

 澪が何かを抱えている時、その重さを見逃さない。


「うん」

 澪は頷いた。

「話したい」


 二人は並んで歩き出した。


 手は繋がない。

 繋ぎたくないわけではない。

 ただ今日は、少しだけ真面目に話したかった。

 手の温度に意識を持っていかれる前に、ちゃんと言葉を置きたかった。


 朔も、それを察したように何も言わなかった。


 校門を抜け、住宅街へ向かう道を歩く。

 夕方の光が道に長い影を落としている。どこかの家から夕飯の匂いが流れてきて、遠くで犬が吠えた。


 何でもない帰り道。

 けれど、今日の沈黙は少し重かった。


「三人と」

 澪が先に口を開いた。

「話した」

「うん」

「凛花さんと、白瀬さんと、ひな」

「……うん」

 朔の声も静かだった。


「みんな、ちゃんと向き合ってくれた」

「うん」

「悔しいって言ってくれた」

「うん」

「好きだったことを、なかったことにしないって」

「うん」

「泣いても、ちゃんと祝おうとしてくれた」

 言葉にすると、また胸の奥が痛くなる。


 朔は黙って聞いていた。

 途中で慰めるようなことは言わない。

 ただ、澪が話しきるのを待っている。


「私」

 澪は足元を見ながら続ける。

「好きって返ってきたことが嬉しいだけじゃ、だめなんだと思った」

 朔の歩調が、ほんの少しゆるむ。


「嬉しくて」

「うん」

「すごく嬉しくて」

「うん」

「でも、その嬉しさは、誰かの悔しさの上にもある」

 喉の奥が少し熱くなる。

「そう思ったら、ちゃんと持たなきゃって思った」

 朔はしばらく黙っていた。


 それから、小さく息を吐く。


「俺も」

 低い声だった。

「ちゃんと考えなきゃいけないと思ってる」

 澪は横を見る。


 朔は前を向いたまま、少し眉を寄せていた。

 いつもより言葉を慎重に選んでいる顔だった。


「篠宮さんも、白瀬さんも、ひなも」

「うん」

「俺に向けてくれてた気持ちがあった」

「うん」

「それを、気づいてなかったわけじゃない」

 胸が少しだけ痛む。


 朔は不器用だけれど、鈍感なだけの人ではない。

 全部をはっきり言語化できていなかったとしても、向けられていたものの重さをまったく知らなかったわけではないのだろう。


「でも」

 朔は続ける。

「ちゃんと返せてたかって言われたら、たぶん返せてない」

「……うん」

「曖昧にした部分もある」

「うん」

「誰かを傷つけたくなくて、でもその結果、もっと曖昧にしたこともあると思う」

 朔の声は少しだけ苦かった。


「だから」

 彼は言った。

「俺も、ちゃんと選んだって自覚する」

 その言葉に、澪の胸が静かに鳴る。


 選んだ。

 その言葉は重い。

 でも、必要な言葉だった。


「澪を選んだ」

 朔ははっきり言った。

「それは嬉しいだけのことじゃない」

「うん」

「向けられてた気持ちを軽くしないで、その上で選んだって思いたい」

 澪は小さく頷いた。


「私も」

「うん」

「選ばれた側なんだって、ちゃんとわかっていたい」

「うん」

「選ばれたから偉いとか、勝ったとかじゃなくて」

「うん」

「その分、ちゃんと大事にしなきゃいけない」

 朔は静かに頷く。


「だな」


 少し歩いたところで、二人は小さな公園の前に差しかかった。

 昨日まで何度も来た、あの公園とは別の、通学路沿いの小さな場所だ。

 ベンチと水飲み場だけがある、あまり人のいない公園。


 朔が足を止めた。


「少し座る?」

「うん」


 二人はベンチに並んで座った。

 距離は近い。

 けれど今日は、触れ合うほどではない。


 夕方の風が木の葉を揺らし、ベンチの前に細かい影を落とす。


「正直」

 朔が言った。

「俺、澪と付き合えることになって、かなり浮かれてた」

 澪は少しだけ目を瞬かせる。


「浮かれてたの?」

「うん」

「見えなかった」

