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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第5章 第3話:もう幼馴染の優先じゃない


 その日の午後、教室の空気は妙に落ち着かなかった。


 晴れているのに、どこかそわそわしている。

 窓から差し込む光は明るく、机の角やノートの端にくっきりした影を落としていた。授業の合間のざわめき、椅子を引く音、誰かの笑い声。どれもいつも通りのはずなのに、澪の胸の内側だけがずっと静かに張っている。


 昨夜の言葉が、まだ残っていた。


 ――知りたいの、暴きたいからじゃない。

 ――ちゃんと向き合いたいから。

 ――いつかちゃんと向き合ってくれる?


 夜のアークも、

 現実の朔も、

 どちらももう同じ場所を見始めている。

 名前の違う自分へ向かって、奥を知りたいと言ってくる。


 そんな中で現実の教室へ座っていると、自分だけが二つに裂けたままいるみたいで、息がしにくかった。


「朝倉」

 横から夏希が小さく呼ぶ。

「今日も顔死んでる」

「最近ずっとそれ言ってない?」

「だってずっと死んでるし」

 澪は小さく息を吐いた。


「……自覚ある」

「でしょ」

 夏希は頬杖をつきながら、教室の前方へ視線を向ける。

「神谷もなんか今日は落ち着かない顔してる」

 つられて見てしまう。


 前方の席で、朔は端末を見ていた。

 見ている、というより眺めているだけに近い。指は画面の上にあるのに、たまに止まる。誰かに話しかけられれば普通に返すけれど、完全にいつも通りではない。

 たぶん、自分だけじゃない。

 昨日までの流れを、向こうもちゃんと抱えたまま今日を過ごしている。


 五限が終わったところで、担任が教室へ入ってきた。

 少し慌ただしい足取りで、手には端末と数枚の紙。


「悪い、配信端末の仮運用ログ、一箇所不具合出たから今確認したい」

 教室の空気が少しだけ引き締まる。

「来週の校外連携に使うやつな。昨日組んだペアの中で、今空けられるやつ」


 何人かが顔を上げる。

 ざわめきの中で、担任は端末を見ながら続けた。


「神谷と朝倉、どっちか今行けるか?」

 その一言で、澪の心臓が少しだけ跳ねた。


 昨日組まれたペアだ。

 当然といえば当然。

 それでも、教室中の目がほんの一瞬こちらへ向くのがわかる。


「俺行きます」

 朔がすぐに言った。

「朝倉も来れる?」

 視線がまっすぐこちらへ向く。


 先生に聞かれた流れで名前が出た。

 それだけのはずだ。

 でも、その“それだけ”にいちいち意味を感じてしまうくらいには、もう引き返せないところまで来ている。


「行ける」

 澪が答えると、担任は「ああ助かる、準備室な」とだけ言って次の連絡へ移った。


 教室を出る時、背中に複数の視線を感じた。

 ひなの明るい好奇心混じりの目。

 由良の静かな確認する目。

 そして凛花の、何も言わないままちゃんと見ている目。


 準備室へ向かう廊下は、授業中の静けさが薄く残っていた。

 窓の外では運動部の掛け声が遠く聞こえて、校舎の中だけ別の時間で動いているみたいだ。


「昨日のやつ」

 歩きながら、朔がぽつりと言う。

「昨日?」

「ペア」

「ああ」

「今日、先生に呼ばれた時」

 少しだけ間を置く。

「なんか、変に見られた気がした」

 その言い方に、澪は少しだけ目を伏せた。


「……気のせいじゃないかも」

「だよな」

 朔は苦く笑う。

「俺もそう思った」

 そこまで自覚しているのだと思うと、胸の奥がまたざわつく。


 準備室では、たしかに端末の一台に不具合が出ていた。

 仮運用ログの一部が飛んでいて、再接続すると時々入力ラグが出る。配線か、同期設定か、その両方か。二人で端末を立ち上げ、ログを取り直しながら原因を探る。


「ここ」

 澪が画面を指す。

「入力拾ってるけど、表示側が一拍遅れてる」

「ほんとだ」

 朔が横から覗き込む。

「昨日はなかったよな」

「昨日はなかった」

 機材の前に立つと、少しだけ落ち着く。

 手順があるからだ。

 考えるべきことが決まっているから。


 でも今日は、その“落ち着くはずの作業”の最中でさえ、意識の一部が別のところに引っ張られていた。


「澪」

「何」

「さっき、教室出る時」

「うん」

「やっぱ見られてたよな」

 画面を見たまま朔が言う。

「……見られてたね」

「何か」

 少し言いよどむ。

「前と違う感じする」

 その一言が、静かに胸へ沈む。


 前と違う。

 そうだ。

 違うのは自分たちもわかっている。

 もう“ただの幼馴染が一緒に作業してる”だけの空気ではない。


「……朔」

「何」

「昨日のこと、覚えてる?」

「昨日?」

「準備室で言ったこと」

 朔は一瞬だけ目を瞬かせ、それからすぐに頷いた。

「一緒にいたい時に、自然に呼べるのが澪ってやつ?」

 澪の胸がひとつ大きく打つ。

「……そう」

「忘れるわけないだろ」

 その返しがあまりにも自然で、顔が少し熱くなる。


