表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を隠さぬ君の隣で  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

104/108

第9章 第8話:君は、どちらでも君だった


 光の向こうへ手を伸ばした。


 指先が、星の粒に触れる。

 熱くはない。

 冷たくもない。

 ただ、胸の奥をほどくような光だった。


 星の部屋が崩れていく。


 足元の水面が光へ変わり、周囲に広がっていた記憶の断片が、ひとつずつ夜空へ溶けていく。

 澪として泣いた夜。

 ノアとしてアークの隣を走った夜。

 言えなかった時間。

 見つめられた時間。

 正体を明かした瞬間。

 好きだと告げた瞬間。

 声だけを頼りに信じた瞬間。


 全部が星になって、ノアの周りを流れていく。


 その中で、声が聞こえた。


『澪』


 胸が震える。


 そのすぐあとに、同じ声がもう一つの名前を呼んだ。


『ノア』


 どちらも、アークの声だった。

 朔の声だった。


 ノアは光の中で、必死に手を伸ばす。


「アーク……!」


 届きそうで、届かない。

 星の粒子が視界を覆い、彼の姿は輪郭だけになる。

 それでも、その声だけは確かにこちらへ届いていた。


『こっちだ』


 その声を頼りに、ノアは一歩踏み出した。


 足元の光が波紋のように広がる。

 自分の名前を答えた部屋が、背後でほどけていく。


 ――私は、朝倉澪。

 ――アステリオでは、ノア。

 ――どっちも、私。


 言えた。


 まだ震えている。

 怖さが全部消えたわけではない。

 けれど、もうどちらかを切り捨てようとは思わなかった。


 澪も。

 ノアも。


 弱かった自分も、隠れていた自分も、戦っていた自分も、恋をした自分も。

 全部、自分だった。


 光が弾ける。


 次の瞬間、ノアは元の円形舞台に立っていた。


 星の幕に囲まれた、ペア記録専用の小さな空間。

 足元には台座が二つ。

 周囲には、さっきまで見ていた記録の光が淡く揺れている。


 そして目の前に、アークがいた。


『ノア』


 アークが一歩近づく。


 ノアは一瞬、動けなかった。

 彼の姿が見える。

 声が聞こえる。

 さっきまで届かなかった手が、今は届く場所にある。


 その事実だけで、胸がいっぱいになる。


「アーク」


 呼んだ瞬間、足が勝手に動いた。


 ノアはアークへ駆け寄る。

 アークも手を伸ばす。


 指先が触れる。

 次の瞬間、しっかりと握られた。


 ようやく届いた。


 その温度に、ノアは息を詰める。


「……戻ってこられた」

『うん』

「一人だった」

『うん』

「名前を、聞かれた」

『聞こえてた』

「怖かった」

『うん』

「でも」

 ノアは繋いだ手を見た。

「答えられた」

 アークの表情が、静かにやわらぐ。


『聞こえた』

「本当に?」

『最後のほうだけ』

「……そっか」

『でも、ちゃんと聞こえた』

 アークはノアを見る。


『私は朝倉澪。アステリオではノア。どっちも私』

 自分の言葉をアークの声で繰り返されて、胸がまた震えた。


「……恥ずかしい」

『すごく大事な言葉だった』

「うん」

「でも、恥ずかしい」

『なら、恥ずかしくても言ったんだな』

「……うん」

 ノアは頷いた。

「言わなきゃいけない気がした」

『うん』

「星に聞かれてたけど」

『うん』

「本当は、私が私に聞いてたのかもしれない」

 アークは静かに聞いている。


「ノアなのか、澪なのか」

「どっちが本当なのか」

「どっちを残すのか」

「ずっと、自分で自分に聞いてた」

『うん』

「でも」

 ノアは胸に手を当てる。

「どっちかじゃなかった」

 言葉にすると、また少しだけ涙が出そうになる。


「ノアも私だった」

『うん』

「澪も私だった」

『うん』