「見せないようにしてた」

「そうなんだ」

「でも、家帰ってからかなりやばかった」

 朔が真面目な顔で言うから、澪は少しだけ笑いそうになった。


「やばかったって?」

「メッセージ見返したり」

「……」

「彼女って言葉に慣れなかったり」

「……」

「手を繋いだこと思い出して寝られなかったり」

 今度は澪の顔が熱くなった。


「言わなくていい」

「でも本当」

「本当でも」

「澪もそうだろ」

「……そうだけど」

 認めると、朔が少しだけ笑う。


 その笑いに、少しだけ空気がやわらいだ。


 けれどすぐに、朔は真面目な顔に戻る。


「でも」

「うん」

「それだけじゃだめなんだよな」

「うん」

「嬉しいからこそ、ちゃんとしたい」

 その言葉に、澪は胸があたたかくなる。


 同じことを考えている。

 浮かれることも、照れることも、甘い時間を嬉しいと思うことも、本当。

 でも、それだけではなく、この関係を大事に育てたいと思っている。


 それが嬉しかった。


「凛花さんに」

 澪は言う。

「ちゃんと大事にしてって言われた」

「うん」

「白瀬さんには、自分のことも大事にしてって言われた」

「うん」

「ひなには、幸せにならなかったら怒るって言われた」

 朔は少しだけ目を伏せた。


「ひならしい」

「うん」

「篠宮さんも、白瀬さんも、ひなも」

 朔は静かに言う。

「俺からも、ちゃんと向き合わないとな」

 澪は朔を見る。


「話す?」

「うん」

「三人と?」

「すぐに全員と、うまく話せるかわからないけど」

「うん」

「でも、俺が何も言わないままなのは違うと思う」

 その言葉に、澪は頷いた。


 朔もまた、選んだ側として向き合おうとしている。

 自分だけではない。

 二人で、この重さを持とうとしている。


「澪」

「何」

「俺、器用じゃないから」

「知ってる」

「即答」

「だって」

 少しだけ笑う。

 朔も苦く笑った。


「たぶん、間違えることもある」

「うん」

「ちゃんとできない時もある」

「うん」

「でも、雑にはしない」

 その声はまっすぐだった。

「澪のことも、向けられてた気持ちのことも」

 澪の胸が、じんと熱くなる。


「私も」

「うん」

「朔のこと、雑にしない」

「うん」

「自分のことも」

 由良とひなの言葉を思い出しながら続ける。

「ちゃんと大事にする」

 朔が少しだけ表情をやわらげた。


「それ、ちゃんと言ってくれると安心する」

「そんなに?」

「澪、すぐ自分のこと後回しにしそうだから」

「白瀬さんにもひなにも言われた」

「やっぱり」

「そんなに?」

「そんなに」

 朔は少しだけ笑う。


 澪は少しむっとした顔をしてみせたが、言い返せなかった。

 たぶん、自覚があるからだ。


「じゃあ」

 朔が言う。

「ちゃんと大事にしよう」

「何を?」

「俺たちのこと」

 その言い方に、胸が鳴る。


「うん」

「あと、ここまで来るまでにあったもの全部」

「うん」

「ノアのことも」

「うん」

「幼馴染だった時間も」

「うん」

「篠宮さんたちが向けてくれてた気持ちも」

「うん」

「全部、なかったことにしない」

 澪は深く頷いた。


「ちゃんと大事にしよう」

 自分でもう一度言う。


 その言葉は、誓いのようだった。

 派手ではない。

 でも、今の二人には必要な約束だった。


 しばらく二人は、ベンチに座ったまま夕方の空を見ていた。

 少しずつ日が落ち、街灯がひとつ点く。

 風が少し冷たくなり、澪は袖を引いた。


 朔がそれに気づいて、鞄から薄い上着を取り出しかける。


「大丈夫」

 澪が言う。

「寒いだろ」

「少しだけ」

「じゃあ大丈夫じゃない」

 そう言って、朔は上着を澪の肩にかけた。


 その自然さに、澪は一瞬固まる。


「……ありがとう」

「うん」

「こういうの、彼氏っぽい」

