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星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


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第2章 第2話:二人で行く理由


 《ルーメン回廊》の夜霧は、中央へ進むほど濃くなっていった。


 石造りの壁面には淡い青の苔光が張りつき、崩れた柱の影をやわらかく縁取っている。天井近くに埋め込まれた魔導灯は弱く、回廊の奥へ行くほど視界は薄く曇って見えた。足音が石床へ反響し、少し遅れて返ってくる。その響きが、五人でいるはずなのに時々ひどく静かに感じられる。


『右、分岐ある』

 ノアがマップウィンドウを見ながら言う。

『見えてる』

 アークが一歩先で足を止めた。

『こっち、細いな』

『でもたぶん近道。左は迂回して大部屋に出る』

『じゃあ右でいい?』

『うん』


 いつもなら、こういう判断はもっと自然に全体へ流れていく。

 今日は少し違った。


 先行確認、という名目で、ノアとアークが半歩前へ出ている。後ろにはピピ、セレス、フレア。完全に二人きりではないし、距離だって大したものではない。それでも、たった半歩分の前後差が妙に意識へ残った。


『アーク先輩、罠踏まないでくださいねー』

 少し後ろからピピの声が飛ぶ。

『何でそんな前提なんだよ』

『前科があるからです!』

『それは否定しづらいわね』

 フレアが淡々と重ねる。

『さっきノアも同じこと言ってたし』

『二対一はずるいだろ』

『二対一じゃなくて事実の積み重ねでは?』

 ノアが返すと、アークが小さく笑った。


 その笑い声が近い。

 通話越しでもなく、同じ回廊の空気を通って届く距離だ。


 ノアは前を見たまま、意識して呼吸を整えた。


 昨日、自分から言った。

 最初だけ一緒に確認したい、と。

 たったそれだけの提案だったのに、思い返すたび胸のどこかが熱くなる。


 見ているだけじゃだめだとわかって、ほんの少しだけ前へ出た。

 その結果が今のこの位置だ。

 嬉しい。

 でも嬉しいと思うほど、余計に慎重になる。


『ノアさん』

 セレスが後方から静かに声をかける。

『二層目の記録点、前回のデータ残ってます?』

『残ってる。三十秒待って』

 ノアは歩きながらログを引き出した。

『右壁沿いに細い安全ラインある。中央踏むと床反転』

『やっぱりありましたか』

『うん。たぶんアークが真っ先に踏む』

『信用ないなあ』

 アークがまたぼやく。

『先輩、自覚持ってください』

 ピピが言う。

『持ってるつもりなんだけどな』

『それで踏むのが先輩です』

『フォローになってない』


 そのやり取りの途中で、前方の霧がわずかに揺れた。


「来る」


 ノアはほとんど反射で声に出していた。

 通話ではなく、生の声。


 アークがすぐ剣へ手をかける。

 次の瞬間、霧の中から小型の機械獣が三体飛び出した。甲殻に薄い青光を走らせた四足型で、足場の悪い場所では意外に厄介なやつだ。


『左一体、私止める!』

 ノアが魔導書を開く。

『真ん中行く』

 アークが踏み込む。

『右取ります!』

 ピピが弾むように前へ出た。

『支援回します』

 セレスの杖に白い光が灯る。

『二段目湧き注意』

 フレアが周囲を見ながら細剣を抜いた。


 最初の接触は一瞬だった。


 ノアの拘束陣が左の機械獣の脚を絡め取り、アークの剣が中央の一体を正面から斬り落とす。右へ飛び込んだピピの短剣が装甲の継ぎ目を抉り、怯んだ敵をフレアが一閃で仕留めた。遅れて出現した二段目の小型群へ、セレスの鈍化補助とノアの視界補正が重なる。


