第9章 第6話:星冠祭、開幕
星冠祭の当日、アステリオの中央広場は、まるで別の世界になっていた。
ログインした瞬間、ノアは思わず足を止めた。
いつもなら青白い魔導灯に照らされた石畳が、今日は金と銀の光で縁取られている。
広場の中央にある噴水は、星屑をすくい上げるように光の粒を空へ放っていた。水面には幾重もの星冠が映り込み、波紋が広がるたび、過去の記憶の欠片みたいな小さな映像が淡く浮かんでは消えていく。
空には、大きな星の冠が浮かんでいた。
輪になった星々がゆっくり回り、その内側に無数の光の糸が流れている。
糸は中央広場から伸び、街路へ、転送門へ、遠くのフィールドへと続いていた。
誰かと誰かが重ねてきた時間。
共に戦った記録。
助け合った記憶。
そのすべてが、今夜だけは光として見えるようになっているのだと、直感でわかった。
美しい。
けれど、胸が少しだけ苦しくなる。
ノアは自分の手を見た。
アバターの白い指先。
何度も術式を描き、アークへ補助を飛ばし、時には彼の手を取った手。
この手で積み重ねてきた時間が、今日、星の記憶として映し出される。
怖い。
でも、逃げたくない。
昨夜、星骸の渡り廊でアークと話した。
綺麗じゃないところも含めて、大事にしたい。
消さないで見る。
一緒に見る。
そう決めた。
だから、ここにいる。
『ノア』
声が届く。
振り向くと、広場の人混みの向こうからアークが歩いてきていた。
黒い装備はいつもと同じなのに、星冠祭の光を受けて、少しだけ柔らかく見える。
背負った剣の縁にも、金色の粒子が淡くまとわりついていた。
「アーク」
名前を呼ぶだけで、胸の奥が少し落ち着く。
アークはノアの前で足を止めた。
『すごいな』
「うん」
『思ってたより、かなり大規模だ』
「広場だけじゃなくて、街全体が変わってる」
『記録系イベントって言ってたけど、演出が本気だな』
「うん」
二人で空を見上げる。
大きな星冠が、静かに回っている。
ノアはその光を見つめながら、小さく息を吸った。
「……緊張してる」
『俺も』
「怖い?」
『怖い』
「うん」
『でも、来てよかったと思ってる』
アークは静かに言った。
『まだ始まってないけど』
その言い方に、ノアは少しだけ笑った。
「私も」
『うん』
「まだ何も見てないけど、来てよかった」
『そっか』
「一人だったら、ログイン前に止まってたかもしれない」
『俺も、ノアがいなかったら後回しにしてたと思う』
「アークも?」
『うん』
『見るのが怖い記録ほど、後に回したくなる』
「わかる」
ノアは小さく頷く。
「でも、後に回しても消えない」
『うん』
「だから、見る」
『一緒に』
「うん」
「一緒に」
その言葉を確認した時、背後から元気な声が響いた。
『ノアさーん! アークさーん!』
ピピだった。
星冠祭仕様の髪飾りをつけている。
光る小さな星がいくつも揺れていて、走るたびにきらきらと軌跡を描いていた。
その後ろから、セレスが穏やかに歩き、フレアが少しだけ呆れた顔でついてくる。
『すごいです! すごいですよ! 広場が星です! 街が星です! 全部星です!』
『語彙』
フレアが短く言う。
『だって本当に星なんです!』
『落ち着きましょう、ピピさん』
セレスが微笑む。
『でも、気持ちはわかります。とても綺麗ですね』
『ですよね!』
ピピはくるりと広場を見回してから、ノアとアークへ顔を向けた。
『今日は五人の記録、見られるんですよね!』
「うん」
『まずはパーティ記録から? それともイベント記録? それともノアさんとアークさんの甘い記録から』
『ピピ』
アークがすぐに止める。
『はい、すみません! でも少しだけ期待が漏れました!』
『かなり漏れてた』
フレアが淡々と言う。
ノアは少しだけ笑う。
ピピの明るさに救われる時がある。
怖さで固まりそうな空気を、少しだけ動かしてくれる。
セレスがノアの顔を覗き込むように見た。
『ノアさん、大丈夫ですか?』
「……うん」
ノアは少し迷ってから、正直に言い直す。
「怖いけど、大丈夫」
『そうですか』
セレスはやわらかく頷いた。
『怖いと言えるなら、きっと大丈夫です』
その言葉に、胸が少し温かくなる。
フレアも周囲のウィンドウを確認しながら言った。
『記録閲覧は段階制みたいね』
『段階制?』
ピピが聞く。
『まず個人記録。次にパーティ記録。条件を満たした場合、ペア記録や特殊称号候補が表示される』
『特殊称号!』
ピピの目が輝く。
『ノアさんとアークさん、絶対何か出ますよ!』
『決めつけない』
『でも出そうです!』
『可能性は高い』
フレアは冷静に言った。
『前回の星環試練で最奥ペア突破してるから』
その言葉に、ノアの胸が小さく鳴った。
星環試練。
見えない道。
声だけで繋がった時間。
