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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第1章 第3話:見えてしまう距離


 転送の光が途切れた瞬間、足元の感触が変わった。


 ノアが最初に感じたのは、湿った冷気だった。石畳の乾いた硬さとは違う、わずかに柔らかく、しかし不安定ではない地面の感触。視界が定まるにつれて、周囲の景色が輪郭を持ちはじめる。


 そこは《星喰いの庭》の名にふさわしい場所だった。


 夜そのものを切り取って閉じ込めたような、静かな庭園。頭上には黒に近い群青の空が広がっているのに、星は見えない。その代わり、空中には小さな光の粒がゆっくり流れていて、まるで星屑が逆さに降っているようだった。白い樹木が幾本も立ち並び、葉の代わりに透けるガラス片のようなものを揺らしている。枝が鳴るたび、遠くで鈴を振るみたいな音がした。


「うわ……」

「綺麗……」


 周囲のプレイヤーたちから感嘆の声が漏れる。


 足元には円形の転送陣がいくつも重なっていて、次々に別パーティが降り立っていた。全部で相当な人数がいるはずなのに、庭園そのものが広大すぎて、密集の圧迫感はあまりない。遠くには光の橋と白亜の回廊、そのさらに先に、巨大な黒い花の蕾のような影がぼんやり浮かんでいた。


「たぶん、あれが最終ボスエリアね」


 フレアが細剣を抜きながら言う。刃に反射した淡い光が、横顔の輪郭を鋭く見せた。


「直行できれば楽なんだけどな」

「そういうイベントなら、わざわざ前半探索なんて入れないでしょ」

「ごもっともで」


 アークが軽く肩をすくめる。


 ノアは素早く周囲を見渡し、視界端に展開している簡易マップへ意識を向けた。現在地は第一層・外縁庭園。ここから各地点を巡って《星核の欠片》を三つ回収し、その後に中央領域へ進む仕様らしい。一定時間ごとの位置交換ギミックは、まだ発動していない。


「最初の進行ルート、東回りのほうがいい」

「理由は?」

「北側に他パーティが多い。取り合いになると時間がかかる」

「了解。じゃあ東で」


 アークが迷いなく返す。


 こういう時の判断の速さは、やっぱり頼もしい。ノアが見た情報を、変に疑わずそのまま採用できるのは、彼の長所のひとつだった。


「じゃ、前衛私とアーク。ピピは遊撃、セレスは中衛維持、ノアは後方制御」

「了解です!」

「はい」

「任せて」


 短く役割確認を済ませ、五人は白い樹木の間を駆け出した。


 庭園を満たしている光は幻想的なのに、地形そのものはいやに厄介だった。道に見える部分が途中で途切れていたり、ガラス片のような草が視界を乱したり、一定地点を踏むと床面に紋様が走って移動制限がかかったりする。


「右、二時方向に小型湧く」

「見えた!」


 ピピが一番先に反応し、身を低くして飛び出す。黄色の装備が白い景色の中でぱっと弾けた。次の瞬間、短剣の軌跡が細い光を引き、小型の影獣の一体を引き寄せる。


「ピピ、引きすぎないで!」

「大丈夫です、たぶん!」

「その“たぶん”が一番危ない!」


 ノアが拘束術式を走らせる。足元に開いた青白い陣が影獣の動きを鈍らせ、その隙にアークが前へ出た。片手剣が横薙ぎに走り、一体、二体とまとめて斬り払う。そこへフレアの細剣が赤い光をまとって突き込み、残った敵の核を正確に穿った。


「ナイス」

「そっちも」

「ふたりとも早いです……!」


 セレスが回復の光を薄く流す。まだ大きな被弾ではないが、細かい削りを残さない立ち回りはさすがだった。


 戦闘のテンポはいい。かなりいい。


 ノアは魔導書のページをめくりながら、全員の位置とクールタイム管理を並列で追う。アークが前線を整え、フレアが火力を通し、ピピが敵の動線を乱し、セレスが支える。その隙間を埋めるように、自分の術式を重ねる。


 うまく噛み合っている時のパーティ戦は、少しだけ好きだ。


 誰かの強さに誰かの役割が繋がって、一人では届かない形になる。その中に自分の居場所があると、ようやく息ができる気がする。


「ノア、左の視界頼める?」

「もう取ってる。十秒後に追加湧き」

「さすが」


 アークが笑って、そのまま動線を変える。


 その言葉ひとつで、胸の奥がまた小さく熱を持つ。


 信頼されるのは嬉しい。戦いの中では、余計なことを考えなくて済むから。


 けれど、戦いが一度途切れれば、すぐに思い出してしまう。


 その信頼が、恋と同じものではないことを。


 第一の《星核の欠片》は、白い温室のような建物の中央にあった。天井のない半円形の回廊に浮かぶ菱形の結晶で、周囲には小型ギミックが三層展開している。


「解除順、見える?」

 フレアが問う。

「左、右、中央。中央だけフェイクあるから注意」

「了解」


 アークが先に踏み込み、フレアが後追いで斬り込む。ピピが反対側からスイッチを踏み、セレスが状態異常を解除する。ノアは術式の干渉ラインを切り分け、偽装パターンだけを無効化した。


