第1章 第6話:選ばれないまま、隣にいる
零の表示が消えた瞬間、最終エリア全体の光が沈んだ。
空気が重くなる、という表現では足りなかった。視界そのものに圧がかかるような、息を吸う動作まで少しだけ遅れるような感覚。巨大な蕾の中心で脈打っていた赤紫の核が一度強く明滅し、その前に集まっていた黒い影が、輪郭を持って立ち上がる。
人型に近い。だが、あくまで“近い”だけだった。
頭部らしき場所には顔がなく、滑らかな黒い面の中央に、縦長の光が一本走っている。肩から背にかけては花弁のような装甲が幾重にも重なり、腕は細いのに異様に長い。脚の先が地面に触れるたび、黒曜石の床に銀色の波紋が広がった。
――《星喰いの王骸》
表示されたボス名と同時に、低い咆哮のような振動が空間を走る。
「うわ、名前からして嫌です!」
ピピが半分悲鳴みたいに叫ぶ。
「嫌でもやるしかないわ」
フレアが細剣を抜く。
「パターン読む。最初は様子見で」
ノアが魔導書を開く。
「了解。前、持つ」
アークが一歩前へ出た。
「回復は切らしません」
セレスの杖先に白い光が集まる。
戦闘開始と同時に、王骸の背から黒い花弁が四枚、弾けるように放たれた。
「散って! それ追尾!」
ノアが叫ぶより早く、花弁が各方向へ滑る。アークが一枚を剣で弾き、フレアが身を翻して回避、ピピが低く飛び退き、セレスは障壁で受け流した。ノアも術式で軌道を逸らすが、花弁は完全には消えず、空中で砕けて細い棘の雨になる。
「二段階か……!」
「趣味悪い!」
アークが舌打ち混じりに笑う。
直後、王骸が消えた。
「え」
ピピが息を呑む。
「上!」
ノアが反射で防護を展開する。頭上から落ちてきた黒い衝撃が障壁へぶつかり、視界いっぱいにひび割れた光が走った。踏み潰すような一撃だった。真正面で受ければ、前衛でもただでは済まない。
アークが横へ転がりながら立て直し、その脇をフレアが駆け抜ける。
「速すぎるでしょ!」
「見た目より軽いわね!」
フレアの細剣がボスの脇腹を掠める。黒い外殻が一瞬きしむが、浅い。
「装甲硬い。正面火力だけじゃ削り切れない」
ノアがログを走らせる。
「弱点は?」
アークが訊く。
「まだ見えない。たぶん、ギミック後に露出する」
「なら、まずは剥がす」
短い会話だけで方針が決まる。
その連携に無駄はなかった。アークがヘイトを引きつけ、フレアが側面から削る。ピピが足元を乱し、セレスが回復と耐性支援を回す。ノアは行動ログを追い、最適な防護と妨害を差し込んでいく。
戦闘としては理想に近い。
それでも、ノアの胸は静かに痛んでいた。
前にいるふたりはやっぱり目を引く。アークが剣を振るい、フレアがそれに合わせて火力を通すたび、黒いエリアの中に鮮やかな線が走る。誰が見ても、そこが戦いの中心だとわかる。
自分は中心を支える役だ。
必要な場所にいて、崩れないように整える。
それは大事な役目のはずなのに、恋の痛みはそんな理屈では消えてくれなかった。
「ノア、次来るよ!」
セレスの声。
王骸の背の花弁が再び開く。今度は放射ではなく、床全体へ影を落とすように広がっていた。
「床罠! 黒いところ踏まないで!」
「無理言うなあ!」
アークが前線をずらす。
黒曜石の床の上を、影が生き物みたいに這う。踏み込んだ場所から棘が突き上がり、動きの遅れたプレイヤーが何人か遠くで弾き飛ばされるのが見えた。エリア全体を巻き込む広域ギミックらしい。
「右、細いラインだけ安全!」
ノアが経路を示す。
「ピピ、そっち行ける?」
「いけます!」
ピピが軽い身体で安全地帯を縫うように走り、側面からボスへ飛びかかる。黒い装甲の継ぎ目へ短剣が刺さった瞬間、王骸の動きが一瞬だけ鈍った。
「今! 肩の裏!」
ノアの声に、フレアがすぐ反応する。
「見えた!」
細剣が赤い光を引き、装甲の隙間を正確に貫いた。王骸の背で花弁が大きく揺れ、その中央に赤紫の核の一部が覗く。
「弱点露出!」
「アーク!」
「行く!」
アークが踏み込む。