 忘れるわけない。

 そう言われるだけで、また期待してしまいそうになる。


「今日も」

 朔は続けた。

「たぶん、同じ感じだった」

「同じ?」

「先生に呼ばれて、誰が行くかってなった時」

 そこで一度、画面から目を上げる。

「まず澪だと思った」

 息が止まるかと思った。


 準備室の狭い空気が、一瞬だけ静まり返る。

 機材のファンの音だけが、やけにはっきり聞こえた。


「……それ」

 やっと声を出す。

「簡単に言わないで」

「簡単に言ってない」

 即答だった。

「今の、かなりちゃんと考えて言ってる」

 その真剣さに、ますます逃げ場がなくなる。


「凛花さんもいた」

 澪は言う。

「白瀬さんも、ひなもいた」

「うん」

「それでも?」

「それでも」

 迷いがない。

 そこに、前よりはっきりした意思があった。


 胸の奥が熱い。

 でも、その熱のぶんだけ怖い。

 ここまで来てしまったら、もう“勘違いかもしれない”で逃がせないからだ。


「……何で」

 ほとんど無意識に聞いていた。

「私なの」

 朔はすぐには答えなかった。

 少し考えるように黙って、それからゆっくり口を開く。


「一番、ちゃんとわかってくれると思うから」

 それは、少し前の自分なら幼馴染としての信頼だと受け取ったかもしれない。

 でも今は違う。

 それだけではないと、互いに薄々わかっている。


「それだけじゃない」

 朔は自分で続けた。

「……一緒にいたいって思ったのもある」

 澪は視線を落とした。

 見ていられなかった。

 うれしすぎて、苦しすぎて、何も表情を作れない。


「ごめん」

 朔が小さく言う。

「また重い?」

「重い」

 澪は正直に答える。

「でも」

「でも?」

「いやじゃない」

 そこまで言うのが精一杯だった。


 朔が息を吐く気配がした。

「そっか」

「うん」

「じゃあ、よかった」

 その言葉がまた胸へ落ちる。

 よかった。

 それだけなのに、どうしてこんなに熱を持つのだろう。


 ちょうどその時、準備室の扉がノックされた。

 担任だった。


「どうだ?」

「ラグの原因たぶん同期設定です」

 澪が答える。

「再接続で直ります」

「さすが」

 先生は端末を覗き込みながら頷いた。

「助かった。やっぱりそのペアにしといて正解だな」

 何気ない一言だった。


 でも、その言葉は澪の胸に小さく波を立てる。

 正解。

 それがただの作業相性の話だとわかっていても、今は少しだけ違う意味に聞こえてしまう。


 準備室を出て教室へ戻る途中、廊下の曲がり角に凛花が立っていた。

 偶然というには少しできすぎている位置だ。


「終わった?」

 凛花が聞く。

「うん」

 朔が答える。

「そっか」

 凛花はそれ以上は何も言わない。

 ただ、澪のほうを一瞬だけ見た。

 その目には、はっきりした理解があった。


 わかっているのだ。

 今日の“まず澪”が、もう偶然では済まないことを。


 教室へ戻ると、ひなが案の定という顔で寄ってきた。


「神谷先輩、また朝倉先輩だったんですね」

「またって何だよ」

 朔が苦笑する。

「だって最近すぐ朝倉先輩じゃないですか」

 ひなは遠慮がない。

「わたし、ちゃんと見てますからね」

 由良は少し離れた席で静かにその会話を聞いている。

 何も言わないけれど、その沈黙のほうがむしろ重い。


「……たまたまだろ」

 朔が言う。

「いや」

 ひなは首を振る。

「今日のはたまたまじゃないです」

 その言い切りに、教室の空気が一瞬だけ揺れた。


 朔は言い返さなかった。

 困ったように頭をかいただけだ。

 その反応自体が、もう答えみたいなものだった。


 帰り道、澪は夏希と並んで歩いた。

 夕方の空は薄いオレンジから青へ変わりかけていて、住宅街の向こうに少しずつ灯りがつき始めている。


「見た?」

 夏希が言う。

「……見た」

「神谷、もうかなりわかりやすいね」

「そうなのかな」

「朝倉にだけわかりにくいのかも」

 その言葉が妙に刺さる。


 わかりにくいのは、自分がずっと“勘違いしたくない”側にいたからかもしれない。

 期待しすぎて壊れるのが怖くて、ずっと半歩引いて見てきた。

 でも、もうそれでは無理だ。


「朝倉」

「何」

「今の神谷、もう“幼馴染だから優先”ってライン越えてると思う」

 夏希ははっきり言う。

「それ、ちゃんと受け止めたほうがいい」

 澪は小さく頷くしかなかった。


 夜になって一人になった時も、その言葉は残り続けていた。


 まず澪だと思った。

 一緒にいたいって思ったのもある。


 うれしい。

 でも、そのうれしさはもう安全な片想いの中には収まらない。

 相手も前へ来ている。

 だからこそ、自分もどこかで本当に決めなければいけない。


 もう幼馴染の優先じゃない。

 その事実が、今夜の澪には眩しくて、痛くて、そしてどうしようもなく愛しかった。

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