「どちらかが嘘で、どちらかが本当なんじゃなかった」

『うん』

「どっちも、不完全で」

『うん』

「どっちも、本物だった」

 アークの手が、少しだけ強く握り返してくる。


『そうだよ』

 短い言葉だった。

 でも、その中に、ずっと欲しかった肯定があった。


 ノアは目を伏せる。


「アーク」

『うん』

「聞こえた声」

『うん』

「すごく、助かった」

『俺は、ほとんど何もできなかった』

「そんなことない」

 ノアは首を振る。


「君は、どちらでも君だったって言ってくれた」

『うん』

「あれがなかったら、たぶんまだ迷ってた」

『うん』

「ノアだけじゃないって」

『うん』

「澪だけでもないって」

『うん』

「どっちも、私だったって」

 声が震える。


「朔がそう言ってくれたから」

 ノアは一度言葉を止めた。

 それから、ちゃんと続ける。


「私は、私を少し信じられた」

 アークは目を細めた。


『俺は、本当のことを言っただけだ』

「本当でも、嬉しかった」

『うん』

「すごく、救われた」

『……うん』

 アークは少しだけ目を伏せた。


『俺も』

「え?」

『ノアが戻ってきてくれて、救われた』

「……」

『星の幕が揺れて、ノアが消えた時』

「うん」

『正直、かなり焦った』

「イベント演出なのに?」

『イベント演出でも』

 アークは少しだけ苦く笑う。


『また、手が届かないところへ行ったみたいで怖かった』

「……」

『前に、正体を知らなかった頃みたいに』

「うん」

『ノアは近くにいるのに、肝心なところには届かない感じ』

 胸が痛んだ。


 ノアは繋いだ手を見る。


 あの頃、アークはそう感じていたのかもしれない。

 近くにいるのに届かない。

 戦場では隣にいるのに、名前の奥には触れられない。


 それは、アークにとっても怖いことだったのだ。


「ごめん」

 言葉がこぼれた。


 アークはすぐに首を振る。


『謝らなくていい』

「でも」

『今のは、責めてるんじゃない』

「うん」

『ただ、怖かったって言ってる』

「……うん」

 怖いことを隠さない。

 二人で決めたことだ。


 アークも今、怖かったと言ってくれている。


 ノアは深く息を吸った。


「言ってくれて、ありがとう」

『うん』

「私も、怖かった」

『うん』

「でも、もう戻ってきた」

『うん』

「アークのところに」

 アークの目が少しだけ揺れた。


『……それ、かなり来る』

 その言い方がいつもの朔に近くて、ノアは思わず少し笑った。


「仕返し」

『こんな場面で?』

「こんな場面だから」

『強くなったな』

「少しだけ」

『うん』

『少しじゃないと思う』

 その言葉に、胸が温かくなる。


 星の幕の中に、新しいシステム表示が浮かび上がった。


《名称照合完了》

《自己同一記録を反映》

《ペア星冠記録を更新しました》


 続いて、二人の周囲に、新しい映像が浮かぶ。


 そこには、ノアと澪が重なって映っていた。


 アステリオの夜を走るノア。

 現実の通学路を歩く澪。

 星骸の渡り廊でアークと話すノア。

 教室で朔と視線を交わす澪。

 星のチャームを内側に持つ澪。

 アークへ手を伸ばすノア。


 別々だった映像が、光の糸で繋がっていく。


 ノアはそれを見つめた。


 以前なら、目を逸らしていたかもしれない。

 分けられた自分を見るのが怖くて。

 どちらかを選ばなければいけないようで。


 でも今は、違った。


 どちらも、自分だと思えた。


 まだ少し照れくさい。

 まだ少し痛い。

 でも、消したいとは思わない。


『綺麗だな』

 アークが言った。


「うん」

 ノアは頷く。

「綺麗だね」

 今度は、その言葉を怖がらなかった。


 綺麗だからといって、痛みがなかったことになるわけではない。

 痛みを含んだままでも、綺麗に見えるものはある。


 それを、今日ようやく少し受け入れられた気がした。