 結晶が静かに砕け、淡い光の欠片がパーティ共有インベントリへ格納される。


「ひとつ目、完了」

「順調だな」


 アークの声に、全員の空気が少しだけ軽くなる。


 このくらいの達成感なら、まだ気持ちよく続けられる。問題はここからだ。イベント系は大抵、一度成功体験を与えてから崩しに来る。


「次、南東回廊を抜けた先。たぶんそこで位置交換来る」

「予言みたいに言うなあ」

「だいたい合ってるでしょ」

「否定できない」


 そのやり取りを聞いて、セレスがくすっと笑う。


「本当に、息ぴったりですね」

「そう?」

「はい。アークさんが何も言わなくても、ノアさんが先に補ってること多いので」


 言われた瞬間、ノアは一拍だけ反応を失った。


 事実だからこそ、困る。


「長い付き合いだからじゃない?」

 フレアがさらりと言う。

「それだけじゃない気もしますけど」

 セレスは柔らかく微笑む。

「え、なになに、そういう話ですか?」

 ピピがすぐ反応して身を乗り出した。

「違う違う。変な期待すんな」

 アークが苦笑する。


 その“違う”に、誰がどんな意味を受け取ったのかはわからない。


 ノアは視線だけを前へ向けたまま、小さく息を吐く。


 違う。たしかに違う。


 自分たちは、まだ何も始まっていない。自分だけが勝手に抱えて、勝手に揺れているだけだ。


 なのにその距離を他人に指摘されると、どうしてこんなに落ち着かないのだろう。


 第二エリアへ続く回廊は、空中に浮かぶ細い道だった。両側に手すりはなく、下には黒い水面のような虚空が広がっている。落下しても即脱落ではないらしいが、かなり外縁まで飛ばされるペナルティ表示が出ていた。


「嫌なやつ」

「落ちたくないですね……」

「大丈夫です! わたし得意です、こういうの!」

「ピピ、おまえそういう時ほど危ないからな」

「なんですかそれ!」


 先頭をアーク、少し離れてフレア、その後ろにピピ。中衛気味にセレス、最後尾付近にノア。細い回廊は歩くだけでも微妙に揺れ、靴底の接地感覚を不安定にさせた。


 白い霧のようなものが足元から立ち上り、視界を薄く曇らせる。


「来る」


 ノアが呟いたのと、システム音が鳴ったのはほぼ同時だった。


 ――《星域干渉:位置交換》発動


 視界が一瞬だけ反転する。


 次の瞬間、ノアの立っていた場所が変わっていた。


「っ」


 足元の感覚が急に軽くなる。さっきまで最後尾付近にいたはずなのに、今は回廊の外側ぎりぎり、しかも前方寄りだ。少しでも重心を誤れば、そのまま落ちる位置。


 反射的に体勢を立て直そうとした瞬間、腕を強く引かれた。


「ノア!」


 アークだった。


 彼は交換直後の不安定な姿勢のまま、半歩分無理に踏み込んでノアの腕を掴んでいる。引き寄せられた勢いで、ノアの肩が彼の胸元にぶつかった。


「……っ、ごめん」

「謝るな。無事ならそれでいい」


 低く落ちた声が、想像以上に近い。


 ほんの数秒のことなのに、周囲の音が遠くなる。ガラスの葉が鳴る音も、ピピの「わあっ」という声も、セレスの詠唱も、全部少しだけ遅れて聞こえた。


「大丈夫?」

 アークが覗き込む。

「う、うん」

「ほんとに?」

「ほんとに」


 掴まれたままの腕が熱い。


 アバターなのに、と思う。実際の体温なんてあるはずがないのに、触れられた場所だけがやけに意識に残る。


「アーク、ノア、後ろ!」


 フレアの鋭い声で我に返る。


 交換ギミックに合わせて湧いた影獣が、回廊の上を這うように接近していた。アークはすぐにノアの腕を離し、前へ出る。その切り替えの速さに助けられる一方で、さっきの数秒だけを取り残されたような気持ちになった。


「ノアさん、下がって!」

 セレスの回復障壁が展開する。

「平気、やれる!」


 ノアは魔導書を開き、視界補助術式を起動した。白い霧の中で敵影の輪郭だけが青く浮かび上がる。アークがそれを頼りに剣を振るい、フレアが追撃を重ねる。ピピが側面から跳び込み、最後の一体を回廊の外へ弾き落とした。