 噛み合う。

 戦いの流れが、ほとんど考えるより先に噛み合っていく。


『ナイス』

 アークが短く言う。

『そっちも』

 ノアが返す。

『いやほんと、ノアいると楽だな』

 その一言が、戦闘後の小さな静けさの中でやけにはっきり響いた。


 ノアはわずかに目を伏せる。


 楽。

 それはたぶん、何気なく出た言葉だ。

 戦いやすいとか、連携しやすいとか、そういう意味もきっと多い。

 でも、胸の奥はそんなふうに器用に意味を切り分けてくれない。


『また言ってる』

 ピピがむくれたように言う。

『アーク先輩、ノア先輩相手だと楽って言いすぎです』

『そうか?』

『そうですよ』

『事実じゃない?』

 セレスがやわらかく言う。

『お二人、連携のテンポかなり自然ですし』

『長い付き合いって感じはするわね』

 フレアも淡々と続けた。


 長い付き合い。


 その言葉に、ノアの胸が小さく鳴る。

 嬉しいのに、少し苦い。


 それはたしかに自分の強みだ。

 誰にも簡単には真似できない時間の積み重ね。

 でも、そこで止まっていたらただの“慣れた相手”にしかなれないことも、もう知っている。


『じゃあ、このまま二層目まで先見る』

 アークが言う。

『後ろは』

『私たちもついていくけど、少し距離は取るわ』

 フレアが即答した。

『先行確認なんでしょ』

『ありがと』

『別に。効率の話』


 フレアの声はいつも通りだったが、どこかで状況をよく見ているのがわかる。

 ピピはまだ少し不満そうにしているし、セレスは穏やかなまま、その空気を壊さないようにしている。


 五人の関係は同じままなのに、その中の細かな温度だけが少しずつ変わっている。

 ノアにはそう感じられた。


 回廊を進むにつれ、道幅はさらに狭くなった。

 右側には崩れた壁、左側には薄く光る水路が続いている。水面は浅いのに底が見えず、時々、青白い光が魚の群れみたいに走って消えた。


『ここ、滑るかも』

 ノアが足元を見て言う。

『あー、ほんとだ』

 アークが一度しゃがみ、石床に手を触れる。

『苔じゃなくて、薄い膜みたいになってる』

『踏み込み強いと持ってかれる』

『つまりまた俺が危ない』

『自覚はあるんだ』

『今ちょっとだけ傷ついたんだけど』

『ごめん』

『謝る時笑ってない?』

『笑ってない』

『絶対少し笑ってるだろ』


 そんなやり取りをしていると、不意にアークが歩調をゆるめ、ノアの隣に並んだ。


 肩が触れるほど近くはない。

 でも、横に人がいる気配がはっきりわかる距離だ。


『ノア』

『何』

『昨日からちょっと思ってたんだけど』

 アークは前を向いたまま言う。

『前より話しやすい』


 ノアの足がわずかに止まりそうになる。


『……何それ』

『そのまま』

『前まで話しにくかったみたいじゃん』

『いや、そうじゃなくて』

 アークは少し困ったように笑う。

『元から話しやすいけど、今はもう一段近い感じ』

 近い。

 またその言葉だ。


 胸の奥が熱を持つ。

 嬉しい。怖い。困る。もっと聞きたい。

 そういうものが一度に押し寄せて、何を返せばいいのかわからなくなる。


『それ、誰にでも言ってるわけじゃないなら困る』

 気づけば、そんな言葉が口をついていた。


 言った瞬間、自分で息を止める。


 踏み込みすぎたかもしれない。

 軽口の範囲を少し越えた気がする。


 アークも一拍、黙った。


 後ろからの足音が少しだけ遠く感じる。

 ピピたちの会話も、今は薄くしか耳に入らなかった。


『……誰にでもは言わない』

 やがて、アークが静かに言う。

『少なくとも、ノアには本気で言ってる』


 ノアは視線をまっすぐ前へ固定したまま、唇の内側を軽く噛んだ。


 本気で。

 そんなふうに言われたら、簡単に心が揺れる。

 しかも今の自分は、その揺れを全部“ノアのもの”として受け取ってしまっている。


 嬉しいのに、その嬉しさがどこかで澪自身を置き去りにしていくような感覚が、ほんの少しだけあった。


『ノア先輩ー?』

 後ろからピピの声が飛ぶ。

『二人とも置いてきすぎですー』

『置いてってない』

 アークが振り返る。

『そっちが遅い』

『先輩が自然に距離詰めてるだけじゃないですか!』

『何それ』

『何でもないです!』


 何でもなくはないだろう、とノアは思う。

 ピピはたぶん、こういう空気の変化にかなり敏い。


 セレスが苦笑混じりに口を開いた。