黒い床を蹴り、一直線に距離を詰める。その軌道に迷いがない。剣が振り抜かれ、核へ届く直前、王骸の長い腕が横から伸びた。
「っ!」
弾かれる、と思った瞬間。
「通しなさい!」
フレアが割り込み、細剣でその腕を逸らした。火花のようなエフェクトが散り、そのわずかな隙にアークの剣先が核へ叩き込まれる。
重い衝撃音。
王骸が初めて明確に怯んだ。
周囲の複数パーティから歓声が上がる。
「ナイス!」
「アーク!」
「フレアも!」
その声は当然の賞賛だった。見事な連携だったから。
ノアは術式を維持したまま、ひとつ息を呑む。
綺麗だ、と思う。
悔しいくらい、綺麗だった。
並んで立つ強さ。息の合った踏み込み。視線が集まる中心。周りから見たら、あのふたりはきっと“お似合い”の一言で片づけられるくらい自然に見えるのだろう。
そう考えた瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
そんなことを思っている場合じゃない。今は戦闘中だ。わかっているのに、感情だけが勝手に痛みを拾ってしまう。
「ノアさん、左から来ます!」
セレスに呼ばれ、意識を引き戻す。
別のパーティが引き寄せた雑魚群が、広域ギミックのあおりでこちらへ流れてきていた。ノアは即座に拘束術式を飛ばし、足止めと視界補助を重ねる。
「アーク、三秒だけ猶予作る!」
「助かる!」
青い陣が展開し、雑魚の群れがその場で凍りついたように鈍る。セレスの支援光が前線に追いつき、ピピがそこへ飛び込んで動線を引き剥がした。
「よし、戻した!」
「ありがとう、ピピ!」
「えへへ、どういたしまして!」
戦況はギリギリで保てている。
ボスのHPはまだ半分以上残っていたが、今の核露出で全体の削りは通った。攻略の糸口も見えた。なのにノアの気持ちは少しも軽くならない。
前に出る人は、ああして誰かに見つけてもらえる。
うまくいけば名前を呼ばれ、褒められ、記憶に残る。
支える側の仕事は、崩れた時にこそ目立つ。崩れなければ当たり前として流れていく。
そんなこと、ゲームの中では何度も経験してきた。納得していたはずだった。
でも恋の中でまで同じ立ち位置にいるのは、思ったより苦しい。
「ノア」
不意に、低い声が近くで落ちた。
見ると、アークが一瞬だけこちらを振り向いていた。戦闘の最中だというのに、その目だけは妙にまっすぐだった。
「さっきから少し固い」
「……何が」
「おまえ」
短すぎる言葉に、胸が揺れる。
「そんなこと」
「ある。無理して平静な顔してる時の感じ」
なんでわかるの、と思った。
どうしてそういうところだけ、昔から妙に鋭いのだろう。
けれど言い返す前に、王骸の核が不気味に脈打った。
「来る、全体攻撃!」
ノアが叫ぶ。
赤紫の光が蕾全体へ走り、次の瞬間、巨大な衝撃波が円環状に広がった。ノアは迷わず全体防壁を展開するが、出力が足りない。範囲が広すぎる。
「セレス!」
「重ねます!」
白金の障壁が上から降り、青い防壁と重なる。二重壁がどうにか衝撃を受け止めるが、床が大きく軋み、全員の足元が崩れかけた。
「っ、まだ……!」
ノアは杖を握る手に力を込める。
その時だった。
王骸の背後で、崩れた床片が跳ね上がり、一直線にこちらへ飛んでくる。狙いは明らかに後衛。ノアとセレスの位置だ。
反応が半拍遅れた。
避けられない、と思ったその瞬間、影がひとつ前へ割り込む。
アークだった。
彼は躊躇なくノアの前へ立ち、飛来物を剣で弾いた。だが完全には殺しきれず、砕けた破片の一つが彼の肩口をかすめる。HPが大きく削れ、赤い警告が瞬いた。
「アーク!」
ノアの声が、ほとんど悲鳴みたいに出た。
セレスが即座に大回復を叩き込み、アークのHPバーが持ち直す。フレアがその隙に前線を引き受け、ピピがボスの注意を横へ逸らした。
「大丈夫!」
アークが言う。
「今のかすっただけ」
「かすっただけで済む量じゃなかったでしょ!」
思わず声が強くなる。
アークは一瞬だけ目を見開いた。
ノア自身も、自分の声に驚いた。