「やった……!」

「ナイス」

「ふふ、ピピさんすごいです」

「えへへ」


 呼吸を整えながら、ノアは自分の手元を見る。


 震えてはいない。震えてはいないはずなのに、心臓の奥だけがうるさい。


「ノア」

 またアークが声をかけてくる。

「さっき、痛いとこない?」

「ないって」

「ならいい」


 それだけ言って前を向く背中を見て、ノアはほんの少しだけ唇を噛んだ。


 ない、で済ませられる距離がうらやましい。


 自分だけが、こんなことひとつで簡単に揺らいでしまう。


 回廊を抜けた先で、第二の《星核の欠片》を回収した頃には、他パーティとも何度かすれ違うようになっていた。みんな同じように進行しているわけではなく、先に中央へ向かう組もいれば、取りこぼしを避けて慎重に動いている組もあるらしい。


 その途中、開けた円形広場で、一時的な合流ポイントが発生した。


 数十人単位のプレイヤーが集まるそこは、簡易セーフエリアになっていて、戦闘不能蘇生や編成の立て直しが可能らしい。空中に浮いた光板には、現在の貢献度ランキングまで表示されている。


「うわ、アークたちもう上位じゃん」

「マジ? ほんとだ」

「フレアもランク入ってる」

「当然でしょ」


 周囲でそんな声が飛び交う。


 五人の名前が、パーティ単位の高評価欄に表示されていた。アークの個人貢献値も高いし、フレアも火力でしっかり目立っている。セレスは安定支援、ピピは攪乱成功率で評価され、ノアも制御補助の数値が伸びていた。


 十分すぎるくらい順調だった。


 なのに、ノアの胸は少しも軽くならなかった。


「見て見て、やっぱアークとフレア目立つなー」

「わかる。戦闘映えすごかった」

「配信拾われそう」

「さっきの位置交換後の立て直しも綺麗だったよね」


 近くで聞こえた会話に、思わず足が止まる。


 位置交換後の立て直し。


 その単語だけで、さっき掴まれた腕の感覚が蘇る。けれど話している相手たちの視線は、自分ではなくアークとフレアのほうへ向いていた。


「やっぱあのふたり並ぶと強いわ」

「わかる。バランスいいし、華あるし」


 何気ない声だった。


 悪意なんてまるでない。見たままを言っているだけだ。


 でも、その“見たまま”の中に、自分はいない。


 ノアはゆっくり瞬きをした。


 戦闘では役に立てる。必要ともされる。信頼もされている。


 それでも、人の目に映る“特別”の景色の中には入れないのだと、そんなことを思ってしまう。


「ノアさん」


 振り向くと、セレスがすぐそばに立っていた。


「少し顔色、悪くないですか?」

「え」

「疲れてるなら、次の区間で私がもう少し後衛寄りに出ますけど」

「大丈夫。平気」

「本当に?」

「うん」


 セレスはそれ以上は言わなかった。ただ、少しだけ心配そうに目を細めている。


 やさしい人だと思う。こういうふうに、ちゃんと気づくから。


 そのやさしさに救われる気持ちと、見透かされたくない気持ちが同時に胸の中でぶつかる。


「次で最後の欠片だな」


 アークが全体を見渡して声をかける。広場の灯りが彼の横顔を明るく縁取っていた。


「問題なければこのまま行く。ノア、ルートどう見る?」

「……西南の回廊。遠回りに見えるけど、たぶん最短」

「了解」


 迷いなく返ってくる。


 その信頼に応えなければと思うたび、少しだけ苦しくなる。


 応えたい。隣にいたい。必要とされたい。


 でも本当は、それだけじゃ足りない。


 誰にも見えないところでそう思ってしまう自分が、一番厄介だった。


 セーフエリアの外へ出る直前、フレアがふと振り返った。


「ノア」

「何?」

「さっきの位置交換の時、あなたがいたから崩れなかったわ」

「……私は、情報流しただけ」

「その“だけ”が一番大事な時もあるのよ」


 言って、フレアは先に歩き出す。


 真っ直ぐで、誤魔化しがない言葉だった。


 褒められたことはわかる。認められたことも。


 なのに嬉しさの奥で、別の痛みが微かに疼く。


 見えてしまう。


 強い人が、華のある人が、素直に気持ちを言える人が、彼の隣に立つ景色が。


 その全部を、後ろから見てしまう自分の立ち位置が。


 白い樹々のざわめきの向こうで、第三層へ続く門がゆっくり開き始めていた。


 ノアは魔導書を閉じ、また静かに開く。


 術式の光はいつも通りきれいに整っていたのに、その奥で揺れている気持ちだけは、どうしても制御しきれなかった。

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