 映像の最後に、二人の前へひとつの星冠が現れた。

 青と銀の光が混ざった、小さな冠。

 その中心に、星と月の紋章が並んでいる。


《ペア星冠記録:認定》

《特別称号候補を生成中》


 ノアは息を止める。


 称号候補。

 星冠祭の特別記録。


 アークも隣で静かにその表示を見ていた。


 光の文字が、少しずつ形になる。


《称号候補》

《星を隠さぬ双影》


 胸が強く鳴った。


 星を隠さぬ双影。


 その言葉が、ノアの中に深く落ちる。


 隠して始まった。

 ノアという名前に隠れて、澪はアークの隣にいた。

 けれど今は、もう隠れるためだけにノアでいるわけではない。


 双影。

 二つの影。

 ノアと澪。

 アークと朔。

 現実とアステリオ。

 別々に見えていたものが、今は同じ光の中に立っている。


「星を隠さぬ……」

 ノアは小さく呟いた。


 アークが静かに言う。


『今のノアに、合ってる』

「私に?」

『うん』

「まだ、星のチャームは内側だよ」

『それでも』

 アークはノアを見る。

『もう、消そうとはしてない』

 胸が熱くなる。


『隠れるためだけに、ノアではいないんだろ』

「……うん」

『だったら、今のノアに合ってる』

「アークにも?」

『俺にも?』

「うん」

「双影だから」

 アークは少しだけ考えたあと、頷いた。


『俺にも、合ってるといい』

「合ってるよ」

『どうして』

「アークも、朔を隠していたわけじゃないけど」

『うん』

「アークとしての時間があって」

『うん』

「朔として私の隣にいる時間もあって」

『うん』

「どっちも、私にとって大事だから」

 言ってから、少しだけ顔が熱くなる。


 アークが固まった。


『ノア』

「何」

『今の、かなり』

「来た?」

『来た』

「仕返し」

『今日、仕返し多いな』

「アークがずっと助けてくれるから」

『それは仕返しなのか』

「たぶん」

 二人で小さく笑った。


 星の幕が少しずつ薄くなる。

 ペア記録の閲覧が終わろうとしているのだろう。


 けれど、ノアはまだアークの手を離さなかった。

 アークも、離そうとはしなかった。


『ノア』

「うん」

『戻ったら、三人にも見られるな』

「うん」

『称号候補、出たって』

「うん」

「ピピ、絶対騒ぐね」

『騒ぐな』

「フレアは分析する」

『するな』

「セレスは、綺麗ですねって言う」

『言いそうだな』

「うん」

 想像したら、少しだけ緊張がほどけた。


 でも、それでも胸はまだ高鳴っている。


 三人に見せるのが怖いわけではない。

 けれど、この記録は自分たちの深い場所に触れたものだった。

 どこまで共有するかは、まだ考えなければいけない。


「アーク」

『うん』

「ペア記録そのものは、まだ二人だけで持っていたい」

『うん』

「でも、称号は」

 ノアは少しだけ息を吸った。

「受け取りたい」

 アークはすぐに頷いた。


『俺も』

「うん」

『記録の全部を見せなくても、称号は受け取れる』

「うん」

「星を隠さぬ双影」

『うん』

「まだ完全に隠してないわけじゃないけど」

『うん』

「それでも、そうなりたいって思う」

 アークは静かに言った。


『なら、受け取ろう』

「うん」

「一緒に」

『一緒に』


 星の幕が開いた。


 中央広場の音が戻ってくる。

 光に満ちた祭の空気。

 他のプレイヤーたちの歓声。

 噴水の水音。

 その全部が、さっきより少しだけ鮮やかに感じられた。


 幕の外では、セレス、フレア、ピピが待っていた。


 ピピは二人を見るなり、目を輝かせる。


『おかえりなさい!』

 その言葉に、ノアの胸がまた揺れた。


 おかえり。

 その一言が、今はとても深く響いた。


 アークがノアの手を握ったまま、静かに言う。


『戻った』

『はい! 戻ってきました!』

 ピピはにこにこして、それからすぐに口を押さえた。

『聞きたいことが山ほどありますが、今は落ち着きます!』