こんなふうに感情が露わになるのは珍しい。しかも、みんなの前で。
セレスが何か言いかけて、飲み込む。ピピは不安そうに目を瞬かせ、フレアは前線を維持しながら一度だけこちらを見た。その視線は静かで、でも鋭かった。
「ノア……」
アークが何か言おうとする。
けれどノアは先に視線を逸らした。
「今は前見て」
声を低く押し込める。
「……わかった」
それで終わる。
終わるはずなのに、胸の奥だけがずっとざわついていた。
どうしてこんなに動揺しているのか、本当はわかっている。わかっているからこそ、見られたくない。知られたくない。今の声に滲んだものが、誰かに届いてしまうのが怖い。
戦闘はなおも続く。
第二回目の核露出。広域拘束。雑魚湧き。位置ずらし。ノアは無理やり頭を戦況へ戻し、術式の精度だけは落とさないよう必死で組み続けた。アークもフレアも、さっきの一瞬を引きずることなく前へ出る。セレスの支援はさらに丁寧になり、ピピは空気を読んだのか、いつもより少しだけ無駄口が少ない。
全員、優しい。
だから余計に、いたたまれない。
やがて王骸のHPが大きく削れ、最後の暴走フェーズへ入った。背の花弁が全開し、赤紫の核が露出したまま不安定に明滅している。今なら削り切れる。だが一気に押さなければ、全体壊滅のリスクが高い。
「これで終わらせる!」
アークが叫ぶ。
「前、全部出す!」
フレアが応じる。
「回復、切りません!」
セレス。
「わたしも行きます!」
ピピ。
ノアは核を見据えた。
術式の組み立ては完璧だ。全体加速、弱点露出固定、敵挙動抑制。今ここで最適解を出せるのは自分だと、迷いなくわかる。
なのに胸の痛みだけが、どうしても消えない。
選ばれないまま、隣にいる。
必要とされながら、欲しい言葉だけはもらえない。
そんな場所に立ち続けている気がして、息が苦しくなる。
「ノア!」
アークの声。
その呼びかけに反応するみたいに、ノアは最後の術式を解放した。青白い光が核へ収束し、露出時間を強引に引き伸ばす。
「今!」
アークの剣が走る。
フレアの細剣が続く。
ピピの短剣が跳ねる。
セレスの補助光が重なり、複数パーティの火力まで一斉に集中した。
赤紫の核が大きくひび割れる。
次の瞬間、王骸が絶叫に似た振動を撒き散らし、その巨体を崩した。
黒い装甲が花弁みたいにほどけ、光の粒となって夜の天井へ吸い上げられていく。エリア全体にクリア音が鳴り響き、頭上に勝利演出の光環が広がった。あちこちで歓声が上がり、ハイタッチのエモートや祝福のチャットが飛び交う。
終わった。
はずなのに。
ノアの胸には、達成感より先に、別の重さが残っていた。
「やったあああ!」
ピピが飛び跳ねる。
「なんとか勝てましたね……!」
セレスが安堵の息をつく。
「悪くない締めね」
フレアが小さく笑う。
アークは振り返って、まっすぐノアを見た。
「ノア、さっきの――」
「お疲れさま」
ノアは被せるように言った。
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「最後の固定、間に合ってよかった」
「いや、そうじゃなくて」
「みんなも。すごかった」
アークの言葉を受け止めないまま、ノアは視線をずらす。
今ここで何かを聞かれたら、うまく答えられない気がした。ごまかせる自信もなかった。
セレスは気づいたように口を閉じ、ピピは戸惑った顔でアークとノアを見比べる。フレアだけが、何も言わずに細く目を伏せた。
クリア報酬の光が、静かに五人の足元へ降り注いでいる。
勝った。役にも立てた。最後までやり切った。
それなのに胸の中では、確かな言葉が冷たく沈んでいく。
隣にはいられる。
必要ともされる。
でも、それだけじゃだめなのだと、もう認めてしまった。
ノアはゆっくりと杖を下ろし、きらめく勝利演出の中で、誰にも聞こえないように小さく息を吐いた。
こんなふうに隣にいられる時間が、ずっと続くと思っていた。
でも本当は、ただ隣にいるだけじゃ、いつか届かなくなる。