『でも、たしかに今日はいつもより自然ですね』

『そう?』

 アークが聞き返す。

『ええ。ノアさんも、前より言葉が柔らかいですし』

『……そうかな』

『そう見えるわ』

 フレアが断定する。

『少なくとも、一緒にいる理由が前よりはっきりしてる感じ』


 一緒にいる理由。

 その言葉は、妙に深く響いた。


 今まではただ流れの中で同じ場所に立っていただけだったのかもしれない。

 でも今日は違う。

 ノアは自分から、アークと一緒に行くと決めた。

 理由を持って隣を選んだ。


 それは小さなことなのに、澪にとっては十分に大きな変化だった。


 二層目の手前で、床面の光がわずかに明滅した。


『止まって』

 ノアが言う。

『前、反転罠ある』

『中央か』

 アークが即座に理解する。

『右端だけ安全』

『ノア、解除いける?』

『完全解除は時間かかる。通るだけなら誘導で十分』

『じゃあ任せる』


 任せる。

 その一言に、ノアはまた少しだけ救われる。


 魔導書を開き、細い青い術式を床面へ走らせる。明滅していた紋様がノアの指先の動きにあわせて薄く色を変え、危険箇所だけが輪郭を帯びた。


『ここ』

 ノアが示したラインに沿って、アークが先に渡る。

 その歩幅は一切迷いがなく、ノアの指示を当然みたいに信用しているのがわかる。

『次、ピピ』

『はいっ』

『セレス、フレア、そのまま』


 全員が無事に渡り終えたところで、ピピが大げさに息を吐いた。


『うわあ……ノア先輩いなかったら絶対落ちてました』

『ピピはたぶん落ちる前に飛ぶでしょ』

 フレアが言う。

『何ですかそれ、褒めてます?』

『半分』

『半分なんだ』

 アークが笑う。


 その笑いに混じって、セレスがふとノアへ向けて言った。


『ノアさん、今日は少し楽しそうですね』

『え』

『そう見えます』

『……そんなことない』

『あると思いますよ』

 やわらかく断言されて、ノアは少しだけ言葉を失う。


 楽しそう。

 自分ではそんな顔をしているつもりはなかった。

 けれど、もし本当にそう見えているなら、少しだけ救われる。


 怖くて、苦しくて、それでも前へ出ようとしている中で、ちゃんと嬉しいと思えているのだとしたら。

 それはたぶん、悪いことじゃない。


『じゃあ、次の広間まで確認して一回戻るか』

 アークが前を見据える。

『うん』

 ノアが頷く。

『その先、たぶん視界妨害あるから、今日は入口だけ見れば十分』

『了解。じゃあ、引き続き頼む』

『任せて』


 そのやり取りが、少しだけ自然すぎて、自分でも驚く。

 前よりも一歩近い。

 でも、まだ踏み込みきってはいない。

 その中間みたいな場所に、今の二人は立っている気がした。


 広間へ続く最後の曲がり角で、アークがふいに言う。


『ノア』

『何』

『今日、来てよかった』

 それは本当に何気ない調子だった。

 でも、たぶん心からの言葉だった。


 ノアは少しだけ目を細める。


『……私も』

 そう返したあと、もう一言を足す。

『二人で来たの、悪くなかった』


 アークが短く息を呑む気配がした。

 それから、少し遅れて笑う。


『それ、かなり嬉しい』

『またそれ』

『だって本当だし』

『……そっか』


 後ろではピピが露骨に「むー」と不満そうな声を漏らし、セレスが穏やかに宥め、フレアが呆れたようにため息をついている。

 五人の空気はちゃんといつも通りのままだ。

 でも、その中でノアとアークの間だけ、確かに少し違う温度が生まれていた。


 回廊の先には、淡い霧に沈んだ大広間の入り口が見え始めている。

 そこへ続く石床の上を歩きながら、ノアはそっと自分の胸の奥へ触れる。


 嬉しい。

 近づけている気がする。

 少なくとも、ただ見ているだけだった頃の自分よりは前へ出ている。


 でも同時に、その嬉しさの奥で、微かな痛みも芽を出し始めていた。


 こんなふうに近づいているのは、ノアだ。

 朝倉澪ではない。


 それでも今は、まだこの夜の名前に甘えていたかった。

 少しだけでも、自分から踏み出した証を失いたくなかった。


 ノアは霧の向こうを見つめながら、小さく息を吸う。


 夜の中でなら、少しだけ近づける。

 その事実は、たしかに澪を救っていた。

 そして同時に、次の苦しさの入口にもなり始めていた。

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