『えらい』

 フレアが短く言う。

『褒められました!』

 セレスはノアの顔を見て、やわらかく微笑んだ。


『ノアさん』

「うん」

『少し、表情が変わりましたね』

「……そう?」

『はい』

 セレスは静かに頷く。

『帰ってきた顔をしています』

 その言葉に、ノアは目の奥が熱くなった。


 帰ってきた。

 ノアとして。

 澪として。

 どちらかを置いてくるのではなく、どちらも抱えて。


「うん」

 ノアは小さく言った。

「帰ってきた」

 アークが隣で、そっと続ける。


『おかえり、澪』

 胸が震えた。


 セレスたちには、澪という名前の意味はまだわからないかもしれない。

 でも、アークはその名前を呼んだ。


 そしてすぐに。


『おかえり、ノア』

 もう一つの名前も呼んだ。


 ノアは目を伏せた。

 涙がこぼれそうになる。


「……ただいま」

 小さな声で答える。


「澪としても」

 息を吸う。


「ノアとしても」


 アークの手が、やさしく握り返してくれた。


 ピピは何かを察したように、目元を潤ませている。

 フレアは静かに目を伏せ、セレスは穏やかに微笑んでいた。


 ノアは三人を見る。


「ペア記録、見た」

『はい』

 セレスが頷く。

「痛いところもあった」

『はい』

「でも、見てよかった」

『そうですか』

「全部は、まだ見せられない」

『はい』

「でも」

 ノアはアークを見る。

 アークも頷いた。


「称号候補が出た」

 ピピの目が一瞬で輝く。


『称号ですか!?』

「うん」

『どんな!?』

 ノアは少しだけ照れた。


 アークが静かに言う。


『星を隠さぬ双影』

 一瞬、空気が止まった。


 それから、ピピが両手を胸の前で握りしめる。


『……すごく』

『すごく、いいです』

 いつもの大声ではなかった。

 心からの声だった。


 フレアも静かに頷く。


『悪くない』

『フレアさんの悪くないは、かなり良いです』

 ピピが小声で言う。

『事実』

 フレアはノアとアークを見る。

『二人らしい称号だと思う』

 セレスはやわらかく微笑んだ。


『とても綺麗な名前ですね』

「……うん」

 ノアは頷いた。

「私も、そう思った」

 そして、少しだけ笑う。


「少し怖いけど」

『怖くても』

 セレスが言う。

『受け取りたいと思えたなら、大切な称号になると思います』

 ノアは深く頷いた。


「うん」

「受け取りたい」

『俺も』

 アークも言った。


 その瞬間、二人の前に新しいシステムウィンドウが表示される。


《特別称号を受領しますか?》

《星を隠さぬ双影》


 ノアはアークを見る。

 アークもこちらを見る。


 もう、確認するまでもなかった。


 二人は同時に頷く。


「受け取る」

『受け取る』


 星冠祭の光が、二人の足元から立ち上がった。

 青と銀の粒子が絡み合い、空へ昇っていく。

 頭上に、小さな星冠が現れた。


 それは、派手な勝利演出ではなかった。

 静かで、澄んでいて、どこか祈りに似ていた。


 ノアはその光の中で、胸に手を当てる。


 ノアは嘘ではなかった。

 澪だけが本当でもなかった。

 どちらも自分だった。


 そして、そのどちらも、ここに立っている。


 アークが隣で言った。


『ノア』

「うん」

『受け取ったな』

「うん」

『怖い?』

「少し」

『俺も』

「でも」

 ノアは星冠の光を見上げた。


「嬉しい」

 アークは静かに頷いた。


『俺も』

 短い返事。

 それだけで、十分だった。


 星冠の光がゆっくり消えていく。


 けれど、その光はノアの胸の奥に残った。


 青い星のように。

 銀の月のように。

 まだ内側にあるチャームのように。


 いつか外側へ出す日を待つ、確かな光として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