第9章 第9話:星冠の誓い
星冠の光が、ゆっくりと消えていった。
けれど、その余韻はノアの胸の奥に残っていた。
青と銀の粒子が空へほどけていくたび、まるで自分の中にあった何かが、静かに形を変えていくようだった。
星を隠さぬ双影。
その称号は、まだ少し照れくさい。
怖さもある。
自分にふさわしいのかと問われれば、すぐに胸を張れるわけではない。
それでも、受け取りたいと思った。
アークと一緒に。
ノアとして。
澪として。
隠れていた過去も、信じた今も、全部抱えたまま。
目の前に浮かぶシステムウィンドウには、新しい称号が表示されていた。
《特別称号:星を隠さぬ双影》
その文字を見た瞬間、ノアの胸がまた小さく震える。
隠さぬ、という言葉が痛い。
けれど、あたたかい。
完全に隠さない自分になれたわけではない。
まだ外へ出せていないものはある。
現実の名前も、アステリオの仲間たちに全部話したわけではない。
星のチャームだって、まだ鞄の内側にある。
でも、もう隠れるためだけにノアではいない。
それだけは、今なら言える。
『ノアさん』
セレスの声に、ノアは顔を上げた。
セレスは穏やかに微笑んでいた。
星冠祭の光が、彼女の白い装備をやわらかく照らしている。
『おめでとうございます』
「ありがとう」
『とても綺麗な称号ですね』
「うん」
ノアは少し照れながら頷く。
「私も、そう思った」
言ってから、自分で少し驚いた。
綺麗だと認められた。
痛みを含んでいる称号なのに。
隠してきた過去に触れる名前なのに。
それでも、綺麗だと思えた。
セレスは目を細めた。
『ノアさんがそう思えるなら、それが何よりだと思います』
「うん」
「まだ、少し怖いけど」
『怖さがあるままでも、受け取れるものはあります』
「……うん」
『きっと、そういう称号なんでしょうね』
その言葉が、胸に静かに落ちた。
怖さがあるままでも、受け取れるもの。
まさに今の自分たちにふさわしい言葉だと思った。
ピピは両手を握りしめたまま、目をきらきらさせている。
先ほどまで騒ぎ出しそうにしていたのに、今は不思議と静かだった。
『ノアさん、アークさん』
「うん」
『わたし、すごく感動してます』
『騒がないのね』
フレアが横から言う。
ピピは真剣な顔で頷いた。
『今は騒ぐより、ちゃんと見たいです』
その言葉に、ノアは胸が温かくなった。
いつものピピなら、大きな声で称号の名前を何度も繰り返していたかもしれない。
けれど今は、この瞬間をちゃんと受け止めようとしてくれている。
それが嬉しかった。
『星を隠さぬ双影』
ピピは小さく称号を口にした。
『ノアさんとアークさんに、すごく合ってます』
「……ありがとう」
『隠してたとか、そういう難しいことは、全部はわからないです』
ピピは少しだけ言葉を探しながら続ける。
『でも、ノアさんもアークさんも、ここまでたくさん悩んで、それでも隣に立ってるんだなっていうのは、わかります』
ノアは息を止めた。
全部を話したわけではない。
ピピは現実の澪を知らない。
アークが朔であることも知らない。
それでも、伝わるものはあるのだ。
隠していたことの細部ではなく、
悩みながら隣に立とうとしてきたこと。
それを、ピピは見てくれていた。
『だから』
ピピは笑った。
『おめでとうございます』
その声は明るくて、でもどこか泣きそうだった。
ノアは胸がいっぱいになりながら頷く。
「ありがとう、ピピ」
『はい!』
ピピは勢いよく頷いた。
そしてすぐに鼻をすすった。
『あ、だめです。ちょっと泣きそうです』
『感情の起伏が忙しい』
フレアが淡々と言う。
『フレアさんは泣かないんですか!?』
『泣かない』
『でも感動はしてますか!?』
『少し』
『少し!』
『かなり』
『言い直しました!』
そのやり取りに、ノアは思わず笑った。
泣きそうだった胸が、少しだけ軽くなる。
笑えることがありがたかった。
フレアはノアとアークを見た。
表情はいつも通り冷静だけれど、その目は少しやわらかかった。
『称号としては、かなり適切』
『戦術的に?』
アークが聞く。
『それもある』
フレアは頷いた。