信じることも恋の続きだと思えた場所。
あれも、記録として映るのだろうか。
アークが横に立つ。
ほんの少しだけ距離が近くなる。
それだけで、ノアは呼吸を整えられた。
『まずは五人の記録からにしよう』
アークが言った。
『それでいい?』
「うん」
『はい!』
ピピが大きく手を挙げる。
『わたしも五人の記録から見たいです!』
『賛成です』
セレスが頷く。
『最初に全員の記録を見るのは、順番として自然だと思います』
『異論なし』
フレアも頷いた。
五人は中央広場の奥に設置された、星冠祭専用の記録台へ向かった。
記録台は、白い石でできた円形の舞台だった。
中央に星冠の紋章が刻まれ、その周囲に五つの小さな光の台座が並んでいる。
すでに他のパーティも順番待ちをしていて、記録を見て歓声を上げる者、懐かしそうに笑う者、静かに泣いている者もいた。
誰かにとっての記録は、誰かにとっての宝物なのだ。
ノアはその光景を見て、胸が少し締めつけられた。
自分たちにも、そういう記録がある。
見たい。
でも怖い。
順番が来る。
五人は、それぞれ台座へ立った。
ノアの左にアーク。
右にセレス。
少し先にフレアとピピ。
台座が光り、足元から星の粒子が立ち上がる。
《パーティ記録を確認します》
《対象:ノア、アーク、セレス、フレア、ピピ》
《共有戦闘回数、支援回数、救援回数、連携成功率を参照》
《星冠記録を生成中》
ノアの胸が強く鳴る。
光が広がった。
最初に映ったのは、五人で初めて挑んだ高難度ダンジョンだった。
ピピが前へ飛び出しすぎて、フレアに叱られている。
セレスが慌てて回復を飛ばし、アークが敵の攻撃を受け止め、ノアが後方から拘束術式を展開している。
『あっ、これ!』
ピピが叫ぶ。
『わたしが罠を踏んだ時のやつです!』
『正確には、踏むなと言った直後に踏んだ時』
フレアが言う。
『詳細に言わなくてもいいじゃないですか!』
『記録は正確に』
セレスがくすりと笑う。
『でも、あの時は皆さんで立て直しましたね』
映像の中で、五人がばらばらになりかけた陣形を戻していく。
ノアの術式が敵を止め、アークがピピの前に入り、フレアが狙撃で敵の詠唱を止め、セレスが全体を支えた。
あの時は必死だった。
けれど、記録として見ると、確かに五人で支え合っていた。
次の映像が流れる。
薄明の水鏡庭。
星骸の渡り廊。
廃都フィールド。
大型イベントの中盤戦。
五人で戦った場面が、星の欠片のように次々と浮かび上がる。
ピピが何度も前線を明るくかき回し、フレアが冷静に軌道を修正する。
セレスが誰かの危機を必ず拾い、アークが剣を振るい、ノアが術式で道を開く。
五人の動きは、完璧ではない。
失敗もある。
焦りもある。
ピピが罠を踏む場面はなぜか三回も映った。
『何で罠の記録多いんですか!?』
『踏んだからでしょ』
フレアが即答する。
『それはそうですけど!』
『でも、そのたびに助け合ってますね』
セレスが微笑む。
『それが記録として残っているんだと思います』
その言葉に、ノアは胸が温かくなった。
失敗も、支え合った記録になる。
完璧だったから残るのではない。
崩れそうになって、それでも立て直したから、そこに意味がある。
星の映像はさらに続いた。
星環試練の中盤、大部屋の影騎士戦。
ノアがアークへ防御術式を重ね、アークが攻撃を受け流す。
ピピが雑魚敵を引きつけ、フレアが左翼を撃ち抜き、セレスが全体補助を重ねる。
あの時の緊張。
声のやり取り。
五人で一撃を合わせた瞬間。
全部が光として再現されている。
『これ、全部ノアさんとアークさんの時間でもあり、五人の時間でもあるんですね』
ピピがぽつりと言った。
いつもの勢いではなく、少しだけ感動した声だった。
ノアは映像を見つめたまま頷く。
「うん」
「五人の時間」
言葉にすると、胸がじんと温かくなる。
アークが隣で静かに言う。
『一人じゃ、どれも越えられなかったな』
「うん」
『五人だったから行けた』
「うん」
セレスがやわらかく微笑んだ。
『大切に積み重ねてきたんですね』
その声は、記録そのものを撫でるように優しかった。
フレアは腕を組みながら、浮かぶ映像を見ている。
『連携記録としても、かなり綺麗』
『フレアさんが綺麗って言いました!』
ピピがすぐ反応する。
『戦術的に』
『でも綺麗は綺麗です!』
『否定はしない』
フレアは少しだけ目を細めた。
『崩れたところから戻す速度が上がってる。記録として見ても、成長がある』
『成長!』
ピピが嬉しそうに言う。
『わたしも成長してますか!?』
『罠を踏んだ後の復帰速度は上がってる』
『踏まない成長は!?』
『今後に期待』
『ひどいです!』
そのやり取りに、五人の間に笑いが生まれた。
ノアも笑った。
怖かったはずなのに。