 思わず呟くと、朔も少しだけ固まった。


「急に言うな」

「朔もよく言う」

「それはそう」

 二人で少し笑う。


 笑ったあと、澪は肩にかけられた上着をそっと握った。

 朔の匂いが少しする気がして、また顔が熱くなる。


 でも今日は、その甘さもちゃんと受け取りたかった。

 罪悪感だけにしない。

 幸せになることも、向き合い方の一つだと由良は言ってくれた。


 なら、自分はこのあたたかさをちゃんと大事にしていい。


「朔」

「何」

「私、幸せになりたい」

 自分で言って、少し驚いた。


 朔も驚いたように澪を見る。

 でも、すぐに真面目な顔になった。


「うん」

「凛花さんたちの気持ちを忘れないで」

「うん」

「でも、それを理由に苦しむだけじゃなくて」

「うん」

「ちゃんと、朔と幸せになりたい」

 言葉にした瞬間、胸の奥にあった重さが少しだけ形を変えた。


 消えたわけではない。

 けれど、ただの罪悪感ではなくなった。


 朔は静かに頷いた。


「俺も」

「うん」

「澪と幸せになりたい」

 その言葉は、好きと言われた時とはまた違う熱を持っていた。


 澪は目を伏せる。

 泣きそうになる。

 でも、今日は泣くよりも笑いたかった。


「じゃあ」

 澪は小さく笑う。

「ちゃんと頑張ろう」

「頑張るのか」

「恋人って、たぶん頑張るものでもあると思う」

「なるほど」

「何」

「澪らしい」

「どういう意味」

「真面目」

「悪い?」

「悪くない」

 朔はやわらかく言った。

「そこも好きだし」

 不意打ちだった。


 澪は肩にかけた上着を握ったまま固まる。


「……今」

「うん」

「そういうの、急に」

「言いたくなった」

「便利に使ってる」

「便利だから」

「ずるい」

「知ってる」

 やり取りはいつも通りなのに、胸の奥はまだ熱い。


 しばらくして、二人は公園を出た。

 帰り道の空はすっかり薄暗くなっていて、街灯が道を照らしている。


 今日も手を繋がないつもりだった。

 そう思っていたのに、家に近づく少し前、朔がそっと手を差し出した。


「今は?」

 短い問いだった。


 澪はその手を見る。

 さっきまでの話の重さも、凛花たちの言葉も、全部胸の中にある。

 でも、それでも手を取りたいと思った。


「……うん」


 澪は朔の手を取った。


 指が絡む。

 あたたかい。

 その温度が、今日は少しだけ違って感じられた。


 ただ照れるだけではない。

 ただ嬉しいだけでもない。

 この手をちゃんと大事にしようと思う温度だった。


 家の前で立ち止まる。

 手を離す前に、朔が言った。


「澪」

「何」

「ちゃんと大事にする」

 その言葉に、胸が震える。


「私も」

「うん」

「ちゃんと大事にする」


 手が離れる。

 指先に残る温度が、今日の約束みたいだった。


「また明日」

「うん」

「また明日」


 家へ入って自室に戻ると、澪は朔の上着を抱えたまま少しだけ固まった。


 借りたままだ。


 慌てて端末を開く。


『上着、返すの忘れた』


 すぐに返信が来る。


『明日でいい』

『着て帰ってくれてよかった』


 その文字を見て、また顔が熱くなる。


 でも今日は、素直に受け取ることにした。


『ありがとう』

『あったかかった』


 送ってから、澪はベッドに腰を下ろす。


 好きって返ってきたことが嬉しいだけでは、だめ。

 でも、嬉しいことを我慢する必要もない。


 選ばれた側の責任。

 それは誰かの痛みを背負い込んで沈むことではなく、

 その気持ちを軽くしないまま、ちゃんと幸せになることなのだと思った。


 澪は朔の上着をそっと畳んだ。

 胸の奥に残る痛みと、手のひらに残るあたたかさを、どちらも大事に抱えたまま。

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