『二人の連携は、影のように互いの動きを補い合っている』
「影」
『片方が前に出る時、もう片方が自然に支える』
『戦闘ログ上でも、補助と攻撃の同期が非常に高い』
フレアらしい分析だった。
でも、そこで終わらなかった。
『ただ』
彼女は少しだけ視線を逸らした。
『戦術だけじゃない』
ノアは静かに聞く。
『隠していたものがあったとしても、それを消さずにここまで来た』
「……うん」
『見せる範囲を選びながら、それでも逃げ切らなかった』
「うん」
『それは、称号に値すると思う』
短い言葉。
でも、フレアの言葉だからこそ重みがあった。
「ありがとう」
ノアが言うと、フレアは軽く頷いた。
『受け取って』
「うん」
「受け取る」
その返事は、思っていたより自然に出た。
アークが隣で静かに立っている。
手は繋いでいない。
でも、すぐ隣にいる。
ノアはアークを見た。
「アーク」
『何』
「アークは、どう思った?」
『称号?』
「うん」
アークは少しだけ考えた。
広場の星明かりが、彼の黒い装備を淡く縁取っている。
周囲の祭の音が、少し遠く聞こえた。
『怖い名前だと思った』
彼は正直に言った。
ノアは小さく頷く。
「うん」
『隠さないって言われると、まだ少し構える』
「うん」
『俺たち、全部を外に出してるわけじゃないから』
「うん」
『でも』
アークはノアを見る。
『隠れない方向を選び続けたいとは思ってる』
胸が熱くなる。
『今、完全にできているかじゃなくて』
「うん」
『そこへ向かってるっていう称号なら』
「うん」
『俺は、受け取りたい』
ノアはゆっくり頷いた。
「私も」
『うん』
「今の私たちが完璧にそうだからじゃなくて」
『うん』
「そうありたいって思えるから」
『うん』
「受け取りたい」
アークの表情がやわらいだ。
『じゃあ、同じだな』
「うん」
「同じ」
その会話を聞いていたセレスが、静かに微笑んだ。
『誓いのようですね』
「誓い?」
『はい』
『今もう完全にそうである、という証ではなく』
セレスは星冠の光を見上げる。
『これから、そう在りたいと願うための名前』
その言葉に、ノアの胸が静かに震えた。
称号ではなく、誓い。
そう言われると、この名前の重さが少し変わる。
星を隠さぬ双影。
それは、完成した自分たちへの表彰ではない。
これからも怖さを抱えながら、隠れない方へ歩いていくための約束。
そう思えば、受け取れる。
「誓い」
ノアは小さく呟いた。
「うん」
「そうかもしれない」
アークも頷く。
『なら』
彼は言った。
『ちゃんと誓うか』
ノアは目を瞬かせた。
「ここで?」
『ここで』
「みんなの前で?」
『嫌なら』
「嫌じゃない」
すぐに答えてから、顔が熱くなる。
ピピの目が一気に輝いた。
『誓いですか!?』
『静かに』
フレアが制する。
『はい! 静かに見ます!』
ピピは両手で口を押さえた。
でも目は完全に興奮していた。
セレスは一歩下がり、穏やかに二人を見守る姿勢を取った。
フレアも腕を組んだまま、静かに立つ。
ピピも、なんとか声を抑えている。
ノアとアークは、星冠祭の光の下で向き合った。
中央広場の一角。
周囲には他のプレイヤーもいる。
誰もこちらを特別に注目しているわけではない。
でも、ノアにとっては、世界の中心に立っているような感覚だった。
アークが口を開く。
『ノア』
「うん」
『隠れて始まった時間もあった』
「うん」
『言えなかったこともあった』
「うん」
『痛かったこともあった』
「うん」
『でも、俺はその時間を消したくない』
ノアの胸が熱くなる。
『ノアと戦った時間も』
「うん」
『澪と向き合った時間も』
「うん」
『どっちも、俺にとって大事だから』
名前を呼ばれた瞬間、ノアの目の奥が熱くなった。
セレスたちの前で、澪という名前の意味を完全に説明してはいない。
でも、アークはその名前を大事に呼んでくれる。
『俺は』
アークは続けた。
『ノアの隣に立つ』
「うん」
『澪の隣にも立つ』
「……うん」
『隠れそうになったら、一緒に戻る』
「うん」
『怖い時は、怖いって言う』
「うん」
『これからも、君の隣で戦う』