記録を見るのは怖いと思っていたのに。
五人の記録は、こんなにも温かかった。
映像の最後に、星冠が五つに分かれて、それぞれの頭上に淡く降り注ぐ。
システムメッセージが表示された。
《パーティ星冠記録:認定》
《称号候補:星を結ぶ五彩》
《公開範囲:未設定》
ピピが両手を上げた。
『称号候補出ました! 五彩! 五人です! すごいです!』
『落ち着きなさい』
フレアが言う声も、少しだけ柔らかい。
『でも、悪くない称号ね』
『ですね』
セレスが微笑む。
『とても綺麗です』
ノアはシステム表示を見つめた。
公開範囲は、未設定。
今すぐ外へ出す必要はない。
でも、見られた。
自分たちで、ちゃんと。
怖さよりも、温かさが胸に残っている。
五人は台座を降りた。
記録台の近くにある小さなベンチへ移動し、しばらく余韻に浸る。
『五人の記録、公開したい気もしますね』
ピピが言った。
『でも、みんなで決めましょう』
『そうね』
フレアが頷く。
『記録の中には失敗も含まれる』
『罠のことですね!?』
『主に』
『主に!?』
セレスが笑いながら言う。
『私は、五人で見られただけでも嬉しいです』
『そうだな』
アークが頷く。
『公開はあとで考えればいい』
ノアも頷いた。
「うん」
「まずは、見られてよかった」
それは本心だった。
すると、ノアの前に新しいシステムウィンドウが浮かんだ。
《ペア星冠記録の生成条件を満たしています》
《対象:ノア/アーク》
《閲覧しますか?》
胸が跳ねた。
隣のアークの前にも同じ表示が出ているらしい。
アークが静かに息を吸った。
ピピがそれに気づいて、声を潜める。
『出ました?』
いつものように騒がなかった。
ちゃんと、待つような声だった。
ノアは小さく頷く。
「出た」
『ペア記録』
アークが言う。
セレスは穏やかに微笑んだ。
『どうしますか?』
ノアはアークを見た。
怖い。
五人の記録は温かかった。
でも、ノアとアークの記録には、もっと深いところが含まれている。
隠していた時間。
好きだった時間。
嘘をついていた痛み。
正体を明かした夜。
恋人になってからの信頼。
それを見る。
ノアは指先を握った。
アークが静かに言う。
『二人で見る?』
「うん」
ノアは頷いた。
「見たい」
『怖い?』
「怖い」
『俺も』
「でも、消したくない」
『俺も』
アークはセレスたちへ向き直る。
『最初は、二人で見る』
『はい』
セレスが頷く。
『待っています』
『もちろんです!』
ピピも大きく頷いた。
『見せてもらえる時が来たら見ます! でも今は待ちます!』
『良い判断』
フレアが言う。
『二人の記録は、二人が最初に見るべき』
その言葉に、ノアは胸が温かくなる。
「ありがとう」
ノアが言うと、三人はそれぞれ頷いてくれた。
アークが手を差し出す。
ノアはその手を取った。
記録台の別エリアへ向かう。
ペア記録専用の、小さな円形舞台。
周囲は星の幕で囲まれていて、外からは中が見えないようになっていた。
ノアとアークは、二人でその中へ入る。
星の幕が閉じる。
広場のざわめきが少し遠ざかる。
目の前には、二つの台座。
ノアは手を繋いだまま、アークを見る。
「アーク」
『うん』
「怖い」
『うん』
『俺も怖い』
「でも、見る」
『うん』
『一緒に』
「一緒に」
二人は同時に台座へ触れた。
星の光が足元から立ち上がる。
空間が静かに震えた。
《ペア星冠記録を生成します》
《対象:ノア/アーク》
《共有戦闘、相互支援、救援、信頼同期、特別記録を参照》
光が強くなる。
最初の映像が、星の中に浮かび始めた。
それは、まだノアが正体を明かす前の記録だった。
夜のフィールド。
アークが前を走り、ノアが後方から術式を飛ばしている。
二人の動きは、今より少しだけぎこちない。
けれど、確かに互いを見ている。
ノアは息を止めた。
あの頃の自分だ。
隠していた。
苦しかった。
でも、アークの隣にいたくて必死だった。
映像の中のノアが、アークの背中を追う。
胸が痛む。
でも、アークの手が隣で少しだけ握り返してくれた。
『ノア』
彼の声が静かに届く。
『いる』
「……うん」
ノアは目を逸らさなかった。
映像は続く。
星骸の渡り廊。
水鏡庭。
正体を明かす前の連携。
名前の奥へ踏み込まれた夜。
揺れて、怖くて、逃げそうになった自分。
そして、それでもアークが見てくれていた時間。
痛い。
でも、消したくない。
ノアは繋いだ手に力を込めた。
「アーク」
『うん』
「見てる」
『うん』
『俺も見てる』
「痛い?」
『少し』
「私も」
『でも』
アークは言う。
『やっぱり、消したくない』
ノアは頷いた。
「私も」
星の記録は、まだ始まったばかりだった。
けれどノアは、その光からもう目を逸らさなかった。