その言葉に、胸がいっぱいになる。
ノアは深く息を吸った。
次は、自分の番だ。
「アーク」
『うん』
「私は、隠れて始めた」
『うん』
「ノアなら言えることを、澪では言えなかった」
『うん』
「アークの隣にいたくて、ノアでいることに逃げてた時もあった」
『うん』
「それで、朔を傷つけた」
『うん』
「自分も、苦しかった」
声が震えた。
でも、逃げない。
「でも」
ノアは顔を上げる。
「ノアでいた時間を、もう消したくない」
『うん』
「アークと戦った時間も」
『うん』
「笑った時間も」
『うん』
「怖くて泣きそうだった時間も」
『うん』
「全部、私の時間だった」
胸の奥から、言葉が溢れてくる。
「私は、もう隠れるためだけにノアではいない」
『うん』
「でも、ノアでいる私も大事にしたい」
『うん』
「澪として朔の隣に立つ私も」
『うん』
「アステリオでアークの隣に立つ私も」
『うん』
「どっちも、私として」
ノアは胸に手を当てた。
「アークの隣に立つ」
言えた。
アークの目が少しだけ揺れた。
「怖くても」
『うん』
「迷っても」
『うん』
「隠れそうになっても」
『うん』
「戻ってくる」
『うん』
「アークの隣に」
そして、少しだけ息を吸って続ける。
「朔の隣に」
アークは静かに頷いた。
『待ってる』
「うん」
「でも、待ってるだけじゃなくて」
『うん』
「一緒に歩いて」
アークの表情がやわらかくなる。
『歩く』
短い返事。
それだけで十分だった。
二人の間に、星冠の光が降り注ぐ。
青と銀の粒子が、もう一度ゆっくり舞い上がった。
システムウィンドウが静かに開く。
《称号:星を隠さぬ双影》
《誓約記録を反映しました》
ノアはその表示を見つめた。
誓約記録。
今交わした言葉が、星冠祭の記録として残ったのだろうか。
少し恥ずかしい。
でも、嫌ではなかった。
ピピがついに口を押さえきれなくなったように、震える声を出した。
『……すごく』
『すごく、よかったです』
涙声だった。
ノアが振り向くと、ピピは本当に泣いていた。
目元をこすりながら、それでも笑っている。
『すみません、泣かないつもりだったんですけど』
『感情過多』
フレアが言う。
でも、その声はやわらかい。
『フレアさんは?』
『泣かない』
『でも?』
『良かった』
フレアは短く言った。
『すごく』
ピピがまた泣きそうな顔で笑う。
『フレアさんが、すごくって言いました』
『そこを拾わない』
セレスは静かに微笑んでいた。
その瞳も、少しだけ潤んでいるように見えた。
『ノアさん、アークさん』
「うん」
『とても綺麗な誓いでした』
「……ありがとう」
『隠れないことは、きっと簡単ではありません』
「うん」
『でも、お二人なら、怖さも一緒に持っていけると思います』
その言葉に、ノアは深く頷いた。
「うん」
「持っていく」
『一緒に』
アークが言う。
「うん」
「一緒に」
そのあと、五人は星冠祭の会場を少しだけ歩いた。
広場から伸びる光の道を進むと、街全体が祝祭の空気に包まれているのがわかった。
露店には限定アイテムや星冠祭の記念装備が並び、プレイヤーたちは自分たちの記録を見て笑ったり、泣いたり、写真を撮ったりしている。
ピピは星形の菓子を買い、フレアは限定称号の詳細を読み込み、セレスは記念の花飾りを眺めていた。
ノアとアークは、少し後ろを並んで歩いた。
手は繋いでいない。
でも、距離は近かった。
『大丈夫?』
アークが小さく聞く。
「うん」
「疲れたけど」
『うん』
「でも、いい疲れ」
『そっか』
「アークは?」
『俺も』
『かなり疲れた』
「誓ったから?」
『それもある』
「恥ずかしかった?」
『かなり』
「私も」
二人で小さく笑う。
笑ったあと、ノアは空を見上げた。
星冠の光は、まだ中央広場の上に輝いている。
その光のどこかに、さっきの誓いが記録として残っているのかもしれない。
それを思うと、少し怖い。
でも、同時に誇らしかった。
隠れて始まった恋が、星の下で誓いになった。
それは、ノアにとって信じられないほど大きなことだった。
祭の終盤、五人は再び中央広場へ戻った。
星冠祭の全体演出として、参加者たちの記録が空に小さな星として浮かび上がっている。
誰かのパーティ記録。
誰かの救援記録。
誰かのペア記録。
ひとつひとつは小さな光だ。
でも、集まると大きな空になる。
ノアはその中に、自分たちの星もあるのだと思った。
全部を公開したわけではない。
ペア記録の中身は、まだ二人だけのものだ。
でも、称号と誓いは受け取った。
それで今はいい。
見せることと、守ること。
その両方を、自分で選んだ。
『ノアさん』
ピピが言った。
『星を隠さぬ双影、これから呼んでもいいですか?』
「毎回は恥ずかしい」
『じゃあ特別な時だけ!』
「特別な時?」
『すごい連携が決まった時とか!』
『戦闘中に叫ぶのはやめて』
アークが言う。
『えー』
『気が散る』
『じゃあ戦闘後にします!』
フレアが頷く。
『それなら許容範囲』
『許可出ました!』
ノアは苦笑した。
セレスがふと、ノアの隣に立つ。
『ノアさん』
「うん」
『今日のこと、現実へ戻っても、きっと残りますね』
その言葉に、胸が小さく鳴る。
現実。
朝倉澪。
星のチャーム。
まだ内側にある青い星。
「うん」
「たぶん、残る」
『怖いですか?』
「少し」
『でも』
セレスは微笑む。
『少し楽しみでもありますか?』
ノアは少しだけ考えた。
鞄の外側で揺れる青い星。
朔の鞄の外側にある銀の月。
学校で、夏希が気づく。
ひなが見る。
凛花と由良も見る。
クラスメイトにも、たぶん見られる。
怖い。
でも。
「楽しみ、かもしれない」
自分の声に、少し驚く。
でも、それは本当だった。
外へ出したいと思う気持ちが、怖さの奥で確かに育っている。
セレスは嬉しそうに頷いた。
『それなら、きっと大丈夫です』
「うん」
「ありがとう」
ログアウトの時間が近づき、五人は噴水前で別れた。
ピピは何度も称号を褒め、フレアは明日以降のイベント報酬確認を忘れないようにと冷静に言い、セレスは穏やかに「お疲れさまでした」と微笑んだ。
三人が去ったあと、ノアとアークは少しだけ残った。
広場の光が、少しずつ静かになっている。
祭はまだ続いているけれど、夜の深さが戻り始めていた。
『ノア』
「うん」
『今日、受け取ってよかった』
「うん」
「私も」
『怖かったけど』
「怖かった」
『でも、嬉しかった』
「うん」
「すごく」
ノアは胸に手を当てる。
「アーク」
『何』
「私、現実で」
言いかけて、少しだけ止まる。
でも、逃げない。
「星のチャーム、外につけたい」
アークの目が静かに揺れた。
『うん』
「まだ怖い」
『うん』
「でも、つけたい」
『うん』
「朔も、月を外につけてくれる?」
アークはすぐに頷いた。
『もちろん』
短く、迷いのない返事だった。
「明日」
『うん』
「朝、つける」
『俺も』
「一緒に」
『一緒に』
その約束が、胸の奥で静かに光った。
ログアウトすると、澪の部屋は夜の静けさに包まれていた。
フルダイブ装置から身体を起こし、しばらく息を整える。
目を閉じると、まだ星冠祭の光が見える気がした。
星を隠さぬ双影。
星冠の誓い。
アークの声。
セレスたちの祝福。
全部が、胸の奥に残っている。
澪は机の横の鞄を手に取った。
内側のファスナーに、小さな青い星のチャームがついている。
指先でそっと触れる。
いつもの場所。
大事に守ってきた場所。
でも、明日は。
澪はチャームを外した。
手のひらの中で、青い星が小さく光る。
まだ外側にはつけない。
今夜は、手のひらの中でそっと包むだけ。
でも、もう決めている。
明日の朝、この星を外へ出す。
スマート端末が震えた。
朔からだった。
『明日、月を外につける』
澪は画面を見て、自然に笑った。
『私も』
『星を外につける』
送信してから、青い星を机の上に置く。
明日の朝、すぐにつけられるように。
怖い。
けれど、楽しみでもある。
その二つが一緒に胸の中にあることを、もう否定しなかった。
澪は星のチャームを見つめながら、小さく息を吐いた。
隠れて始まった時間は、星冠の誓いになった。
そして明日、その小さな星は、初めて外の光に触れる。




